第27話 深月の恐怖

 椅子やテーブルに手足がぶつかりながらも、急いで店の外に出て耳を澄ます。

 足音が聴こえない。

 そこまで足が速いなんて最早人間の域を越えている。

 だとすると、弥凪は近くに身を潜めている。

 人が隠れていそうな店と隣りの建物の間の暗い空間を覗く。

 目の前が真っ暗になった。


「……深月みつき! 深月っ!」

 あかりの声がする。

 目を開くと、人形のような灯の端正な顔が深刻そうにこちらを向いている。人形みたいだけど、表情があるからやっぱり人間なんだよな。

 あたりは暗い。まだ夜なのか。

「うっ」

 後頭部がズキリと痛んだ。

「深月っ、何があったんですか?」

「……っ、そうだ……っ、厨房、に証拠が……」

「厨房? 隣りの飲食店のですか?」

 頭が痛い。口を開くのも声を出すのも一苦労で、黙って緩く頷く。

「わかりました。見てくるので、ここを動かないでください」

 動こうにも動けないんだけど、灯がさっさとエウテルペの都の中に入って行く。

 頭がズキズキと痛んでいて、いくらかの時間意識を失っていただろうことから、後ろから殴られたに違いない。

 冷静になって思い返してみると、あれは詩歩しほじゃない。詩歩よりももっと幼い誰かのものだ。

 五分と経たずに灯が戻ってくる。

「特に変わったところはありませんでした」

 なんだって。

「あっただろ……調理台に血の痕とか、人の……」

 弥凪やなぎだ。あいつが痕跡を消して行ったんだ。

「……今何時だ?」

「深夜二時十三分です」

 舟木ふなきのアパート前に集合したのが二十二時頃で、それから詩歩を探していたからおそらく俺が気を失ったのは二十三時前後だろう。それだけ時間があれば食事をして綺麗に掃除まで十分に出来る。

「……くそ……っ」

「深月、情報交換をしましょう。自分は詩歩の家に行きましたが、照明がついておらず、インターホンを押しても応答がなかったことから無人だと思われます」

 そうか。詩歩は家にもいないのか。

「その後住宅街を捜索して舟木のアパート前に戻りましたが、時間になっても深月が来なかったため、二人の捜索を続けてここで倒れている深月を発見し現在に至ります」

 灯の方は特になにもなかったのか。よかった。

「俺は灯と分かれた後……」

 あった出来事を全て灯に話す。

 正ヶ峯しょうがみね弥凪やなぎのことも。

 気のいい奴だと思っていたのに、あんなおぞましい事をしていたなんて。

「……ふむ。正ヶ峯は何故深月を殺さなかったのでしょうか。生かしておくメリットはないように思えますが」

「それは……多分、あいつが俺のファンだから、だと思う」

 今は灯の感情の読めない目が怖い。

「深月の話では感性で動くタイプのようですから、一理ありそうですね。なるほど……よほど邪魔にならない限り、深月は彼に殺されないかもしれません」

 そうかもしれない。俺もそう思う。

「しかし、詩歩はどこへ行ったのでしょうか……深月が見たという人体の一部も気になります。持ち主がいるでしょうから」

「……探そう」

「今夜はいつもの気配は感じますか?」

 なんとなく死体の場所がわかると言っても、本当になんとなくで、かもしれないの世界だ。宝の地図のようにはっきりとわかるわけではない。

「いや……わからない」

「では、自分は正ヶ峯しょうがみねの捜索を優先すべきだと思います」

「え……?」

 詩歩を探していたのに、詩歩を優先しないのか。

「現段階で最も放置できないのが正ヶ峯です。深月、彼が行きそうな場所の心当たりはありませんか?」

「……ない。そこまで親しかったわけじゃないし、家も知らない」

「それは自分が調べます」

「灯は詩歩のことが心配じゃないのか?」

「心配ですよ。でも今は正ヶ峯を野放しにしておけません」

「じゃあ、詩歩の捜索を優先してもいいんじゃないか?」

 人形の目で灯にじっと見つめられる。

「……深月は死体を眺める事が出来ればそれで良かったはずでは?」

 その言葉が、嫌味とか皮肉とかじゃなくて、純粋な疑問の色を持っていたから、言葉そのままの疑問が心にすとんと落ちる。

 俺はそうだよ。大好きな死体を見る事が出来ればそれでよかった。そのために灯を手伝ってトクソに在籍している。綺麗な死体を思う存分眺めるために。

 それだけだったのに。

 俺はいつから、生きている人間をこんなに気にかけるようになっていたんだろう。

 怖い。

 生きている人間を気にかける自分が怖い。

 これまで避けて生きてきたのに。極力深く関わりを持たないようにしてきたのに。

 暖かさなんて、俺にはいらないのに。

「失礼しました。心のないことを言いましたね」

「……いや……そうじゃない……灯は正しい。俺が、間違っているんだ」

「深月……?」

「……正ヶ峯を探そう。あてはないけど……聞き込みくらいなら俺にも手伝える」

「はい。では、一旦家に戻って休養をとってください」

「そんな悠長な……」

「どちらにしてもこの有様では聞き込みなど可能とは思えませんが?」

 灯に習って首を左右に巡らす。

 人通りは皆無だ。

 それはそうだ。深夜二時すぎなんだから。

「朝になったらここに来てください。しっかり休むように」

 焦っても仕方ないな。灯の言うとおり、一度間借りしている部屋に戻ろう。

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