第12話 詩歩の勧誘

 おごそかな鐘の音が鳴る。

 バロック建築を思わせる白を基調とした校舎に、青空は相性がいいと思う。

 校舎の正面、屋根の下にいる天使の胸像を描き入れ、鉛筆を耳の上に差し入れる。スケッチブックを閉じて、となりの灯に目を向けた。

 安らかに眠っている。まるで死体のようだ。

 規則的に上下する胸だけが、彼女が死体ではないと証明してくれている。

あかり

 起きないし、動きもしない。

「……灯、そろそろ起きた方がいい」

 彼女の容姿も相まって、人形に話しかけているような気になってくる。

 持っているスケッチブックの角を、灯の肩に軽く押し当てる。

 長いまつげがゆっくりと動いた。

「……今何時ですか?」

「十二時三十分だ」

「彼女はここを通りましたか?」

「……さあ」

 本来の目的そっちのけで絵に夢中になってしまったことが不甲斐ない。灯から顔を逸らす。

 風が動いた。ベンチから立ち上がった灯に微笑まれる。

「そこにいるじゃないですか」

 灯が振り向いた先に、今朝追いかけたのと同じ服装の後ろ姿がある。ほんの二間ほど先のウッドテーブルに弁当箱を広げて、ひとりで昼食をとっている。なんだ、こんなに近くにいたのか。

