第15話 深月と詩歩1
「では、そろそろ見回りに行きましょうか。
「できると思う。解いていいの?」
「お願いします」
平塚が
電子機器の振動音がする。
「…………こちら
簡潔そうな通話を終えた灯に、ぴっと敬礼される。
「近隣で喧嘩が行われているのでちょっと止めに行ってきます。
言うが早いか、灯は走って行ってしまった。
警察は大変だな。人が足りないんだろうか。損壊事件の捜査を担当している灯まで些細な喧嘩に駆り出されるなんて。ひょっとしたら些細ではないかもしれないけど。
「…………」
「灯ちゃんって、やっぱり本物の警察なんだね……」
唐突に平塚とふたりで取り残されたが、そうだ、見回りをしよう。動いていた方が沈黙も気まずくないはずだ。
黙って歩き出すと、平塚もついてくる。
「…………」
「…………」
この辺りはまだ空気が生ぬるい気がする。
もっと目立たなそうな場所を探さないと。
「…………」
「…………」
公園、とかも視野に入れてもいいかもしれない。
公園の茂みとか、トイレとか、大きな遊具の中とか、人に見られる心配が少ない場所のように思う。
「…………」
「…………」
このあたりだと、さわやか公園がお
俺だったらあそこの滑り台下にある、かまくらみたいな空間の中で犯行に及ぶ。そんなに広くないから、暴れられても逃げられはしないだろう。解体をするのなら、まずは意識を奪って……首を絞めるか、石で頭を殴るかして、それから、どこから切断するんだろうか。やっぱり足かな。万が一意識が戻っても逃げられる心配がないから。
ん~、でもな……街灯もないし、解体にはちょっと暗すぎる。
「……あの!
「えっ、は、はい……っ」
沈黙に耐えられたのは俺だけらしい。
語気荒い平塚に睨まれる。
「一体、どこに向かってるの?」
「へ? そこの公園に……」
手前に見える公園を指さすと、平塚が立ち止まった。
「……死体、あるってこと?」
「いや、それはまだわからない」
そうは答えたものの、あの特有の空気が流れてくるのがわかる。
ここにはきっとあれがいる。
「じゃあ灯ちゃんを待とうよ! 私たちだけで、その、し、死体を見つけても何もできないし」
平塚に構わず公園の中に入ってどんどん進んでいく。
「俺は修復が出来る」
「う……じゃあ、私いても意味ないから」
いた。
ブランコに抱えられるようにうつ伏せた体はだらんとして動かない。
全身が冷えた心地好い空気に包まれる。
「ちょっとここで待ってて」
「え……え、うそ……! な、なんで……?! 死んで、る、の……?」
平塚は死体から目を逸らすように背を向けた。
「怖いなら見なくてもいい。すぐに治すから」
ブランコに近づく。
小柄で細く長い髪の、小学生くらいの女の子だろうか。うつ伏せだから顔が見えない。両足首から先と、両手首から先がない。血で覆われてはいるが、信じられないくらい綺麗な断面だ。暗い色のスカートからすらりと覗く足は、暗がりの中で白く明るい。それが急に途絶える。細い足首の先にはなにもない。
どうしてだろう。この残酷な死体を、この上なく美しく感じる。左右対称に切り取られた体の分岐がないことが、この作品を崇高なものだと認識させる。
そう、これは作品だ。ここは、痩せた細い少女の行き場のない暗い世界だ。
……いや、そうじゃない。
なにも損なわれていない五体満足な死体こそ至高だ。俺はそうするためにここにいる。
だから今日も描こう。この少女の完璧な死体を。
イメージするんだ。この子が生きていた姿を。
片膝をついて、スケッチブックを広げる。
「我は
鉛筆の芯が擦れる音が絶え間なく鳴る。手が意思より先に動く。
顔など見えなくても、わかる。少女の明るい笑顔も、泣きじゃくる顔も、脳を直接殴ってくる。
左足から描き入れていく。目の前にある無だった足が物質としての形を取り戻す。
くそ。視界がぼやける。
いつもこうだ。
死体を描き始めると、描いている最中も、描き終えてからも、目が熱くなって、呼吸が苦しくなって、喉が詰まる。
これは修復の能力の代償なのだろうか。死体が味わった苦痛のほんのわずかでも、俺が引き受けているのだろうか。
四か所の修復が完了する。
「汝に正しい
どうしてか、声が震えた。
体の全てを取り戻した少女が麗しすぎたせいだろうか。
細い足首につながった足は薄くて、艶を失くしたさらさらの細い髪も、指の短い小さな手のひらも、温度のないそれに触れたくて、でも触れてはならない。絶対に駄目だ。こんなに荘厳な死体に触れたら、俺は……。
スケッチブックを閉じて、鉛筆を耳の上に戻しながら立ち上がろうとして、立ち上がれない。地面についた両手から、砂のじゃり、という音を感じる。
「真野さんっ」
いつの間にこっちを向いていたのか、平塚が駆け寄ってくる。
「大丈夫?!」
「……あ……ぅ……」
大丈夫、と言いたいのに言葉が出てこない。
言葉は出てこないのに、呼吸は荒くなる。体が熱い。
どうかしそうだ。
「ベンチまで歩ける……?!」
すぐとなりの熱をつかんで、引き倒す。
「わっ……?!」
