第24話 すれ違い


 約束の時間に着くように、教えてもらった住所まで歩いていく。

 住所の場所に、白い外壁の塗装がところどころ剥がれた昔からありそうなアパートが見える。あれが怪しい男が住んでいるというアパートだろう。鉄の階段にも錆が見える。各部屋の玄関扉はむき出しで、どこから誰が出てきたかがはっきりとわかる。

 アパートの正面が見える塀の前にあかりがいた。

 道の前方から、おそるおそるという様子の詩歩しほが携帯片手に歩いてきた。俺に気づいて駆け足で寄ってくる。

「ひ~ん……家まで迎えに来てもらえばよかった~……」

 まだなにも起きていないのに既に半泣きの詩歩が、少し離れたところに灯がいることにも気づく。

「灯ちゃ~ん……ここ、怖い人がいるの?」

 俺に近寄りかけていた詩歩が方向転換して灯の方へと向かう。

 だよな。灯は動じないし、腕っ節も強いし、懐も深いし、頼りになるよな。

「怖い人かはまだわかりませんが、様子のおかしい人ではあります。自分が見たところクロでしょう」

「……刑事の勘、みたいなやつ?」

「いえ、経験則です。犯罪を行う者特有のぎこちなさが表れていました。周囲を探るような視線、動作、息づかいがよく見慣れたものだったので」

「へ、へぇ……」

 灯が口元に人差し指を当てる。

「出てきました」

 思わずなんだろう。詩歩が両手で自分の口を覆って静かになる。

 一階の部屋から出てきた男が夜の中に歩いていく。手にはなにも持っていない。顔は……ちょっと遠くてはっきりとはわからないが、舟木ふなきとして見せられた写真の男で間違いなさそうだ。

 舟木が少し進んだところで、灯が片手を軽く振って、ついてこいと合図をくれる。灯は自分のコートの袖をつかんでいる詩歩をちょっと気にしながら、でもなにも言わずに歩き出す。俺もそれに続く。

 舟木は街灯のある道を歩いていく。たまに左右を気にする素振りがあやしい。

 他に人気はない。どんどん暗い方へと歩いていく。

 舟木が小さな公園に入って行った。

 灯から、制止の意味だろう手が出される。

 俺たちは公園の中には入らず、防護柵の脇から様子をうかがう。

 ベンチに座った舟木の顔がぼうっと照らされる。

 詩歩が囁く。

「……たばこ吸ってるだけ……?」

 十五分くらい経過しただろうか。

 舟木はたばこをふかすばかりで立ち上がる気配がない。

 灯にじっと見つめられる。

「……ちょっと自分がおとりになってきます」

 え。

 引き留めようとするより早く、灯が長い髪を結って立ち上がる。更にコートのポケットからマスクとメガネを取り出して装着した。

 散歩みたいな感じで堂々と公園に入って行く灯を見送る。

 おいおい。何考えてるんだ。やっぱり止めるべきだったよな。驚きすぎて反応が遅れてしまった。ああ、もう舟木に近い。今から連れ戻すなんてもう無理だ。

 こういう時詩歩なら飛び出して行ってしまうかもしれない。

 そうだ、せめて詩歩が飛び出さないようにしないと。

「…………」

 振り向くと、詩歩が震えながら灯の方を見ていた。

 全然飛び出していきそうな様子はない。寧ろなにかが起きても動けないような感じまである。

 灯よりもこっちを気にしてやった方がいいかもしれないな。

「……ねえ、君」

 舟木が灯に声を掛けた。

 息を殺して背後から襲うんじゃないのか。声を掛けて油断したところを襲うつもりなんだろうか。

「こんな夜遅くにひとりで出歩くなんて危ないよ。気をつけて」

「……はい」

 舟木は座ったまま灯に声を掛けただけで、動こうとはしていない。

 灯も舟木を通り越して、反対側の出口から公園を出て行った。

 なにも起きなかった。

 いや、まだだ。このあと灯のあとをつけて犯行に及ぶかもしれない。

 舟木を注意深く観察するが、何本目になるかわからない新しいたばこに火をつけている。

 更に五分ほどが経って、見慣れた姿の灯が音もなく戻ってくる。

 舟木は動かない。

 おかしくはないだろうか。

 俺にはたばこを吸う習慣がないからわからないが、深夜の公園で二十分も三十分もたばこを吸うのは普通なんだろうか。家に帰りたくない理由でもあるならわからなくはないが……灯からの情報では家族の話はなかった。

 舟木がたばこの火を消して立ち上がる。

 慌てて詩歩の腕を引き、公園からそっと離れて茂みの影に隠れる。

 足音が近づいてきて、規則的な音で遠ざかっていく。

 公園に来た時同様に、一定の距離を保って舟木のあとをついていく灯につづく。

 舟木は来た道を通って、アパートの自分の部屋に帰って行った。

「……灯、舟木は独身か?」

「はい。少し引っかかりますね……何故わざわざ公園でたばこを……」

「これからどうする? まだ張り込みを続けるのか?」

「……ええ。自分は残ります。まだ舟木の疑いが晴れたわけではないので」

 ところでさっきから寒気がする。

 寒気というには心地よい空気感を右側から感じる。

「……灯、俺行かなきゃ」

「はい? 一体どちらに?」

「あっち」

 右の道路を指さす。

 たったそれだけで灯が血相を変えた。

「そういうことか……! 深月みつき、先導してください」

 詩歩が灯のコートの袖をつかむ。

「えっ、待って灯ちゃん、どこ行くの?」

「舟木は囮です。犯行は既に別の場所で行われている可能性が高い」

 詩歩が首を横に振る。

「ちょ、ちょっと待って。あのアパートの人はほっといていいの?」

「現時点で彼がなにかをしたという証拠はありません。……しかしこれから行動を起こさないとも言えませんね。二手に分かれましょう。詩歩は深月に同行してください。自分はここに残ります」

「ええ~……灯ちゃんと一緒がいい」

 わがままだな。どうしてこんな時にわがままが言えるんだろう。逆にすごいとすら思う。

「舟木はこれから犯行に及ぶ可能性があり危険ですが、深月の方は既に手遅れでしょう。そちらの方が危険はないかと」

 いや、その言い方だと俺が殺害したみたいだな。

 詩歩がしぶしぶ頷く。

「うー……わかった」

 つきたくなるため息をなんとかこらえて、寒い方に歩いていく。

 コートが後ろに引かれて何事かと思ったら、詩歩に捕まれていた。

「……歩きにくいんだが」

「ちょっとだけだから、お願い……!」

「……」

 確かに詩歩の言うとおり指で少しつまんでいるだけみたいなもんだけど。

 そのまま無言で進み、たどり着いた先には少女の死体があった。

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