第17話 空葉ルーテル学院大学1

 翌朝、スケッチブックを持って空葉からはルーテル学院大学の門の前で立ち止まる。

 前に来た時はあかりが一緒だったからよかったけど、こんなにも俺に縁遠い場所にひとりきりで入るなんて……入っていいんだろうか。大学なんだから、年齢だって様々な人がいるだろう。ただの学生に見えるだろう。大丈夫だ。不審者だと思われたらどうしよう。本当に入っていいのかな。

 門の前でうろうろうだうだしている俺の眼前に、細めの女の子がひょこっと現れた。

「なにをされているのでしょうかぁ?」

 完全にお嬢様みたいな見た目の子にのんびりと話しかけられて、これまで会ったことのない人種に戸惑い以外の気持ちが持てない。

「……え、ええと……その、中に、入っても、いいんだろうか……俺は……」

 女の子はおそらくここの学生なんだろう。門の奥にいる。

 おどおどしていて完全に不審者系の俺に、女学生らしき子がにこりと微笑んでくれる。

「どなたでも自由にお入りになってくださぁい。構内の見学でしょうかぁ?」

「いや……あの……人を、探していて……」

 女の子は何かをひらめいたことが嬉しそうに、手をポンと打つ。

「失礼いたしましたぁ。まだ名乗っておりませんでしたねぇ。わたくし、空葉ルーテル学院大学一年人間科学学部の河和かわわゆず、と申しまぁす」

 テンポが独特な子だ。会話らしい会話は可能なんだろうか。

「あなたはどちらさまでしょうかぁ?」

「俺は、真野まの深月みつき

「まぁ! 深月さんとおっしゃるのですねぇ。なんてすてきなお名前でしょう」

「それは……どうも」

「人探しですねぇ……お名前はおわかりでしょうかぁ?」

 あ、人探しの話に戻してくれた。

「ん、と……平塚、詩歩しほって人で」

 ずっとにこにこしていた河和かわわさんが笑うのをやめて首を傾げる。

「詩歩ちゃん……?」

「知り合いなのか?」

 ゆっくりと笑顔を戻した河和さんが、ゆっくりと頷く。

「ええ。小学生の頃からの友人ですぅ」

 すごい偶然だな。平塚さんのことを知っている人にいきなり会えた。その上、幼なじみというやつじゃないか。

「詩歩ちゃんならもう教室にいるんじゃないかしらぁ。いつもわたくしより先に学校に来ていますからぁ」

 へぇ。なんとなくだけど、平塚さんは騒々しくて、早とちりするような印象だったから、常にバタバタしていて朝も遅刻したりギリギリだったりしそうと思っていたけど、真面目なんだな。

