第19話 確保
日が落ちたので仕事を切り上げて一旦帰宅し、約束の時間にまた画廊の前に戻って来る。
「まだ誰も来てないのか……」
安心したのか、自然と息が深く吐き出された。
ここ最近変な夜の仕事の所為もあって、人とのつながりが増えた。疲れを感じているのはそのためだと思う。
放浪生活をはじめてから、たった一人で生きてきた。
一人きりの時間が長くて、誰かと関わって会話をしてつながっている事が、こんなにエネルギーを使う事だなんてすっかり忘れていた。
いや、生まれて初めてだ。
こんなに誰かと一緒にいたり、言葉を交わしたりするのは。
だから、これまで全く知らなかった事に心を砕くのは、とても疲れる。
五分後にふたりと合流する。
自然と、俺の少し後ろを
「
「うー……ん……あっちの方か……?」
本当になんとなく、死体の感じがする方に足を向けて歩く。
後ろの詩歩が歩調を少し緩めて、灯に小声で話しかけている。
「あ、灯ちゃん、私も一緒に行かなきゃダメ……?」
「お気持ちは察しますが、ついて来てほしいですね。それに、今更こんなところでひとりになるのもどうかと思います」
「う……それはそう、なんだけど……ああ~、う~、じゃあ行く……」
しぶしぶといった詩歩の声が聞こえて、死体のもとに小走りで駆けつけたい気持ちの俺はつい遠くを見てしまう。
十分ほど歩くと、“それ”の空気が濃くなった気がした。
進行方向の建物と建物の狭い隙間……奥は真っ暗で何も見えない。見えないが、いつもの空気よりも生ぬるい感じがする。
「…………止まれ。なんか変だ」
息を殺して様子を伺うと、奥で人が動く気配がした。
ここにいるのは生きていない体の筈だ。
なのに、どうして空気が動くのだろう。
それはつまり、まだ生きている人間がそこにいるという事だ。
生きている人間の息づかいが聞こえたと思った瞬間、そいつが地面を蹴る音がした。
「っ?!」
突如飛び出して来た大きな塊に体当たりされて横によろける。
俺に当たって通りの方へ向かう足音と、こちらに駆けてくる軽い足音が耳に届いた。
「灯ちゃん?!」
しっかりと地面に両足をついて立ち、ただ事ではない後ろを振り向く。
振り向いた俺を出迎えたのは、灯のとび蹴りが誰かにヒットした瞬間だった。
大きな通りに出ようとしていた巨体は派手な音を立て、地面を転がり再び俺の方へと戻ってきた。
「詩歩!」
「う、うん……っ」
すぐに詩歩の短い歌声が聞こえてくる。
「深月! しっかり取り押さえて下さい!」
「えっ……?!」
灯の言う通りにしようと、倒れている男の上に乗ろうとする。が、あっさりと振り払われてしまう。
今度は俺が地面と顔を合わせる形になった。
「チッ……」
慌てて視線だけを灯に向けると、尚も逃げようとする男が突進しようとしているところだ。
助けなきゃいけない。
でも二人のところまでは数メートルの距離がある。
間に合わない。
大柄な男と小柄な灯では、ぶつかった時どちらが勝つかなど目に見えている。
逃げてくれ。
その俺の思いと裏腹に、灯は男の懐に飛び込む。
灯の右ては流れるような動きで男の胸倉を掴み、左手は男の右腕を取った。そのまま膝を折って、勢いのついていた男を背負うようにして前に投げ飛ばす。男が背中から地面に落ちた。
「……確保」
灯は男の右腕をしっかりと持ったまま、慣れた動作で手首に金属の手錠をはめた。
「公務執行妨害ですか」
「………………おお」
感嘆の声を漏らしながら、一仕事終えた灯の元へと小走りで近づく。
地面に押し付けられて半身の自由を奪われた男だったが、まだ諦めてはおらず、灯を倒そうと体を起こしかける。
「うわっ」
咄嗟に、持っていたスケッチブックの角を男の後頭部に叩きつけた。
男の体が再び地面に沈む。
その隙に灯が、男のもう片方の手を手錠の輪に収めた。
後ろ手に手錠で拘束された男は、スケッチブックの当たり所でも悪かったのか、意識を失っているようだ。
建物の外壁に背を凭れかけさせたぐったりとしている男と、スケッチブックをぎゅっと胸に抱いている俺とを、灯が交互に見る。
「……よかったですね。これでさっきの失態は帳消しになりましたよ」
「……悪かったな」
灯の視線から逃れるように奥に目を向けると、詩歩が呆然と立ち尽くしている。そういえば、こいつもいたんだった。
「大丈夫か……?」
「か……」
詩歩は瞬きをせずに俺の奥を見つめている。
「かっこいい!!」
興奮した詩歩が灯に駆け寄り、両手を取ってぶんぶんと上下させる。
詩歩にされるがままの灯は、珍しくきょとんとした表情で固まった。
「何?! 灯ちゃん、どうしたの?! なんでかっこいいの?!」
灯は詩歩のすごいテンションに置き去りにされて困惑している様子だ。
確かに俺もかっこいいと思ったが、灯がなんでかっこいいのかの理由は詩歩も知っている筈だ。
「自分は、警察の人間ですから……」
「そういえばそうだったね! ねぇ、今のって何かの技?!」
「普通に……背負い投げ、ですけど……」
すごい。
あの灯がたじたじになっている。
「どうしてそんな技出来るの?」
「普段から訓練があるので……」
「力ないんだけど、私でも出来るかな?」
「ええ、まあ。力で投げるわけではありませんから、練習すれば誰にでも出来ると思います」
「ほんと?! どうやるの?」
「は……」
目をきらきらと輝かせて柔道を習おうとする詩歩に、灯が固まった。
しかし流石は灯だ。すぐに気を取り直して話を続ける。
「背負い投げは向かってくる相手の勢いを利用してそれを受け流す技です。なのでそれほど力は要りません。重要なのはタイミングと膝のバネですね」
「うんうん」
手を動かして詩歩に体勢を教える灯を俺もなんとなく見る。
不意に灯の動きがぴたりと停止した。
何か起きたのかと俺も息を詰める。
「……と、こんな事をしている場合ではありませんでした。深月、その子の修復をお願いします。詩歩もこちらへ来て下さい」
「ひぃ~……あるの……?! そこにあるの……?!」
灯は気絶している男がさっき出てきた真っ暗な奥を指差す。
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