ここを最期のキャンプ地とする!

初見 皐

ここを最期のキャンプ地とする!

「ここを最期丶丶のキャンプ地とする!」



 ——最期。”最後”ではない。死に際の、終焉のキャンプ地だ。



 ゾンビに溢れ、瞬く間に全てが壊れ去ったこの世界。ここは廃墟と化した学校の階段、その踊り場だ。

 温存していたガスコンロを学校の制鞄から取り出して、明かりと暖を取るためだけに火をつける。



「先輩、腕の腐敗、どのくらい進んでます?」


 ——そう。最期のキャンプだ。行き着く先は命の終わり。


 先輩は右腕の袖をまくり、細い腕をあらわにする。そこにある噛み跡丶丶丶の周囲が、蝕まれるように腐敗していた。


「もう右腕の感覚がないや。……今日寝たら、もうそのままだろうね」


 僕も自分の左脚を確認してみれば、噛まれた足首から、膝上近くまであざのように変色している。じきに腐り始めるだろう。


「こんな状況で、まだ寝るつもりなんです?」


 今日は夜まで起きて、最期の時間を過ごす。揚げ足をとるようなことを言ったのは、今日寝れば『そのまま』では済まないことが分かりきっているから。死体になってまでこの終わった世界を彷徨うのは、流石に辛いものがある。



「何をしましょうかね……」


 僕たちの母校であるこの学校を散策するのもいいが、教室にはかつてのクラスメイトたちが篭城していたはずだ。その結末を見届けたいとは思えない。仮に生存者がいたとしても、未練が残るだけだろう。



「……お腹すいた」


「えっ」


「お腹すいた〜」


「……そういえばそうですね」


「そのレベル!?」


 昨日から何も食べていなかったせいで、空腹が限界突破して逆に忘れていた節がある。そっか僕たち食べないと生きていけない生き物だった。



 普段はほとんど缶詰をそのまま食べるだけだが、最後くらいは料理でもしようか。

 自分の制鞄の底に死蔵していた浅底の鍋を取り出して、先輩の鞄からは食材を取り出す。


 使えるものはあまりない。取り出すのは、ツナ缶に、玉ねぎとじゃがいも、それとトマト缶。

 とりあえず、ナイフを使ってじゃがいもの芽を取り除く。



「先輩って、料理とかするんですか?」


「私は結構料理好きだったから、そこそこできるよ。君にも食べてもらいたかったって、今更になって思うよ」


 ——今となっては、もう手遅れだけど。


 そんなニュアンスの込められただろうその言葉。

 右腕が使えない先輩は今、階段の見張りをしていて、こちらからは表情が窺えない。



 適当な大きさに切ったじゃがいもと玉ねぎを加熱した鍋に投入する。


「——先輩、手伝ってもらえますか?」


 しばらく無言の時間が続いた後の、唐突なお願い。


「えっ、でも私右腕が……」


「僕はもう一品用意したいので、鍋の中身が焦げないように見ておいてほしいんです。頃合いを見てトマト缶を入れてもらえると」


 トマト缶の蓋は既に開けてある。これなら、片手でもできるだろう。


「……うんっ」


 勢いよく頷いて、先輩は階段の見張りから鍋の見張りにジョブチェンジ。



「……うーん」


 言ってしまったからには、もう一品作らねばなるまい。さて、少ない食材と調理器具で、何を作ろう。


 鞄の中身を覗き込む。食材は……うん、無い。

 ばっ、と振り返ると、鼻歌を歌って鍋をかき回す先輩の姿。ばばばっ、と姿勢を戻して、頭を抱えて考え込む。


「——じゃがいもがまだ残ってたはず……っ!」


 先ほど出したじゃがいもの余りを半分に切って、ガスコンロの鍋の下に詰めるようにして置いておく。アルミホイルなんて贅沢なものはないので、多少の焦げや生焼けは妥協する構えだ。

 これで一品。



 見れば、鍋の中身はいい具合に出来上がっている。ポテトとツナの……トマト和え?

