第4話 開花の条件

 まゆずみさんは一旦言葉を切り、俺が話についてきているか確認するように、視線を合わせ直した。

「現在、警察はふたりの男を拘留しています。彼らは言いました。犯行を行ったのは『神の御業みわざ』だ、と。ふたりとも理解できる言葉はそれだけしか語らず、全く要領を得ません。犯行の詳細は不明のままです」

「そいつらは、得体の知れない宗教の信者かなにかか?」

 そうでなければ、頭のネジが飛んだ人間かもしれない。そんな存在しないものを持ち出すなんて、どうかしている。

 神なんて、いないんだから。

「さて? 警察も、頭のおかしい犯罪者がわけのわからない事を言っている、と思っています。でも、自分にはわかります。『神の御業』こそが、凶器を用いずに損壊を可能にした特異能力である、と」

「ほう?」

「警察は彼らに、『特異能力者』という名前をつけました。神の御業、とやらの話を信じていない警察も、犯行の異常な様子は説明できませんでしたから。信じていようがいまいが、まあ、一つの区別として、ですね」

 まあ、筋は通っている。一応形だけの肯定はするが信じているわけではない、いかにも大人がやりそうなことだ。

「その特異能力とやらは、超能力みたいなものなのか?」

「一般的に言われているテレパシーだとか、テレキネシスなどの超能力の親戚とでも思って下さい」

「なるほど。君の話からすると、犯人は物を破壊する攻撃的な能力を持っている、ということか」

「ええ。おそらく、そういうことかと。自分もこの目で直接確かめたわけではありません。現段階では推測の域を出ませんが」

 じゃあ、あれか。特異能力者同士の異能バトルを、俺はこれから繰り広げなければならない、ということか。そんな馬鹿な。

「……黛さん」

「はい?」

「俺、暴力はからっきしなんだ。そういうのは苦手というか、なんというか……普通に弱いと思うんだが」

「外見そのままですね。了解しています」

 自認していることだ。絵を描いてばかりの俺が、大層な身体をしているわけもないから、別段腹を立てたりはしない。むしろ、黛さんのこの歯に衣着せぬ物言いは清々しい。上辺だけの言葉で取り繕われるのは嫌いだ。

「じゃあ、一体なんで俺なんかを? 戦力にはならないぞ」

 黛さんがほんのわずかに首を傾げる。ウェーブのかかった長い髪が、柔らかそうに揺れる。

「貴方は、トクソにとって、貴い戦力になります。それは私が保証します」

 薄い胸を張って答える黛さんに、困る。この怪しい勧誘からどうやって逃れようか。

「いや、だから……俺、なんの格闘技経験もないし」

「なくても問題ありません。言ったでしょう。貴方にあるのは、死体を救う力、だと。貴方が相手にするのは犯罪者ではなく、損壊された死体の方です。非力でも十分務まりますので、ご安心を」

 と、言われても。俺自身自覚のない謎の能力を根拠に、安心出来るわけがない。

 この子の世界を壊して申し訳ないが、そろそろ解放してほしい。夢の時間はもう終わりだ。

「そんなに過大評価されてもな……申し訳ないが、俺は特異能力とかいうのは持ってないんだ。もしかして、誰かと俺を間違えているんじゃないか?」

 黛さんの端正な顔がずいっと近づく。

「いいえ! 絶対に間違いありません。自分にはわかるんです」

「だから、そもそも俺はそんな力、持ってないんだって」

「今は眠った状態ですので、自覚がないだけです。これから起こします」

 黛さんの顔が極端に近い。

 俺は一歩下がる。

「ちょっと待て。そもそも、そんなうさんくさい話、信じられるか」

 黛さんが、俺の両肩にしっかりと手を置く。その重量感に、気を抜くと膝を折ってしまいそうになる。

 まずい。この子、思っていたよりもずっと力があるぞ。

「ですから、これから解放の儀を」

「いやいや、結構です」

 いつの間に退路を断たれていたのか、これ以上後退できない。

 なんだ、これは。もしかして、新手の詐欺か。ありもしない謎の能力を授けてあげたので返礼のお金を要求します、的な。

 しばらく押し問答をして、黛さんがはたと動きを止める。

「……もしかして、信用していただけていない……?」

「当然だ。あいにく、俺は自分の目で確認して理解したことしか信用しない。それにおかしいだろ。警察は特異能力を信じていないと言ったが、黛さんはなぜ信じているんだ?」

「自分にも、普通ではない力がありますから。自分の特異能力は、他人の能力の感知と開花なので、今、あなたの能力を起こそうとしたのですが」

 唐突に謎の勧誘をしたり、俺の秘密の話をし出したり、よくよく順番を間違える子だな。

「それを先に言ってくれ。急につかみかかってくるから、強盗がしびれを切らして強行手段に出たのかと」

「自分は、れっきとした警察官ですが……?」

 黒いコートの中から取り出された濃い焦茶色の手帳が開かれ、目の前にかざされる。こちらに向かって、ぴんと伸ばされた腕の先をまじまじと見る。確かに、警察手帳のようだ。

「本物?」

「ええ。そう言いました」

 黛さんから手帳を受け取って、写真をじっくりと見たり、裏返したりする。

 こんな職業だ。職務質問なら何度も受けたことがある。黛さんの手帳はおそらく本物だ。そうは思うが、一般人の俺に断定はできない。手帳の真偽よりも、俺が手帳を観察することで、動揺するかどうかに注意していたが、あまりにも堂々とした態度の黛さんに、すぐに手帳を返す。