深月みつきはここで待機していてください。なにかあれば呼びます」

 灯が女性の反対側の席に腰かけた。一度俺と目を合わせる。

「こんにちは」

「誰?」

「お昼休みに失礼します。自分、こういう者です」

 灯が警察手帳を広げて、テーブルの上に出す。

 女性は手帳をのぞき込んで、それから灯の顔をじっと見つめる。わかるぞ、その気持ち。どう見ても中学生だよな。

「……あ、昨日の」

「覚えていていただけましたか」

「あの、私、あそこが事件現場だなんて知らなくて、あの場所にいたのは本当に偶然で、だから、なにも知らないんだけど……」

「承知しています。身分証はお持ちですか?」

「あ、うん」

 女性が鞄から学生証を取り出して、テーブルの上に置く。

空葉からはルーテル学院大学一年在籍『平塚ひらつか詩歩しほ』さん、ですね」

「私、本当になにも知らなくて」

「はい。自分が聞きたいのはそのことではありません」

「え……? じゃあ、私に何の用なの……?」

「捜査に協力していただきたいんです」

「……だから、何も知らないって……」

「警視庁生活安全部特殊損壊対策課、通称トクソの職員として、です」

「え、え? 特殊、損壊……? トクソ? え?」

 ずっと困惑していた平塚から、また別の意味の困惑した声が出た。

「ちょ、ちょっと待って! 灯ちゃんって、偉い人なの?」

「……灯、ちゃん……?」

 灯がガラス細工の目を見開いて固まった。

 警察の人間に対していきなり下の名前にちゃん付け呼びは確かに驚く。が、それよりも灯が感情を揺らしたことに俺は驚いている。

「偉いかどうかはわかりませんが、自分はトクソの課長です」

「課長さんなんだ……それで、灯ちゃんの課はどんな仕事をしてるの?」

「ここ空葉町で頻発している死体損壊事件の捜査です」

「えっ」

「そのために、毎晩の警邏と現行犯逮捕を目的に動き、」

「ちょ、ちょっと待って! 無理! 死体とか、絶対無理!」

 だよな。普通はそういう反応をする。平塚は、ぱっと見、ごく普通の女性だ。死体愛好家とか、スプラッタ大好物とか、ちょっと変わった人にはとても見えない。

 じゃあ、昨夜、綺麗だと言ったのは、一体なんだったのだろう。

「待てと言われても無理と言われても、詩歩はすでに選ばれています」

「強制じゃないんだよね……?」

「はあ、もちろん強制することはできませんが、詩歩についているそれはいいんですか?」

 俺の時のように、灯が平塚の背後を指して怯えさせている。

「な、なに? なんか憑いてるの……?」

「茶髪のお団子頭の女の子が、詩歩を囲うようにふわっと」

 平塚が、大げさな音を立てて椅子から飛び上がるように前のめりになった。灯の手をしっかり握っている。その手は、ここからでもわかるほど震えている。

「……それ、なんとかできるの?」

「ええ。詩歩が捜査に協力してくれるというのなら」

 灯は息をするように嘘を吐いた。

 灯に見えているのは、俺に背負われているつぎはぎの少女のようなものだろう。決して幽霊とかそういうんじゃない。

 灯が、連続死体損壊事件の犯行の異常な点や、特異能力についての話を平塚に聞かせる。

 普通ではないその話を聞いている平塚の表情は見えないが、話の途中で口を挟まないところを見ると、信じているのだろうか。

「ところで、詩歩は昨夜、損壊された死体を自分達が修復するところを見たんですか?」

「……あれ、損壊されてたの……?」

「ええ。修復は正確には深月が行ったことですが」

「深月って……あの男の人?」

「彼も損壊対策課の課員で、自分の部下です」

「灯ちゃんは知ってるの? あの人、すっごいすっごーい変態なんだよ」

 はい? 俺が何かしたのだろうか。いや、何もしていない。完全なる冤罪だ。

「ふむ? 何かされたんですか?」

「されたとかじゃないけど……死体のこと、かわいいとか綺麗とか、なんか他にも色々言ってたけど、とにかく、すっごーく気持ち悪い人なの」

「ああ……それなら存じています」

「そうなの?! どうして一緒にいられるの?! 気持ち悪くない?」

 もうやめてほしい。心が死にそう。

 灯も、我慢して俺と一緒にいたんだろうか。おそるおそる灯の顔を見ると、いつもの人形のような笑みが送られてくる。

「彼は、自分の恩人です。彼に対して何か感情を持っているとしたら、感謝、ですね。そんな相手に対して性癖の異常さなど、取るに足らない些末なことです」

 灯が俺に感謝? 彼女に恩人と言わせるようなことも、俺はしていない。

「ふうん? ていうか、事件の捜査なんだよね? 死体に勝手に触ったり直したりしていいの? 証拠とかなくなるんじゃないの?」

 なんということだ。まったくもって平塚の言う通りではないか。死体の修復という俺の能力は捜査の邪魔でしかない。

「問題ありません。あの事件の場合、普通の捜査ではこれ以上新しい情報は出てこないでしょう。ですから、切り込む角度を変えることにしたんです」

 それが特異能力での解決なんだろうか。

「起きた連続死体損壊事件を片っ端からなかったことにしていきます」

「どういうこと?」

 うん。どういうことだろう。

「深月の能力は死体の修復です。それを見つけた時に思いついたんですが、詩歩、あなたが犯人なら、害したはずの死体も、事件としての報道もないとしたら、どうしますか?」

「私なら、犯行現場をもう一度見に行くかな? 損壊させたんなら、どれだけ綺麗にしようとしても、地面にしみ込んだ血、とか……痕跡はありそうだから、確認しに行く、と思う」

