仮面

深川夏眠

maschera


 まず、コンメディア・デッラルテって、ご存じですか? ああ、日本ではコメディア・デラルテと平たく発音した方が通りがいいかな。え、知らない? あのですね、役者が仮面を被って演じる喜劇のことです。即興で。大まかな台本はありますが、です。但し、登場人物はストック・キャラクターといって、予め造形がで決まっているので、る方も観る方も、じきに慣れます。道化師だの医者だの、悪党だのが出て来ます。ええと、アドリブは不可でしょうけれど、日本のだって面を使うし、配役にも一定の約束事がありますでしょう。あ、そちらも興味なし。そうですか。いや、結構。

 ともかく、我々は史料を元にオリジナルの脚本を書いて上演の準備をしていたんです。金に物を言わせて美女を思いのままにせんとする悪辣な好色ジジイに、若者たちが一泡吹かせるといった筋書きで。

 ところが、やってみると相当難しい。演者同士のアイコンタクトが効かないので。もう少し下がれとか、あと五センチ左へ寄せろだとか、始まってしまったら、そういう無言の合図が一切使えない。ちょっとした身振り手振りに頼りつつ、基本的に演出家の事前の指示に忠実に動かなければならない。

 私も悪戦苦闘して、どうにかこうにかこまやかな感情表現を心掛けていたのですが……そのうちに、妙な雰囲気を感じ取りました。

 ジャンドゥーヤ――って、チョコレートじゃありません、その名前の元になった正直者の農民キャラがですね、殺気を漂わせ出したんです。マスクの下は実直な会社員なんですけれども、これはもしや、どこかで日頃の鬱憤を晴らそうと企んでいるのじゃないかと。でも、稽古が終わると、当人は片づけや挨拶を済ませるや否やサッサと帰ってしまうから、はらの探りようもない。

 嫌な予感を抱えながらゲネプロの日を迎えました。そうしたら……既にご承知のとおり。

 ジャンドゥーヤは三角帽子を頭から外し、内側に仕込んでおいたナイフでパンタローネコッドピースに斬りかかったんです……。


                  *


 被害者は、くぐもった声で以上のように語った。容疑者の動機に心当たりはないそうだが、周囲の話では痴情の縺れだろうという。

 それよりも気になったのは、思いのほか元気で饒舌にまくし立てる彼が、病院のベッドでも尚、びゃくろうめいた妖しい仮面を着用していることだった。




               maschera【fine】




*2022年3月 書き下ろし。

*縦書き版は

 Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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仮面 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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