体が勝手に、合わせ目が開いた唇に口づけようとして、でもそれは駄目だ。これは違う。こんな温かいものは、嫌だ。違う。これじゃない。
目を見開いている平塚の顔から、なんとか自分の顔を首元に逸らす。
「ん……っ!」
甲高く甘い呻きが
「ふぇ……っ……ちょ、ら、らめ……っ」
平塚を押し倒してはいるけど、まだ特になにもしていない。
嬌声一歩手前の涙声を発した平塚に、頭が冷えていく。
ゆっくり起き上がって、平塚から離れる。
「……悪い。あの子が綺麗すぎて、つい……」
「っ……?! は……? え……?」
「もう、なんともないから、安心していい」
「え? ……ええ……?」
両手で首元を抑えている平塚が、ばっと立ち上がって一歩後退する。
「な、なんなの?! 信じらんない! 真野さん、やっぱり変態なの?! いや、今更疑うのもおかしいか。変態だよ」
いやまあ、十割俺が悪いんだから、そんなに引かないでほしい、なんて言えない。
「……悪かった。もうしないから……」
「それは変態の
「……」
平塚が俺との間に両手を突き出す。
「それ以上近づいたら大声出すし、灯ちゃんに通報するから」
「こんなところじゃ大声出しても誰も来ないんじゃないか? 平塚は遮断の力があるんだからそれを使えばいいだろ」
「ここで正論か! っていうか、なんで呼び捨て? あなたに呼び捨てされる覚えはないんですけど」
年下そうだし自然だと思っていたけど、違ったのか。
いや、今底値まで嫌われたからかもしれない。
なんてことだ。
「……本当に悪かった。平塚さん」
「ダメだ……名前呼ばれるだけでも悪寒走る」
「…………」
こいつ、一体どうしろと言うんだ。
「もう……! 灯ちゃんがいるから来たのに、なんでこんなことに……?! ……あなた、本当に犯人じゃないんだよね……?」
苦手だな。こういうあからさまに嫌悪感をむき出しにしてくるような奴は。そう思うのに、強くは言えない自分に嫌気がさす。そもそも今は強く言ってはいけないんだけど。平塚さんに分があるから。
「俺じゃない、です」
「でも……死んだ人のこと、かわいいとか綺麗とか、言ってたよね……?」
「それは、その……言った」
「無理! 気持ち悪い!」
そんな直接的に傷つくようなことを面と向かって心底嫌そうに堂々と言える奴がいるなんて思っていなかった。いっそ逆に傷つかないし、気持ち悪いとはなんだ。綺麗な死体はかわいいに決まっているだろう。
「気持ち悪くない! 動かないんだぞ、冷たいんだぞ、綺麗な死体はどこまでも綺麗なんだよ。あの神聖さがわからないなんてかわいそうな奴だな!」
「はあ?! 気持ち悪いのもかわいそうなのもあなたなんだけど! 死体好きとかもう犯人だよね?!」
秒も数えられない速さでこんなにまくし立てられると思わなくて、ちょっとひるむ。
「だ、だから俺は犯人じゃない……」
「犯人じゃないなら証拠見せてよ。あなたみたいな人と二人でいるなんて耐えられない!」
「……証拠は、ない……」
「ここに来たのだって、あの子を殺してから何食わぬ顔で私たちと合流して戻ってきたとか?!」
「違う。それは……俺だったら、あの滑り台の下で、とか……考えて……」
そんなの、捜査の基本だろ。犯人の気持ちになるなんてのは。
「ほら! やっぱり犯人だよ! 私のことも殺そうとしてたってこと?! すぐ灯ちゃんに連絡して来てもらう!」
「ちょっと待って! 俺はまだなにもしていないじゃないか。それに……俺は生きている人間になんか興味ないから、」
「さっきのは一体なんだったの?! 記憶喪失?!」
それについては返す言葉もない。
「いや、だから……生きている人間をどうこうするとか、本当に興味なくて……さっきのは、その子の死体があまりにも綺麗だったから、でも、死体を汚すのは駄目だから、それで……」
興奮していきり立っていた平塚さんから徐々に熱が失われていく。
「なんか……もう普通に怖いんですけど」
平塚さんが冷静になってくれて、やっと俺の主張が出来る。
「信じてくれ。俺は死体を守りたいんだ。あんなに美しく清楚で汚してはならないものを破壊するなんて、許せないんだよ。俺ならそんなことは絶対にしない。大事に大切に丁寧に扱う。そもそもあの清浄に触れることだって罪だ。俺だって犯人が許せない」
「……言っておきますけど、私はあなたたちのような気持ちの悪い人を取り締まるために協力することにしたの。この町のために。みんなが安心して暮らせるようにって」
「お、俺だって、死体のために協力してるんだけど……」
「死体のためって……そんなんだから真野さんは気持ち悪いんだよ! もっとあるでしょ、家族のためとか、友達のためとか! 真っ当な気持ちはないの?!」
「……ないよ」
「ほんっとにサイテー! あなたなんかと協力するなんて無理!」
怒鳴り散らして、平塚さんは来た道を戻っていく。
俺だって追いかける気持ちなんかさらさらない。人の好きなことを散々貶して自分の気持ちを押しつけてくるような奴と関わり合いになんて、誰がなるか。くそ。
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