第29話 エウテルペの都2

 約束の時間より前に店内に入る。

「いらっしゃいませ。一名様ですか?」

 前にも席を案内してくれようとした店員だ。

 人がまばらにいる店内をざっと見渡すが、弥凪やなぎの姿はない。

「はい……あの、正ヶ峯しょうがみねは?」

「弥凪くん? 今日は体調不良でお休みです」

 だよな。あんなことがバレた翌日に普通に出勤してきたら驚く。

「弥凪くんになにか用ですか?」

「ああ、まぁ……」

 曖昧な態度をとると、なにか勘違いしたのか、店員の顔がぱっと明るくなる。

「お見舞いに行きたいけど住所を知らないとか?」

「いえ、違います」

「でも心配ですよね? 弥凪くんと仲良さそうでしたし。こちらのお席にどうぞ」

 店員に案内された席に座ると、向かいに店員も座った。

 なんだ。どうした。

深月みつきさん、ですよね? 弥凪くんがいつも好きだ好きだって言ってます」

 あいつ店でもそんなこと言ってるのか。なんて恥ずかしいやつだ。

 店員が壁に飾られている俺の絵を指さす。

「あれを描かれた方なんですよね?」

「……まぁ……はい」

「弥凪くん、休憩はいつも絵がよく見えるあの席で水飲んでました」

「水?」

「はい。口の中に残った雑味で料理の味が変わっちゃいけないからって。ストイックですよね」

「……」

 向かい合って座る店員が他の客に呼ばれて立ち上がる。

「ご注文の際はお呼びください」

 行ってしまった。もう少し話を聞きたかったんだけどな。でもそれはあかりが済ませているか。

 テーブルに置かれた水を飲んでいると、ゆずが店内に入ってきた。手を上げてやるとこちらにやってくる。

「深月さん、お待たせしましたぁ」

「そんなに待ってない」

「よかったですぅ。注文はまだですかぁ?」

「ああ」

 俺は決まっているから、柚のためにメニュー表を広げる。柚は迷うことなく、雑煮スープというかなり謎なものを注文した。

 詩歩はいいだけ迷っていたっけな。

「深月さん、こちらにはよく来られるんですかぁ?」

「……最近来るようになった」

「わたくしも何度か来たことがあるんですよぉ」

「そうなのか」

「前に来たのは半年前ですねぇ。他のお店では食べられない料理が沢山で、うきうきしますねぇ」

「……そうか」

「ところで深月さん」

「ん」

「本日わたくしをお誘いくださったということは、お付き合いしていただけるということでしょうかぁ?」

 飲んでいた水を吹きそうになった。

「……いや……そういうわけじゃ……」

 そもそも誘ったのは俺じゃなくて柚だったはずだ。

「違うんですかぁ? ふふ、焦らなくても大丈夫ですよぉ。わたくし、いくらでもお待ちしておりますからぁ」

 待たなくていいし、待たないでほしい。

「えっと……柚さん、前にも言ったんだけど、俺、人には興味がなくて……」

「しっかり覚えております。ですからこうして好意を持っていただこうと努力しているんですよぉ」

「……そ、そう、か……」

 全然めげなくて怖い。でもまず確認しないと。

詩歩しほから連絡はあったか?」

「まだですぅ」

「……柚さんと詩歩は小学生の頃からの知り合いなんだよな?」

「はい。わたくしが空葉町からはまちに引っ越してきてぇ、詩歩ちゃんとはすぐに仲良くなりましたぁ」

「……柚さんは詩歩と合わなそうなのにな」

「そうですねぇ。独りでいたわたくしに詩歩ちゃんが声をかけてくださって……詩歩ちゃんは誰とでもすぐに仲良くなれるから」

「あいつ、友だち多そうだしな」

「そうなんですぅ。詩歩ちゃんってお友だちが多いのに、わたくしのことをよく気にかけてくださるんですぅ。きっとのんびり屋さんで見ていられないんでしょうねぇ」

 周囲とはテンポのずれている柚の面倒を見ている詩歩が思い浮かぶ。

 俺にも、そんな友だちがいたら、何か違ったのだろうか。

「詩歩とはずっと一緒なのか?」

「はい。ずっと同じ学校ですぅ。わたくしと詩歩ちゃんが通っていた小学校は二年前に廃校になってしまったんですよねぇ。中学校と高校はまだありますけどぉ」

 少子化のあおりかな。空葉町はわりと閉鎖的な町っぽいしな。

「詩歩とは学校以外でも遊んだりしたのか?」

「そうですねぇ……お互いの家に行き来もしますしぃ、学校の帰りにパフェ屋さんやケーキ屋さんにはよく行きますねぇ」

「その店の場所を教えてくれ」

「よろしいですけど……深月さん、詩歩ちゃんのお話ばかり……詩歩ちゃんのことがお好きなんですかぁ?」

「えっ」

 そういう意図はなかったから少し面食らう。

「いや……そういうんじゃない……」

「ふふ、よかったぁ」

 俺が詩歩のことが好き?

 ありえない。

 だって俺が好きなのは死体なんだから。

 でも、詩歩のことは気にかかる。こんなにも誰かを気にすることは滅多にないのに。

 詩歩のことは確かに嫌いではない。はじめは嫌いだったけど……今はそうじゃない。

 柚に、詩歩とよく行く店の名前と場所を聞いていると、注文した料理が運ばれてきた。

 俺はいつもこれだ。この豆腐の油揚げ包みが本当に美味い。はずなのに、今日はなにか違う気がする。

 無言で食べ続ける俺に、柚が話しかけてくる。

「深月さん、聞いてくださぁい。昨日お母様が、わたくしのお洋服を勝手に買ってきてぇ……わたくしにも好き嫌いがありますのにぃ」

 ふーん。自分で買いに行かなくていいなら楽でいいじゃないか。

「お休みの日にお出かけする時もいちいち場所と帰宅時間を訊いてきますし、親というのは鬱陶しいものですよねぇ」

 柚にとってはそうなんだな。俺には親が鬱陶しいと感じる時間などなかったけど。そんな風に雑に思えたらな。

 俺にとって親は恐怖の対象でしかなかった。

 俺が人を苦手に思うのもそのせいだ。

 一番近い家族にさえ好かれなかった俺は、この世にいらない人間だ。

 この空葉町に来るまではそう思って生きてきた。

 ここでも好かれたのは、弥凪や柚のような一風変わった人だったが。

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