第20話 朱ゐ黎
「無理ぃ……! ほんと、無理だからぁ……!」
半泣きの
逃走者騒動ですっかり失念していたが、そもそも俺は死体の気配を感じてここに来たのだった。だからここにはそれがいて当然だ。
灯が指したところには、右目をくり抜かれ右手の手首から先を切り取られたような男の子がいる。
すぐ真横まで近づいて状態を確認する。びくともしない体はもう息をしていない。眼球を失くした眼孔はただの孔と化していて、手首の断面は機械を使ったのかと思えるくらい綺麗に、肉と骨を断っていた。
「……灯、そいつ、凶器持ってなかったよな?」
「ええ。凶器どころか財布や身分証さえ所持していません。……断面は綺麗ですか?」
「そうだな。こんなこと、素手では絶対に無理だ。いや、ナイフでだってこんな風には……」
壁に
すぐそばにいる灯が素早い動きで男の首に腕を押し当てる。
「もうお目覚めですか。あの男の子を殺したのは貴方ですか?」
「…………」
男は何も答えない。目の焦点も合っていないような気がする。
「どうやったんです?」
「…………」
「実に綺麗な切り口です。こんなこと、普通の人間には不可能です。……正に”神の
男の口角が微かに上がる。
「……そうだ! これは神の御業! 我々は神に遣わされた存在!」
得意気に話し出した男に、灯の形のいい眉が歪む。
「……“我々”? 貴方たちは、神の御業を集団で行っているの?」
「…………」
「そうか……集団……やはり組織化しているのか……貴方たちの神って、誰なんですか」
「…………」
「それは本当に神なんですか。神は本当に存在するのですか」
「神はおられる! 『
「あかいくろ……? それが貴方たちの組織の名称?」
「…………」
「ああ、力のことは別に疑っていません。本物でしょうね。で、どうやったんです?」
「…………」
それきり、灯が何を訊ねても男は口を開かない。
「ふむ。これ以上は無駄ですね。警察に引き渡しましょう。
灯が警察に電話をかけ、話し始める。
灯に言われたとおり、拘束されて逃げられずにいる男をただ見る。
こいつも俺達のように特異能力を持ち、俺達とは違ってそれを悪用している。
そこで俺はふと、疑問に思った。
「特異能力ってのは、どうしてあるんだ?」
「さあ? この世には説明がつかない不思議な事の一つや二つはごろごろしているものですから」
「俺の特異能力は俺自身のトラウマから生まれたって言ったよな? 特異能力はトラウマを持つ人にしか現れないという事なのか?」
俺の疑問に、灯は少しだけ考えてから答えてくれる。
「自分に出来るのはそうですね……特異能力を生み出せるだけの心的外傷を持つ人間の、秘められた能力を引き出す事です。誰も彼もに特異能力が見えるわけではありません。でもそれはあくまでも自分の能力の範囲での話です。特異能力とは、ある条件下の人間だけが持つものなのか、誰もが持っているものなのかは実際のところ判断のしようがありません」
要するに、特異能力については灯にわかる範囲のことしか判明していないということか。
「……どんなトラウマがあるかっていうのは、勿論一人一人違うわけだよな。つまりは同じトラウマを持っていなければ同じ特異能力にはならない」
「自分自身、特異能力が見えるだけでどんなトラウマを持っているのかまでわかるわけではないので、なんとも言えませんが……」
灯は一旦言葉を切ってからすぐに続ける。
「ただ、複数人が同じ出来事を経験しても、そこから受ける心の外傷の質も重みも意味も、各々異なるでしょう。どう感じるかが人それぞれな以上、同じ体験でも同じ能力になるとは言い切れないと思います」
俺は少し勘違いをしていた。
トラウマ自体が能力の種類に関係しているわけじゃないのか。
「ああ……自分がトラウマに起因した能力と言ったのでトラウマとなる出来事自体で能力が決まると、……それなら
大正解だ。
組織になるくらいなら大勢の人間がいるのだろう。大勢が一斉に関わる目ぼしい大きな事故か何かがあれば構成員の特定が出来ると思った。
でもそれは勘違いだった。
「だから
唐突に自分の話題になってどきりとする。
「深月は過去に負った心的外傷から、おそらく何かを『修復したい』と強く思う事で修復の力が生まれた。そんな風に能力に直接関わるのはトラウマというよりもそこから何を思ったのか、そちらですね」
修復したい?
俺が、何かを修復したいと願ったのだろうか。
俺はたぶん余程不可解な顔でもしていたんだろう。
俺の表情に気づいた灯が自らが発した言動を補う。
「深月の修復に関してはただの自分の想像です。修復を行うことが何か他の喩えなのかもしれませんし。自分が言いたかったのは、特異能力は人の強い思いから生まれるという事です」
そうであるならば。
人の体を綺麗に切断できるという特異能力はどのような思いから生まれたものなのだろう。
綺麗に壊したい?
そんなこと、何があれば思うようになるのだろう。
何より、それは本当に大勢の同じ思いからのものなのだろうか。
朱ゐ黎がわからない。
動く気力すら無くしてしまったように力なく腰を下ろしている男を思う。
警察の制服を着た男がやってきて、灯と短いやり取りをしている。
「自分も同行します。深月、あとはよろしくお願いします」
フラフラと
残された俺はいつものように、男の子の前に座って白紙のページに五体満足で微笑む男の子の姿を創造する。
夢中で描いて、元の姿に戻った男の子を見て思う。
「……綺麗だ……」
綺麗すぎて心が苦しい。
苦しくて、悲しい。
綺麗なものを見ると胸がつまる。悲しくなる。
「……うっ……く……っ」
涙が止まらない。綺麗で、悲しくて、どんどん溢れてくる。
「……
詩歩は、まだいたのか。
静かだからもう誰もいないと思っていたのに。
「……ぐすっ……もう、能力解除していいぞ……終わったから」
「……う、うん……」
いや、そういえば警官が来る前に解除してたな。
じゃあ、詩歩はなんでまだここにいるんだ。
「詩歩はもう帰っていい……俺がここにいるから」
「えっ、いやいや、無理だよ! あんなことがあって一人で帰るなんて怖くて無理!」
本当に怖がりだな。
「……じゃあ、ここにいるしかないな」
「ええ?! そんなぁ! 真野さんと死体と一緒も怖いし気持ち悪い~……!」
こいつ……。
「……じゃあ帰ればいいだろ。怖いだけの方がましだろ」
「うう~……じゃ、じゃあ……気持ち悪い方が……まし……」
「…………」
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