 そういえば昨夜も、町のためとか家族のためとか、ちゃんとしたこと言ってたな。

 ちょっと思考している間に、スケッチブックを持っていない方の腕を河和さんに抱え込まれた。

 唐突に触れた温度に寒気がする。

「ちょ、河和さん……?!」

「深月さん、柚とお呼びくださぁい。河和さんだなんて、少々冷ややかではありませんかぁ?」

 唇の先を少しとがらせた柚に、女子大学生がわからなくなる。

 つい数時間前には名字の呼び捨てで怒られたのに、今は下の名前を呼べとせがまれている。

 まあ、本人がそうしてほしいって言うんだから、いいだろう。

「じゃ、じゃあ……柚、さん」

「ふふ、はぁい」

「これは、その……なんだ……?」

 俺の腕にしがみついている柚を見下ろす。

「わたくしが詩歩ちゃんのところまでご案内いたしますねぇ」

 ご案内というか、ご連行みたいな感じで門をくぐって、敷地内を歩く。

 歩きにくいし、なんだこの状況は。

 とても恥ずかしい。

 というかなんなんだこの子は。

「深月さん、詩歩ちゃんとはどういうご関係で?」

「え? ……あー……どういう……?」

 なんだろう。同僚、のはずなんだけど、そう答えていいんだろうか。

 でもトクソのことは言わない方がいいんだよな。

「あ、詩歩ちゃ~ん」

 柚が向いている先を探すと、昨夜喧嘩別れした顔が横目でこっちを見ている。

「詩歩ちゃぁん、深月さんがお探しですよぉ」

「……柚、その人から離れた方がいいと思う」

「どうしてですかぁ? もしかして、詩歩ちゃんと深月さんって」

「あー!! 違う!! それは絶対にない!!」

 柚に腕を強く引かれて、バランスを崩す。

「でしたら、わたくしが深月さんの恋人になってもかまいませんねぇ」

「え?!」

 驚愕の声が平塚さんと重なった。

 なんだ? 今、なにを言われたんだ?

 そもそも誰なんだ、この子は。いや、名前は聞いたけど、どうして名前しか知らないような相手に急に……もしかしてこういうの、空葉町で流行ってるのか?

「絶対にやめた方がいい! ダメ! っていうか柚、この人のこと知ってるの?!」

「さきほど学校の前でお会いしましてぇ」

「さっき会ったばっかりってこと?! それがどうしてそうなるの?!」

「お恥ずかしながら、一目惚れいたしましたぁ」

 俺が訊ねたいことは全部平塚さんが訊いてくれたが、俺と一緒になって平塚さんも黙ってしまう。

「深月さん、わたくしと交際してくださいませんかぁ?」

「真野さん! どうやって柚をたぶらかしたかはわかんないけど、私の親友になにしてくれたの?!」

「え、いや……俺は、なにもしてない……」

「惚れられてんでしょーが!」

 本当に何もしていない場合、なにをどう弁明できるんだろうか。

「柚、この人はダメだからね。すごい変態で、危ない人だから」

 おい、それは流石に風評被害だ。

「あらぁ、深月さん、変態さんなんですかぁ?」

「そうなの!」

 違う。さっきから平塚さんに先に答えられて、俺の話なんて誰も聞いてはくれない。

「わたくしはかまいませんよぉ。深月さんがどのような性癖をお持ちであろうとがんばりますねぇ」

「ダメ! 絶対! 命に関わるから!」

 関わるものか。

「それは困りますねぇ。そんなことはありませんよねぇ?」

「……そんなことはないが……柚さん悪い、俺は平塚さんと話が」

「わたくしよりも詩歩ちゃんの方がいいということですかぁ?」

「いや、そうじゃなくて」

「それでは、わたくしを選んでくださるんですよねぇ?」

「や、だから……そういうことじゃなくて」

「わたくしはどのようにすれば、深月さんとお付き合いできるのでしょうかぁ?」

「いや、どのようにしても、ちょっと……」

 そういえば、俺よりも速く柚に返事をしていた平塚さんがさっきからおとなしい。逃げたんじゃないだろうな。

 平塚さんがいた場所を目で確認すると、なにか考え込んでいるようだが、変わらずそこにいる。どうしたんだろう。何度が頷いている。

「うん……そうだよね。真野さん、柚と付き合ってみない?」

「は……?」

 平塚さんの意見が180度変わってしまった。一体何故だ。

「ほら、柚って見たとおり女の子らしいし、一途だし、可愛いでしょ?」

 言われてまじまじと見てみると、確かに平塚さんの言うとおりではある。

「それは……まあ、そうだけど……」

「だよね! じゃあ付き合おう!」

「深月さん、わたくしとお付き合いしてくださるんですかぁ?」

「いや……ちょっと待ってくれ。平塚さんは知ってるだろ、俺は生きている人間は無理なんだ」

 言ってしまった。

 いや、これでいいんだ。俺が普通じゃないとわかれば、柚も俺から手を引くだろう。

「やっぱり無理! 柚、こんな人とはもう関わらないで!」

「詩歩ちゃん、どうしたんですかぁ? 意見が定まっておりませんけど、おなかでも痛いのぉ?」

「そうじゃない! あー、もう! 柚、行くよ!」

「ええ~? 深月さぁん、またお会いしましょうねぇ~」

 平塚さんが柚を引っ張って建物の中に連れて行った。

 ようやく解放されたか……。

 結局平塚さんとは碌に話せなかったな……。

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