第23話 詩歩の後悔
緊張感のない音が己の腹の底から鳴る。
今日は朝早くから大学に行ったから朝食を抜いている。
昼食はとらない主義だが、流石に今日はそんなことは言っていられない。
あの店に行くか。
エウテルペの都の看板に視線を置きながら店のドアを開ける。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「……は、はい」
「お席にご案内いたします」
「あ!」
店員に続こうと歩き出すと、背中に大きな声がかかった。
振り向くと、
「……なんでいるんだ」
詩歩が立ち上がる。
「ごはん食べに来ただけだもん」
詩歩がいる席の横の通路に弥凪もいる。
「あっ、
「そんなわけないだろ」
「ええ~? じゃあ詩歩ちゃんと待ち合わせ? どーぞ」
弥凪と知り合いだったことで、俺を案内してくれようとしていた店員が下がる。
弥凪が道を開けて、詩歩の前の席をすすめてくるものだから、仕方なくそちらに座る。
目の前の詩歩があからさまに嫌そうな顔をした。
おい、なんでだ。待ち合わせ説否定しなかっただろ。
弥凪がメニュー表をくれる。
「決まったら呼んでね~。オレ、あっちにいるから」
厨房に向かう弥凪の背中を詩歩と無言で見送る。
「
「……悪いか。っていうかお前だって」
「え? 私は」
詩歩が言い掛けて、すぐに天を仰いだ。
「……はぁ……ごめん。悪いとかそういう意味はなくて、ただの質問だよ」
勝手に勘ぐって悪い風に捉えてしまった。謝るのも気恥ずかしい。
「……そう、か」
「うん。真野さんはひとりが好きなんでしょ」
「……」
どうとも返事が出来ずにいると、詩歩がメニュー表を開いた。
「どれにしよっかな~」
「まだ食べてなかったのか」
「うん。さっき来たばっかりだから」
一昨日の夜会った時よりも、昨日この店で話した時よりも、詩歩の態度が柔らかい気がする。
なんか……今まで苦手だと思ってたけど、今はそんなことないかもしれない。
「……」
どうしよう。同じテーブルについたはいいが、話題がない。
こんな明るい女の子と一体なにを話せばいいんだ、俺は。
あ、そうだ。さっき
「あ、あの、詩歩」
詩歩の目はメニュー表の上を泳いでいる。
「ん~?」
「さっき、灯があやしい男を見つけたって教えてくれて」
詩歩の手のひらが目の前に突き出される。
「ちょっと待って。料理決めてから聞くからちょっと待って」
「…………」
今聞く気は全くなさそうだ。
メニュー表を見る詩歩のうなり声が聞こえなくなるまで黙って待つ。
「よし、決めた。すみませ~ん!」
元気よく片手をびしっと上げて店員を呼ぶ詩歩にちょっとびっくりする。急に大声を出したから。
弥凪ではない店員が来て、詩歩と一緒に注文を済ませる。
「で? 灯ちゃんなんだって?」
灯から聞いた情報をかいつまんで詩歩に話す。
「……その
「ああ」
「わかった」
頷いた詩歩に、ちらちらと顔を見られる。
なんだ。なにか言いたいことでもあるんだろうか。
こちらからも詩歩の目を見ると、ばちっと視線がかち合う。
「あっ、あのね、ちょっと、訊いてもいい?」
「……なんだ?」
「変なこと言うけど……真野さんも、幽霊とか? みたいなの、見える人?」
「は?」
突拍子のない話に、創作物みたいに口をぽかんと開けてしまった。
「その反応はどっちのやつ……? 今更なに当たり前のこと言ってんだこいつの方? そんなもの存在するわけないだろの方?」
「えっと……後者だ」
探るような様子だった詩歩が短く息を吐く。
「灯ちゃんには見えてるんだよね?」
霊感ないとは言ってた気がするけど……ああ、特異能力が見えるからこんなことを言ってるのかもしれないな。
「真野さんと灯ちゃんが大学に来た時に、灯ちゃんに言われたんだ。私に、女の子がついてるって」
詩歩の顔が真剣というか深刻だ。本当に怖がりだな、こいつは。
「じゃあ、真野さんにはなにも見えないの?」
「俺にはなにも」
「そう、なんだ……私、呪われてるのかな……?」
