第10話 想定外の目撃者
今日は二十代くらいの女性の死体がいた。当たり前のように短くなった右腕が足元にあって、両の目は暗い穴になっている。
灯と一緒に女性に向かって両手を合わせてから、逸る気持ちを押させつけながらスケッチブックに鉛筆を乗せる。
「我は
見える。
生前の彼女の愁いを帯びた秋の雨のような静かな顔が見える。
それを震える手で描き進める。
綺麗な死体が見たい。
どこも損なわれていない完璧な眠るような死体が見たい。
紙に描き入れたところから、女性が体を取り戻していく。
「……
ああ、なんて綺麗なんだろう。
夜の冷たい空気の中にあって更に冷えた存在が愛おしい。
愛おしすぎて涙が流れてくる。
綺麗に元通りになった女性の死体の向こうで、こちらを見つめて立つ誰かが、呆然と声を発する。
「………………え?」
誰かの目線の先には、先ほど修復したばかりの女性がいる。
まずい。修復を見られたかもしれない。
誰かに掛ける言葉を探す俺より早く、灯が立ち上がり誰かとの距離を詰める。
灯の接近に、誰かは逃げようとした。が、灯の手の方が早い。
灯に腕をつかまれた誰かは振り払おうと必死だ。
「は、放してっ」
「落ち着いてください。自分たちは警察の人間です」
灯は、空いている方の手で警察手帳を開いて見せる。
目の前に突き出された手帳に、女性が動きを止めた。
「け、警察……? ほんとに……?」
「本当の警察なので、職務質問をしなければなりません。何故こんな時間にこんなところに?」
「えっ……あ……ええと……」
女性は、灯と目を合わせたまま、おどおどしている。
灯は隙のない目で女性から少し距離を取った。
「ここは死体損壊事件の新たな犯行現場です。あなたは、自分が犯人ではないと証明できますか?」
「えっ?!」
表情を凍りつかせた女性は、灯にしがみつく。
「こ、ここ?! 現場なの?!」
「はあ……どうやら一般人のようですね。そうならそうで、こんな時間に外をうろつくのは感心しませんが」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
怯え切っている女性を引きはがした灯は、こちらに視線をくれる。
「
なんで俺なんだ。
「灯は?」
「自分はまだここにいます。犯人が周辺にいるかもしれないので」
俺だってまだここでこの完璧な死体を眺めていたい。
「無事に送り届けたら、またここに戻ってきてください」
「……わかった」
灯が俺にだけ聞こえる声で囁く。
「彼女の家の場所と表札を覚えてきてくださいね」
まさか、これは、不思議な捜査を見られたから後で消すコースなのか。それはちょっと怖い。あとで相談しよう。
俺は死体に関われるならそれでよかった。基本的に生きている人間への興味はない。非常に面倒だが、これも仕事の一環だ。
「行くぞ」
女性の方を見ずに言うと、女性が俺を気にしながら歩き出す。
女性はちらちら振り返って、一尺程後ろを歩く俺を何度も確認する。
「あ、あのっ」
「なにか?」
「あの……もうちょっと、近くにいてくれた方が、安心、なんですけど……」
こんなに怖がりな奴が、まったく、どうして深夜にひとりで出歩いていたんだか。
「犯人じゃないなら、君はあそこで何をしていたんだ?」
言われたとおりに少し近づいてやると、女性は歩みを緩めて距離を縮めてくる。
「えっと……バイトの帰りで、ちょっと話し込んで遅くなっちゃって」
「そうか」
五分ほど歩いただろうか。女性が足を止める。
「ここです」
濃い色のガルバリウムがスタイリッシュな家だ。
アルミのような材質の門扉を開け、女性が敷地に入る。
表札はどこだ……玄関扉の横にそれらしきものがあるが、女性の頭が邪魔で見えない。
女性が俺に向かって頭を下げる。
見えた。平塚、か。
「……ありがとう」
「これも仕事だ」
まだ何か言いたいのか、女性はなかなか玄関に行こうとしない。
一方、俺は去る時機がわからず、女性からの視線を受け続けている。
「……まだなにか?」
「えっと……さっきの、ちょっと、本当にちょっとだけですけど、見ちゃって……」
あそこには俺たちしかいなかったんだから、まあ、見ただろうな。あんなファンタジーな現場を見たら、俺だって石化する。
「他言無用だぞ」
言ってもどうせ誰も信じないだろうが。灯の話からすると、損壊対策課は公にされていないかもしれない。警察組織が、特異能力などという曖昧で正体不明なものを表立って動かすとは思えない。
「勿論です! 誰にも言いません! でも、恥ずかしいことじゃないですっ」
ん? 恥ずかしい? どこが?
「私は、えっと……すっごく綺麗だなって、思って……」
ちょっと待て。
女性の顔をまじまじと見つめてしまう。
「あっ、あの……?」
暗くてはっきりとはわからないが、女性は顔を赤らめているように見える。
俺と同じだ。
俺も、女性のあの美しい死体を見て興奮した。
突然な仲間の出現に、思わず彼女の手を取り、勝手に握手してしまう。
「君にもわかるのか?」
「え、そんな、急に……っ」
「あの死体の可憐な美しさが、完璧な
最高の死体に巡り会えただけでなく、この喜びを共有する相手ができるなんて、今日は本当になんと素晴らしい日なんだろう。
名も知らない相手と力強く握手したまま暗い天を仰ぎ、感動に浸る。
彼女とは、いい友人になれるかもしれない。そうだ、名前を尋ねよう。
「君、名ま」
手が言葉と共に勢いよく振り払われる。
なにがなんだかわからないまま、振り払った相手を見る。
そこには、はっきりとした嫌悪の表情があった。
「……最っ低……」
女性が荒い動作で門扉を閉め、逃げ込むように家の中へ入ったあとも、俺はその場を動けない。
何故だ。
疑問だけが脳を支配する。
一体どうしたと言うんだ。
考えながら女性の死体と灯が待つ現場へと戻る。
俺の顔を見るなり、灯が駆け寄ってきてくれる。
「なにかあったんですか?」
「わからない……俺が訊きたい……」
「深月、彼女の家にもう一度向かえますか?」
今戻ってきたばかりで、なんだってもう一度あの謎の女のところに行かなければならないんだ。
「場所は、わかるけど……言われた通り、表札も見てきた」
「彼女には特異能力が見えました。明日の朝尾行し、頃合いを図って接触しましょう」
「……ああ……そういうことか……」
あんなわけのわからない女には、出来ればもう二度と会いたくない。
「彼女となにかあったんですか?」
「よくわからないが、彼女は俺のことが嫌いなんだ」
「おかしいですね。自分には逆に見えたのですが」
げんなりしていると、灯に肩を叩かれる。
「夜が明けるまではまだ時間があります。もうしばらく、ここで彼女を見ていて構いませんから」
女性の綺麗な死体に目を向ける。
これをしばらく見ていられるのなら、悪くないか。
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