1章

第2話 人形のような少女

「貴方、死体が好きでしょう?」

 蒼色が綺麗な明るい昼間の町中で。

 目の前の少女は目を少し細めて、柔らかく微笑んだ。



  

 絵の具とオイル独特の匂いが染みついた部屋で目覚める。もう慣れてしまったが、ここは賃貸だ。こまめに換気をして、出て行く時には元の状態に戻さなければならない。

 窓を全開にして、長めの髪を後ろで結う。いつの間にか縛れる長さになってしまったな。

 仕事道具一式が入った大きな袋を持ち、玄関を出る。

 眩しくて、目を満足に開けることができない。柔らかな陽の光が、夜更かし後の目に差す。

 仕事場に向かおうとする進路が、快晴に妨げられる。

 仕事をするにはうってつけのいい天気だ。けれど、とにかく眩しい。

 目を細めながら、住宅街を抜ける。


 ここ、空葉町からはまちは山の上で栄えた町だ。空葉町の端からずっと下の平地を見下ろすと、平地には他の町がある。見晴らしが良く、とても居心地のいい町だ。

 一軒家やアパートばかりの住宅街を抜けて、店やビルが並ぶ街中にたどり着く。建物がびっしりの街中でも、ビルの隙間から絶景が見えたり、緑豊かな公園もあったりする。

 高い位置にある町だ。他の町からは少し隔絶された場所でもある。隣の町へ行くには、車で三十分程も山を下らなくてはならない。 その上、公共の交通機関は数時間おきに出るバスだけだ。

 それでも、豊かな自然や広大な土地のお陰で、そこそこ発展している町だとは思う。

 俺は各地で絵描きの仕事をしている。

 いくつもの町を渡り歩いて来た俺から見て、他の都市と比較しても別段不便な事はない。

 空葉町には、あるものを追って足を踏み入れた。それから、予想外の居心地の良さに一月程も留まっている。

 つまらないと感じた町なら、三日くらいで離れる。ここには、好きなものが何故か多いのだ。


 人通りの多い広い道の途中に、仕事場がある。いつもの道を通り、通勤で急ぐ人々の中を抜ける。

 レンガが敷き詰められた歩道に立つ街灯に、手荷物をもたれ掛けさせる。

 多くの人達が横を通り過ぎていくのを、空気の動きで感じ取る。

 画廊はすぐ背後にある。その中にしまっておいたイーゼルを、組み立てようと取り出す。立てたイーゼルの足に、通行人の女性の足が微かに引っかかり、女性がよろける。

 まずい。

「失礼」

 女性は迷惑そうな顔をして、去って行った。

 軽く頭を下げながら、イーゼルの足を引きずり、自分の方へと寄せる。

 また誰かが足を引っ掛けてしまわないか、注意していて思う。

 今日はいつもより人通りが多くはないだろうか。

 昨日も一昨日も同じ場所にいたが、こんなに人通りは多くなかった。今日はどこかで何か、特別な催し物でもあるのだろうか。

 通行人に当たらない十分な位置まで引っ込んでから、空を見上げる。

 うん。実にいい天気だ。

 でも、とても眩しい。

 地面に視線を移す。陽の光にやられた目が、瞬きの度に赤いライトをアスファルトに落とす。

 街灯に立て掛けた荷物の中から、絵の具やらパレットやら小道具を取り出して準備を整える。

 朝は人が多い。もう少し人通りが少なくなったら、画廊の中から絵をいくつか出して飾ろう。

 さて、今日は何を描こうか。


 眩しい空を頑張ってちらちら見上げながら、キャンバスに蒼の色を乗せていく。

 こんなに天気の良い空は久々かもしれない。どこまでも蒼く澄んでいて、雲を寄せ付けない自己主張の強い空だ。

 この大きな空は、朝、俺の前を通り過ぎて行った大勢の忙しそうな人達のようだ。俺の目には、忙しく過ぎて行った誰もが輝いて見えた。

 そこに混じる事は出来ない。俺はいつも遠くから見つめるだけだ。

 俺と彼らでは、居る世界が違う。


 ぼんやりとして手が止まっていた事に、気付く。

 再び筆を走らせる目的で、筆先に焦点を合わせると、レンガの地面に、さっきまではなかった影が出来ているではないか。

 手を動かす事を延期して、顔を上げる。

 目が合った。

 目の持ち主は、少し腰を曲げて頭を傾けている。椅子に座っている俺と目線を合わせるような姿勢のその子が、目の前から離れて真っ直ぐに立つ。

 赤みがかったガラス細工のような瞳に、目が釘付けになる。

 思っていたよりも低い背丈に、不釣り合いな漆黒のロングコートを羽織っている少女は、あまり感情を感じさせない声音で挨拶をする。

「こんにちは」

「……こんにちは」

 心臓がうるさく騒ぐ。

 長い睫毛が瞬きのたびに揺れる。はっきりとした目は真っ直ぐに前を向く。白すぎる肌は日の光で輝く。艶のあるウェーブがかかった髪が風になびく。人形のように整った容姿の少女から、釘付けになった目が離せない。

 控えめに温かい色の唇が開く。

「他にもありますか?」

「……ああ……」

 すぐに画廊へと引っ込み、自分が描いた絵を適当に持つ。

 生きて話していることが不思議なほど、少女はあまりにも人形のようだった。高級な人形のように、人の目を惹きつけて離さない。ずっと年下に違いないのに、彼女に見つめられると心が圧倒されてしまう。こういう外見を、真に可愛いと言うのだ。

 兎にも角にも、実に俺好みの容姿だ。

 画廊を出ると、少女はまるで人形のように、じっと動かずに待っていた。

 持ってきた静物画と風景画を地面に並べる。

「もっと見たければ中にどうぞ」

「………………」

 少女が無言で絵を見つめる。

 数十秒眺めて、少女の形の良い眉が徐々に寄って行く。

 何か、気に食わないことでもあったのだろうか。

 俺の眉間にもわずかに皺が刻まれていく。それに気付いたのか、 少女が可愛らしい顔を上げる。

「これは失礼しました。とても……悲しい絵ですね」

「は……?」

 そんなことを言われたのははじめてだ。

 少女は続ける。

「悲しくて優しい、深い愛に満ちた絵です」

 よくわからないが、興味を持ってくれたのだろうか。

 少女は、『いい絵ですね』以外の言葉で感想を伝えてくれた。照れ半分、戸惑い半分で、曖昧な返事を返してしまう。

「あ、ああ……」

 少女は目を少し細めて、柔らかく微笑む。

「貴方、死体が好きでしょう?」

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