呪われてる? もしかして、詩歩にはその女の子に心当たりでもあるんだろうか。
「……どうしてそう思う?」
詩歩の視線が落ちる。
「……見て見ぬふりを、したんだ、私」
「お待たせしました~」
店員が料理を運んで来る。
湯気が上がっていておいしそうだ。
でも今は真面目な話をしているから、これはちょっと脇に置いて……。
「わあ! おいしそう! いただきま~す!」
「…………」
そうだな。冷めたらもったいないもんな。
食事を終えて、水を飲む。
詩歩がとなりのテーブルの奥を指さす。
「あれ、真野さんの絵でしょ」
見ると、確かに俺の絵だ。弥凪が買って行った絵がスタイリッシュな額縁に入れられている。
「……ちゃんと飾ってあったんだな」
「押し売り?」
「
「そうなんだ……綺麗だね」
「それは……どうも」
詩歩は絵を見たまま、口を開く。
「ねぇ、真野さんって、過去の後悔とかある?」
「後悔……? ……特に思い浮かばないな」
「そっか……。私はね、あるんだ。すっごく大きな後悔」
「……それは、どんな?」
「さっきの、見て見ぬふりした、ってやつ。……中学一年生の五月だった。学校の帰りの川辺で、幼馴染みの女の子が、知らない大人の男の人と揉めてるのを見て……でも、私は怖くて助けに入ろうとか思えなくて、逃げちゃって」
今の詩歩なら迷わず止めに入りそうだけどな。いや、どうだろうな。怖がりだから。
「それで次の日、その子のバラバラの遺体が発見されて……」
詩歩の声が震えを帯びる。
「私があの時声を掛けてたら、助けを呼んでたら、あの子は助かったのかな、って、ずっと考えるんだ。私になら、助けられたかもしれないのに……って」
だから、だったんだ。
詩歩が俺を嫌悪していたのも、損壊を行う犯人を許せないと言っていたのも、怖がりなのも、全部、過去の事件があったからだったのか。
詩歩が不安定な深呼吸をする。
「灯ちゃんに女の子がついてるって言われて、やっぱりって思った。あの時逃げた私を恨んでるんだろうなって」
そう思ってしまうのは仕方ないことだと思う。
「私、町のためだとか家族のためだとか偉そうなことを真野さんに言ったけど、結局は怖かったからなんだよね。捜査に協力して、許されたかっただけなんだ」
「……それでも、立派だと思う」
詩歩が首を横に振る。
「今度こそは逃げたくないって思ってたのに、特異能力がわかって自分にがっかりしちゃった」
「どうして……?」
「ほら、遮断の能力ってさ、要するに見たくないものを見ない力でしょ? 嫌なものは遮って拒絶する力なんだ。臆病者にふさわしい能力だなぁって、私はやっぱり変われないんだって、思い知った」
「……いや、でも、特異能力は人の本質とは違うだろ……」
「変わらないよ。私が拒絶したかったから、そうなったってことでしょ? そう考えたらさ、真野さんの修復は優しい力だなって思う」
「……俺のは……そんなものじゃない……」
うまくは言えないけど、どちらかと言うと俺は
あんなに明るくて悩みなんてなさそうだと思っていた詩歩が、こんなに様々な思いを抱えていたとわかって、胸のあたりがざわつく。
そんな思いを持ったままでも誰にも気づかれないくらい明るくいられるなんて、そんな風にいられたら、俺も。
「あはは、ごめん。なんか暗い話しちゃった! 私、こんなだけど、灯ちゃんのそばにいていいのかな」
灯はこのことを知っていたんだろうか。警察なら下調べ出来そうだ。協力させるための理由に利用したのかもしれない。
いや、あの時灯は俺とずっと行動を共にしていた。そんな暇はなかった。
「……灯は、大丈夫だろ。心配なら本人に訊け」
「うん……そうだね。灯ちゃん、真野さんと一緒にいられるくらいだもんね」
「……おい」
笑う詩歩にため息を返して、席を立つ。
「じゃあ、俺は仕事に戻る」
「うん。またね、真野さん」
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