第22話 張込みの成果


 午後をまわり、大学を出ていつもの画廊前に戻る。

 そこにあかりがいた。

深月みつき、お疲れさまです」

 確かに大学に行って疲れたけど。

「え……見てた……?」

「いいえ。単なる挨拶です」

 灯のこのなんでも見透かしているような言動にはまだ慣れない。

「灯は……休憩か?」

「それと報告も。先日から張り込んでいる現場ですが、さきほど挙動の実にあやしい男が現れまして」

「え……捕まえたのか?」

「いえ。今泳がせています。居住しているアパートを突き止めてありますので、今夜尾行します」

「昼間犯行に及んだりはしないのか?」

「昼間は警察の別の者が張り付いていますのでご安心を」

 そうか。ついに現れたのか。

 灯がコートの中から写真を取り出す。

「対象は舟木ふなき亮一りょういち、三十六歳。空葉町からはまち一丁目のアパート・アルカディア一○二号室在住。ハウスメーカーの社員です」

 写真には、しわのないシャツに紺色のスーツを着た二十代後半にも見える男が写っている。髪も整えられていて真面目そうだ。

「無職とかじゃないんだな」

「そのようですね。ここ数ヶ月の勤務態度を調査しましたが、遅刻欠勤なし、よからぬ噂もなしで真面目そのものです。同僚も調査しましたが、犯行が行われたと思われる時刻には全員アリバイがありました」

「会社ぐるみではないんだな」

「はい。ところがですね、先日我々が確保した現行犯・永井ながいが警備会社の社員なんです」

 なにか関係あるんだろうか。ハウスメーカーと警備会社って。

「舟木の勤めているハウスメーカーと永井の警備会社に繋がりはみられませんでしたが、永井は二年前に新築住宅を購入しています」

「あ、それが舟木のハウスメーカー……」

「はい。こちらも交友関係諸々調査中です。先に拘留していた二名に繋がりはありませんでしたが、舟木や永井との接点はあるかもしれません」

 すごいな。調べたらつながりが出てくるものなんだな。

「そういえば、被害者と加害者に関係はないのか?」

「そちらは何も出てこないんです。全くの他人を対象としているのでしょう」

「そうか……」

 でも捜査が進展している。

「殺害の動機が怨恨ならもっとわかりやすかったのですが、動機が見えないのが恐ろしいですね」

「動機は損壊させることそれ自体だろ」

「深月にはそう見えましたか?」

「……ああ。他に精神的な動機があるなら、もっと醜悪に崩すんじゃないかと思う。あの子たちは、ただ損なわれていた。だから、犯人は生きていたあの子たちに興味はない。なんていうか……作業、みたいな、そういう目的で壊されたような……俺にはそう見えた」

 灯は何度も頷きながら俺の話を聞いてくれた。

「なるほどなるほど……流石です、深月。死体への洞察力は他の追随を許しませんね」

「……それほどでも」

「それにしても……作業、ですか」

「いや、それは例えで……」

「自分は、損壊なんて派手なことをするような犯人なら、その行いを誇示したい反社会的組織なのではないかと踏んでいたわけですが。そもそも犯行声明のない組織ですから、深月の言う通り作業の方がしっくりきますね。何者かの指示で下っ端が解体作業をしている、か……」

 そう聞くと、なんだか魔術とか生け贄とか、そんな話が思い浮かぶ。

 いやいや、中世ヨーロッパならともかく、現代日本で、そんな……と思いかけて、特異能力で事件を解決しようとしている目の前の灯に、今俺が置かれている状況を思い出す。

 とんでもなく非現実的なことの中に、既にいた。

「はぁ……もうなんでもありな気がしてくる……」

「なんでもありは素晴らしいですね。でしたら自分は亡くなった人を蘇らせています。深月には悪いと思いますが」

 灯はここ空葉町で姉を亡くしたと言っていた。それで事件を追っているとも。生き返ってほしいんだろうな。そんなことは不可能だけど。

「え……いや……俺だって、そんなことができるなら、そっちの方がいい。誰も、死なない方がいいに決まってるだろ」

「意外ですね。深月なら死体がなくなったら悲しいと言うかと思ったのに」

「あのな……まあ、それはそれだ」

「深月は…………ご両親に生きていてほしくはなかった……?」

「……それはそれだ」

 灯が暗い空の絵に視線を落とす。

「深月はいつから絵を描いているんですか?」

「いつ……? ……さあ? 覚えてないな」

「習ったりはしていないんですよね?」

「ああ。自己流だ」

「自分は美術に造詣が深いわけではありませんが、深月の絵には一貫性がありますね。まるで先生がいるみたいに」

「先生なんていない」

「そうなんでしょうけど。でしたら、絵での成功体験があるとか」

 成功体験なら確かにある。

「中学生の時に、入選したことがある」

「そうでしたか。それは絵一本でやっていく大きな自信になりますね」

「ああ」

「自分も、その入選した絵を見てみたかったです」

「置いてきたから、もうないと思う」

「それは残念です。ところで、どんな絵だったんですか?」

 よく覚えている。あれが旅のはじまりだったんだから。

 灯になら言っても大丈夫だ。

「オフィーリアだ」

「ハムレットの?」

 灯が知っていたようだったから頷く。

 戯曲『ハムレット』の中で入水自殺したオフィーリアの絵画は様々な画家が描くほどの題材だ。俺も俺なりのオフィーリアを描いた。

「なんとも深月らしいですね」

 やっぱり灯は気味悪がることなく笑ってくれた。

 近づいてきた初老の男性が遠慮がちに声をかけてくる。

「すみません。絵を、見せていただきたいのですが……」

 客だ。

 灯が軽くお辞儀を落として一歩下がる。

「では、また後ほど」

 俺も灯に軽く頭を下げてから、客の対応に移った。

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