 蠱惑的な匂いを放つそれを、コンロから下ろす。

 唯一の食器であるフォークを2本引っ張り出す。これは流石に武器には使えなかった死蔵品。バトルフォークじゃあるまいし、当時の僕はコレフォークで何をどうしようとしたんだろう……?


 ……食事の前に考えることではないな、どう考えても。



「んじゃ、先輩、食欲あります?」


 先輩にフォークを手渡すついでに訊いてみる。お腹が空いているのと食欲があるのでは同じようで少し違う。余談だが、僕は下手をすれば口に物を入れた瞬間吐き出す自信がある。余談だが。



「お腹ぺこぺこだよ!」とのことなので、ポテトマポテトとトマ(以下略の鍋をずい、と差し出しておく。お皿がないのをいいことに、自分の食べた量を誤魔化す構え。

 最後に階段の上下階を軽く見渡して安全確認を済ませ、席に着く。


「これが本当の最後の晩餐ってヤツだね」


「なんというか、悲しいですね……」


「……そうだね」


「それじゃあ」


「「いただきます」」



 ・


 ・


 ・



 重い金属製の扉をしっかりと閉じて、広い屋上を振り返る。


「屋上、何気に初めて来たかもしれません」


 1年と数ヶ月、それなりに長い時間を過ごしたこの学校にあって、唯一見慣れない屋上。それも夜の学校となると、意味もなくワクワクしてくる。

 そんな僕に、数歩先に出ていた先輩は振り返り、自慢げに手を広げる。


「私にとっては勝手知ったるサボり場だけどね」


「なんかもうツッコむ気にもならないんですけど……」


 授業をサボる程度、今となっては瑣末さまつなこと。

 ——何せこれから僕と先輩がすることは、あの時の僕には考えもつかなかった非行の極みなのだから。


「月が綺麗だね」


 先輩の目線を追ってみれば、夜空には満月が輝いている。この街が生きていた頃には見えなかった天の川も、今ではくっきりと浮かび上がっている。


「もうしばらく星でも見ます?」


 本当、星空に映える人だな、なんて思いながら。立ち止まった先輩の横に並んで立つ。


  「最後まで鈍感な後輩 なぁ、君はまったく」


 小さくつぶやかれたその声に聞き返す暇を与えず、先輩は言葉を続ける。


「いや、これ以上は未練が増えるから」


 そう言う先輩は、もう右半身が動いていない。おもりのようにぶら下がる右腕は見るだに痛々しい。

 僕の左脚はすっかり黒ずんで、胴体まで侵食が進んでいる。腐食とは違ったその状態で、僕の脚は正常に動いていた。むしろ、噛まれる前よりも力が湧いてくるような気がして。それがどうにも、気持ち悪い。

 脳髄に突き刺さるような激しい痛みだけが、自らが人間であることを証明しているような気がして。




 ——案外、人影が少ないものだな。


 胸の高さの柵を乗り越えて、眼下の街を見渡す。案外生存者たちも頑張ったのかもしれない。見渡す限りの焼け野原に、彷徨う死者の姿は数えるほどしか見当たらない。



「それじゃ先輩、手を貸しますよ」


 半身が不随の先輩に手を貸して、彼女が柵の上に足を乗せるのを待つ。

 それから、ゆっくり、ゆっくり、慎重に、その足を柵の外側に下ろしていく。その、刹那。


「——っ!」


 先輩と繋いだ手のひらが、ゆらりと揺れて。

 気がつけば、彼女の体は宙に投げ出されていた。先輩と柵を繋ぎ止める僕の両腕が、いまさらのように痛みに軋む。


 必死のあまり声も出せずに、ぶら下がる先輩の瞳を捉える。


 もう、いいよ、と。全てを受け入れたその瞳に。


「それじゃあまた、来世で」


「うん、来世でまた」



 ——地獄に堕ちる前の刹那、僕は恋に落ちた。

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