「大丈夫ですか?」

「想像したら、ちょっと……」

 平塚が口元を手で覆うような仕草を見せる。

「すみません。まあ、そういうことです。繰り返せば、犯人に接触できると思いまして。詩歩、ちょっと失礼」

 言うが早いか平塚の手をぐんと引いた灯の顔が平塚の頭に隠れて見えなくなる。

 平塚の後ろ姿が、パレットナイフを当てたようにピンと伸びる。

 灯が離れても、平塚の姿勢は変わらない。

 そうだよな。ついさっき自己紹介しあった同性の相手に急にキスされたら思考停止くらいする。

「今日を喜び祝い、喜び躍ろう」

 灯の言葉が終わると同時に、平塚さんが頭を抱えて縮こまる。死体でも見えたんだろうか。

「詩歩、大丈夫ですよ」

「……な、に……今の……? 何を、したの……?」

「眠っていた詩歩の特異能力を起こしました」

「それだけ? 本当に?」

「ええ。詩歩は、そうですね……これは“遮断”の能力でしょう。現場に部外者を立ち入らせないためにも役立ちますね」

 言ってしまえば、俺の修復能力は事件とは無関係だ。解決には導けない。外側をなんとか取り繕い、灯が言ったように、損壊された死体を救っているだけだ。

 けれど、平塚の遮断能力は、直接事件に関わるものだ。現行犯に出くわした場合も、逃げられるのを防ぐことができるかもしれない。

「……できない……。私に、そんなことが、できるわけない……」

 平塚は耳を塞いで静かに拒否している。

 灯の小さな手が、耳を塞いでいる平塚の手を、そっと外す。

「そうやって、無関係を装って逃げ回っていていいんですか? この町にいる限り、あなたも例外ではないんです。自分も、深月も、詩歩も、詩歩の周りの人間も、いつ殺されてもおかしくはないんです」

 灯の声がしっかりと聴こえるようになった平塚が、黙る。

「なら、一刻も早く犯人を捕らえ、事件解決を急ぐべきです。ここであなたが逃げることによって、明日はあなたの家族が被害者になるかもしれない。昨夜の女性のように」

 俺が修復した、眠っているだけのような死体を思い出す。

 両目も、右腕も、腕の途中もなかった。女性は損壊されていた。この町の死体は全てそうだった。五体満足な死体なんてなかった。顔のパーツのどれかや、手足のどこかが必ず欠けているものばかりだった。

 俺はいつも、完全な、なにも損なわれていない死体を探していた。

 空葉町は怖いところだ。欠けていない死体なんて一つもなかった。損壊された死体を見つける度に、俺は泣いた。泣いているように見える死体の傍で、何度も何度も。もう泣くことが出来ない死体の傍で、何度も何度も。

「深月……?」

 灯が呼んだ俺の名に、平塚が振り向いてはっとする。

 俺がいることがついにバレてしまったか。それにしては、灯が心配そうな様子だ。

「どうして、泣いているんですか?」

 心底不思議そうな灯の言葉で、自分が涙を流していることに気付く。頬に触れた指先は、秋の涼しさを帯びた風で更に冷える。

 本当だ。俺はどうして泣いているんだろう。

 風の音だけが流れていく。

 灯の声が風を遮る。

「深月は、損壊事件に大変心を痛めています。詩歩が協力してくれれば、被害者も増えないのに……これは詩歩にしかできない仕事です」

 ここぞ、とばかりに灯が、平塚に踏み込む。

 平塚が両手を上げて、深いため息をついた。

「その人がどうとかは知らないけど、私だって空葉町の人間だから……わかりました。私でお役に立てるなら、出来る限りの協力はします」

 平塚から了解の返事を得て、灯が肩の力を抜く。

「そういえば、深月は詩歩に自己紹介したんですか?」

「してない」

 まさか同僚になるなんて思わなかったからだ。

 こういうのは本当に苦手なんだけどな。

「……特殊損壊対策課……修復係の、真野深月だ」

 自分で言ってなんだが、修復係ってなんだ。どんな係なんだ。ほら見ろ。平塚が対応に困っている様子だ。

「……平塚詩歩です」

 俺と平塚の間に妙な空気が流れる。

 逃げたい。

「期間が短いに越したことはないのですが、これから一緒に職務にあたるんです。仲良くしましょう」

「無理」

 平塚に、秒の間も置かずに拒絶された。俺だって、こんなに一方的に嫌悪してくるような奴は無理だ。

「まあまあ、そう言わず。それでは、今夜十時に校門前に集合しましょう。はい、解散」

 灯は一息に言って、俺の手を引いて大学の敷地から出ていった。

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