第3話 トクソ

「え、は……?」

 今、死体、と言ったのか。言葉が唐突すぎる。

 明るい日差しの朝の町中で、なんと違和感のある響きだろう。

 聞き間違いだろうか。

 俺はまだ何も話してはいない。死体の話には一言も触れていないし、態度にだって出してはいない。出ていないはずだ。

 彼女は何を根拠に、そんな図星を指したのだろうか。

 少女が丁寧に、名刺を差し出す。

「申し遅れました。自分はまゆずみあかりと申します」

 名刺を唖然と受け取り、そこに印字されている文字を読み上げる。

「『特殊死体損壊対策課……課長、黛灯』? け、警察……?」

 警察は、まずい。

 俺は何もしていない。ただ見ていただけだ。犯罪になるような事は、何もしていない。

 死体を見ただけでは、罪にはならない筈だ。

 いや、しかし、遺棄されているのを発見したのに通報しないのは、罪に問われるのだろうか。

 もしかすると、見ていたところを見られていたのかもしれない。

 画材を手に取る順番と、逃げるルートを瞬時に脳内でシミュレーションする。

 黛灯と名乗った少女は、ずいと身を乗り出してくる。ガラス細工のような目が煌めいて眩しい。

 距離の近さに、仰け反った身体が強張る。

「課名は長いので、通称トクソで。今後課名が必要な時は是非トクソとお呼びください。本日は、貴方を臨時職員として勧誘しに来ました」

「……んっ……? ……と?」

 逃走の準備をしていた手足が肩透かしを食らう。

 何故、俺なんかが警察の臨時職員に勧誘されるのだろう。

 疑問が顔に出ていたのか、黛さんが答えてくれる。

「貴方には、損壊された死体を救う力があるんです」

「……いや……何、言って……」

 なにを言われているのかはわからないが、ひとまず安堵する。俺を注意しに来たとか捕まえに来たとか、そんな用件ではないようだ。

 黛さんは、俺から距離を取り、軽くため息を吐く。

「気が急いていたようで、申し訳ありませんでした。あまりにも唐突すぎましたね。順を追って話しますので、お時間頂けますか?」

 丁寧な仕草で頭を下げた黛さんに、俺はまだ油断しない。害意がないのだと示した後で、俺を捕まえる気かもしれない。不自然にならないよう、座っていた椅子から立ち上がり、姿勢を正す。人の話をきちんと聞く普通の姿勢だ。

「あ、ああ」

 黛さんが頭を動かして、俺を見上げる。身長差が頭二つ分はある。

「自分は空葉町からはまちでの死体損壊事件を担当しています。ご存知のように近頃、空葉町では殺人や死体損壊事件が多発しています」

「……そうなのか……」

 どおりで、この町には死体が多いわけだ。死体損壊事件、には確かに心当たりがある。

 そういう月の巡り合わせでもあるのか、死体に遭遇する事は多い。なんとなく、導かれている気がするのだ。

 その”なんとなく”を頼りに空葉町に来てみれば、案の定死体が沢山いた。

「死体損壊は、あまりに異常な件数なので、空葉町の住民は十分に警戒しているようですが……事件はなかなか減りません」

 毎日のように町内放送で早めの帰宅を促したり、知らない人にはついて行かないよう警告する声が、町のいたるところで聴こえる。

 それでも死体の数が減っていない事は、俺自身が身をもって知っていた。空葉町に来てからというもの、毎日のように何らかの死体に遭遇している。

「この手の事件は頻発していて、なくなる気配がありません。しかも調査すればする程、奇妙な点が多いんです。だから警察は、事件解決の為、特例でトクソを設ける事にしました。そこの課長が自分です。ちなみに課員は今のところ自分ひとりです」

「え?」

 今、黛さんの口から、耳を疑うような言葉が聞こえた。課を新設するというのに、課員を設定しないなんてことがあっていいのだろうか。警察がそんな適当な組織だなんて、怖い。いや、そもそも、彼女は本当に警察の人間なのだろうか。どう見てもまだ少女だ。俺はもしかして子どもにからかわれているのか。俺なんかをからかって、この子にメリットかなにかがあるんだろうか。

 俺の気も知らず、黛さんは構わずに話を続ける。

「課員はですね、現地で調達するので警察の人間はいらない、と自分の方から言いました」

 相手の思惑がわからない間は、とりあえず話を合わせておこう。

「なんでそんなことを……」

「この損壊事件が奇妙だからです。事件の解決に必要なのは、普通の警察ではなく、特異能力を持った人間ですから」

「特異能力?」

 いかにも子どもが好きそうな、聞きなれない単語だ。

「特異能力について説明するには、まず死体損壊事件の奇妙な点について、知る必要があります」

 黛さんの整いすぎた顔が、物騒な話で真剣さを増す。その顔があまりにも綺麗で、この茶番にもう少し付き合う理由としては十分だ。

「死体損壊にも、食人や猟奇行為など色々ありますが、それらを行うには、何らかの道具が必要ですよね。たとえば、刃物などですが」

「まあ……素手では無理だろうな」

「通常は、刃物で切断すればその痕跡が残るものです。実際、自分が見た死体に残った切断面は刃物を使ったかのようにスッパリ、綺麗でした」

 それを想像してしまう。動く気配のない冷たく重い身体は、濃い灰色のアスファルトにへばりつくように転がる。動く誰かが、動かない色を失った腕をまっすぐに伸ばし、暗い空に向かって出刃包丁を振り上げた。

「………………」

 胃の奥から、黒い感情が湧き上がってくる。

 黛さんが、俺の顔を下からのぞき込んで、表情なく問いかける。

「大丈夫ですか?」

 血が苦手で、この手の話題に吐き気を催した、とでも思って不安にさせてしまっただろうか。

「ああ、問題ない。気持ち悪いとかではないから」

「その心配はしていません。随分と怖い顔をしていたものですから」

 言われてみれば、黛さんの表情は心配や不安ではなかった。

 これは、彼女のキャラ作りだろうか。何を考えているのかさっぱりわからない。

「問題ないのであれば、続けますね。その損壊された死体ですが、検死官からは、切断面に金属やセラミック、またはそれらに類似する刃物やピアノ線などの接触は見られないと報告がありました。ちなみに氷でもありません」

 つまり、犯人は警察の人間すら知らない“なにか”で綺麗に犯行を行った、という事だろうか。未知の刃物か、はたまた、先ほど耳にした“特異能力”とやらか。

「警察の見解では、犯行は素手で行われています」

「まさか。そんなこと出来るわけがない」

「特異能力の持ち主なら、可能なんです」

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