第11話 追跡

 肩を叩かれて、はっとする。

深月みつき、そろそろ行きましょうか」

「ああ……」

 あかりに声を掛けられ、空が白んでいることに気がつく。

 美しいものはいつまで見ていても飽きないものだ。

 歩き出した灯の横に並んで、彼女の端正な横顔を見下ろす。

 怒っている風には見えないが、随分長い時間、付き合わせてしまって申し訳ない。灯は、死体が好きなわけではなさそうだから。

「……あの……灯」

「はい?」

「その……悪い。死体を見ているとつい、時間を忘れてしまって……」

 意外そうな顔をした灯に笑われる。

「深月は、そんなことを気にするんですね」

「そんなことって……退屈だっただろ?」

「いえいえ」

 遠慮や気遣いではなく、灯は笑う。

「自分もいいものが見られましたから」

「いいものって?」

「自覚がないようなので、教えて差し上げましょうか?」

「なにを……?」

「深月はとても綺麗な顔をしているので、見ていて退屈はしません」

 どの顔がそんなことを言うんだ。

「俺のは綺麗というか……女っぽいだけだろ」

 女に間違われた回数は数えきれない。俺にとってはコンプレックスでしかない容姿なのに。

「ふむ。自分は好きですが」

「そ、そういうことをよく堂々と言えるな」

「隠す理由のない本心ですから」

「だからって……」

 口にして恥ずかしくないんだろうか。言われた方は恥ずかしい。

「それに、好意的な感想は口にするべきだと思います。伝えたい時に言わなければ、機会を失ってしまいますから」

 それもそうだとは思うが。灯はまさか、言われた側がどんなに恥ずかしい思いをするのか知らないのだろうか。

「……灯だって綺麗だ」

「ありがとうございます」

 灯は恥ずかしがらなかった。それもそうか。これだけ人形めいた外見だ。俺のありきたりな語彙で感情を乱すわけがない。

 そういえばこの人からは、喜怒哀楽があまり感じられない。笑ったりは普通にするが、それ以外の感情がわからない。俺に口づけをした時も、少女の死体を見た時も、感情に動きが見えなかった。悲しんだり怒ったりすることはないのだろうか。

 そんなわけないよな。これはきっと職業柄そう努めているんだ。そう思いたい。

「……」

「なにか?」

「あ、いや……どう見ても中学生にしか見えないのに、やっぱり十分大人だなって……本物の警察手帳見せられた時は正直ひっくり返りそうになった」

「よく言われます。おかげで、未成年の聴取では誰よりも多くのことが聞き出せます」

「でも大人相手だとなめられるだろ? からまれたりとか」

「まあ、ありますが。そのように油断しきっている相手なら、腕でも口でも余裕で勝てますから問題ありません」

 怒らないし、外見が仕事に役立っているようでなによりだ。

 そうして話しているうちに、平塚さんの家が見えてきた。

「あそこだ。あの“平塚”という一軒家」

 灯が足を止めて、平塚家の玄関から死角になりそうな塀の陰に身を潜める。俺も灯の後ろに立つ。

「彼女が出てくるまでここで待って、後をつけましょう。どこかで偶然を装って声をかけます」

「わかった」

 日の出から二時間ほどが経過する。今日も快晴だ。

 ゴミ出しをする主婦やサラリーマン、登校する学生、出勤する大人が行き交う住宅街の隅で、立ったり座ったりを繰り返す。

 黒い制服のおかげで悪目立ちしてしまう。これ、着替えてからの方がよかったのではないだろうか。

 焦る様子も特に見せず、灯がこぼす。

「誰かに通報される前に出てきてほしいところですね……」

 斜め向かいのゴミ置き場に一羽のカラスが留まった。袋の中身を漁ろうと、くちばしでつついている。よく見ると、カラスの目はまん丸で、可愛い顔をしている。なんだか……絵になるな。

 スケッチブックを開こうとするより先に、灯がちょっと動く。

「出てきました」

 平塚家の玄関に視線を戻すと、昨日の女性らしき人が門を出ていくところだ。背格好は確かあんな感じだったと思うが、昨日の服装も覚えていないし、あれが本人かどうか俺には判別がつかない。

 灯は迷うことなく、女性の後をつけはじめた。

「深月、手を繋ぎましょう」

「えっ」

 灯、緊張でもしているんだろうか。でも、人と手を繋ぐなんて経験のない俺には刺激が強すぎる提案だ。

「ふたりでこそこそしていては、標的よりも、無関係な周囲に不審がられそうです」

「……なるほど」

 ぎこちない動きで灯と手を繋ぐ。冷や汗的なものをかきそうで、そればかりが気になる。

 手を繋いで歩くというより、灯に手を引かれて連行される形で歩いていると、灯が急に足を止めた。

 大きなアーチ状の門には、『空葉からはルーテル学院大学』の刻印がされている。ここに入っていったということか。

「おそらくここの学生ですね。好都合です。これだけ衆人の目があるところなら彼女も然程警戒しないでしょう」

「いつ声をかけるんだ?」

「これから講義でしょうから、お昼休みですね」

 それまでここで時間をつぶさなくてはならない。

 天気がいいこともあってか、広い構内には、雑談しながら校内に入って行く学生、中庭で自習に励む学生、教材を運ぶ教授……多くの人が行き交う。

 灯が空いているベンチに腰掛け、目を閉じた。

「灯……?」

「昼休みまで寝ます。深月も一緒にどうですか?」

 ベンチのとなりを右手で二度叩いた灯に誘われる。

「……結構。俺は絵を描いて過ごす」

「そうですか。……そうです。でしたら自分を描いてくれませんか?」

「えっ」

「なにか問題でも?」

「……問題、というか……悪い。生きている人間は、その……描けないんだ」

「描かない、のではなく、描けない、んですか?」

 黙って一度頷く。

 灯が怒らないか、恐る恐る視線だけで見るけど、灯はいつもの感情のわからない顔をしているだけだ。

「それでは仕方ありませんね。言われてみると、深月の絵で人物画は見たことがないかもしれません」

「……」

 なんと言っていいかわからない。

 人形のような外見の灯ならひょっとして描けるのでは、なんて思ってみたけど、描こうと思うだけで鉛筆を握る手のひらから冷や汗が出てくる。

「深月、今のは忘れてください。自分は睡眠をとりますので、気が向いたら描いてもいいですよ」

 言ってすぐに横になった灯は目を閉じて本当に寝てしまった。なんて無防備なんだ。いくら人の目がある場所だからって、俺がこっそり何かするとは思わないんだろうか。

 俺の死体好きを見抜いた灯だ。もしかすると、気づいているのかもしれない。俺が生きている人間を怖がっているということに。

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