「わかった。ひとつ確認させてくれ」

「はい」

「あとから俺に金を請求したりはしないか?」

「はい……? こちらから支払うことはあっても、貴方にいただくようなことはありませんが」

 確認はしたものの、まだ完全に信用はできない。さて、どうしたものか。

 束の間思案した俺に、黛さんが不思議そうな目を向ける。

「なにをそんなに悩んでいるのか知りませんが、貴方にとっては確実に良い話でしょう?」

「良い話……?」

「誰に憚る事もなく、じっくりと死体を拝む事が出来るんですから。しかも、給与も出ます。これ以上なにか不満でも?」

 そうか。これまではこそこそと眺めていた死体を、正当な理由で観賞する事が出来るんだ。確かに、俺にとっては最高の仕事だ。

 しかし、俺はこれまで不思議な力とは無縁に生きてきた。勿論霊感なんてものもない。そんなものがあったのなら、俺の人生は随分と別のものになっていただろう。

「……本当に、俺にそんな力があるのか?」

 黛さんがまた一歩、近付く。

「ええ。ところで貴方、お名前は?」

 そういえば、ここまで話していて、一度も名乗っていなかった。

 名刺を差し出しながら名乗る。

真野まの深月みつき

 俺から名刺を受け取る黛さんの手が、わずかに震えている気がした。

「深月……とても綺麗な名ですね」

 初対面の相手にいきなり下の名前で呼ばれて、不快だと感じない。

 この人形のような少女には、そうしても許される雰囲気がある。

 黛さんが顔をぐっと近づけてくる。これは、今日何度目かもわからない。癖なんだろうか。

 陶器のような小さい両手が、俺の頬をしっかりと包む。

「えっ……なに……」

「我が暁光ぎょうこうたる傷よ。これは主の御業、わたしたちの目には驚くべきこと……」

 至近距離で呟かれた言葉の意味はわからない。

 彼女が言葉を紡ぐ度に、吐息が唇に触れ、心臓がうるさく鳴る。

 黛さんの瑞々しい唇が、俺の同じところに触れる。軽く噛むように、深く唇を挟みこむ。熱く柔らかい塊が口の中に入り込んできて、舌を絡め取り周りを撫でるように蠢いた。

 鼻にかかった吐息が、口付けの合間に漏れる。本当にすぐ目の前にある長い睫毛が、揺れる。

 唾液が絡み合い糸を引いて離れる音が、耳に煩い。口内を優しく荒らしている小さな舌が、そっと上顎を這う。

 黛さんが微かに離れて、唇だけが密着した状態になった。

 ごくり。

 黛さんの白くて細い首がそっと上下したのを、見開きっぱなしの目で見る。その喉が酷く扇情的に見えて、つられて喉を鳴らす。

 全身が熱い。身体の表面を熱の膜が覆って動きを阻害しているかのような倦怠感もある。

 黛さんの吐息が唇に触れて、離れる。頬からも温もりが失われる。妙に寒いところにいる錯覚に陥る。

「……今日を喜び祝い、喜びおどろう」

 その言葉が最後の合図だったのか、視界が白く染まる。



 真っ白の世界の中心に、ボロボロのひつぎがある。それを開ける。触れた衝撃で棺の蓋はバラバラに崩れ去った。

 中には、ツギハギの少女の死体が眠っている。

 どこもかしこもツギハギだ。真っ赤な糸がまるで血のように全身を彩る。糸の合間に見えるきめ細やかな絹の肌は色を失くし、目の奥に優しく映る。

 胸の深くが熱くなる。

 少女へ手を伸ばした途端、世界が闇に閉ざされた。



 視界がもとに戻っていく。

 ぼやけたレンガ敷きの道と、黒い革靴が目に入る。

 顔を上げると、特徴的な赤い色の目が、俺から距離を取ったところだ。黛さんは、事件の説明をしていた時と同じ表情をしている。

 つい今しがたまで俺に触れていた赤い唇が、開く。

「……それでは、今夜二十二時にここで落ち合いましょう。ああ、そうだ。描く物を忘れないように」

 何事もなかったかのように立ち去ろうとする細い腕を、反射的に掴む。これはさすがに説明がいると思う。

 近くでよく見ると、少し頬を上気させている顔が表情なくこちらを向く。

 情けなくも、まだ整えられない呼吸のまま、疑問を口にする。

「……今、のは、なんだ……?」

 黛さんからは、悪びれも何もなく、しれっとした答えが返ってくる。

「体液の交換です」

「は……?」

「それが力の開花の条件です」

「…………」

 だから、先に言え。

 俺は、少し虚ろな目で黙りこむしかない。

 黛さんは、意外そうな顔をする。

「おや。もしかして、初めてでした?」

 一度は離れていった黛さんの人形のような顔が、再び俺に近付き、耳元に吐息が触れる。

「自分は初めてでした」

 小さく囁かれ、反射的に身を引く。

 こんな恥じらいの欠片もない勇ましい告白、信じられるか。

「それにしては手馴れた様子だったな」

 平静を装うが、きっと耳まで真っ赤になっていて、身も蓋もない有様だろう。そんな俺の様子にだろうか、黛さんは少し笑う。

「本当ですよ。自分はずっと仕事一筋ですから」

 濃厚なファーストキスの衝撃も冷めやらぬ俺は、黛さんが見せた優しく穏やかな笑みに、更にドキリとする。

「……俺だって、仕事一筋だ」

 ここで張り合う必要は全くないと思うのだが、俺の照れ隠し技能はポンコツだったらしい。

 黛さんも、張り合われると思っていなかったのか、きょとんとしてから笑う。

「ええ。貴方とはいい仲間になれそうです。それでは、また今夜」

 黛さんが長い髪を揺らして去っていく。その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、椅子に座って頭を抱える。

 三回深呼吸をして、気を取り直す努力をする。それから、出し過ぎている絵を、画廊に戻しに動いた。

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