3月の周波数
山下太一郎
3月の周波数
カレンダーが3月になると当然のように冬が終わり、すこし暖かくなった。彼女が「海に行こう」と言い出したのは、これが理由だろう。遅い冬の海と早い春の海の違いは確かにある。
言い出した週末には車で海を目指した。車は冬の間は家事にしか使わなかったけれど、こうして行楽に駆り出されると楽しく走っているように思えた。
かといって、運転する私はいつもと変わらない。ただ、アクセルもハンドルも軽く感じられた。私も浮かれているのだ。
いつものようにふたりきりだが、車内でのふたりきりはガラス越しで、見えるふたりきりだ。座席が動かせないので、ふたりの距離はずっと変わらない。あらためて考えると、車に乗っている間は不思議な手触りと、距離感で、ふたりきりを過ごす。
「私がナビしてあげよう」
彼女がスマホを操作して、目的地までのナビゲーションが始まった。あわせてカーラジオを流す。知らない声が、気軽にふたりきりの間を埋める。
「しばらく進んで、交差点を左ね」
「はいはい」
自宅を出て、海に向かう幹線道路に出る。彼女はすこし窓をあけた。日差しは心地よく、車内は暖かい。ふたりきりの車内に新たに参加する風が心地よい。
海に近づくにつれて、窓がさらに下がる。信号が少なくなり、ゆるくおおきくまがって続く道路を走るころには、窓は全開だった。風の音を聞いた私は少しアクセルをゆるめた。目的地に着くのを伸ばすかのように。その気持ちが彼女にも伝わってるといいな、と思ったり。
カーラジオからは昔の曲が流れている。あわせて彼女のハミングが聞こえる。
外を向いているのか、こちらを見ているのか。ハミングの周波数でわかる。つまり彼女はなにかと私を見ているようだ。私は慣れない道とナビを間違わないために、前を見続けるしかない。彼女ばかり私を見ていて、ずるい、と思わないでもなかった。いつものふたりきりとはやっぱりちょっと違う。
「みたことないくらい真剣だ」
「運転中」
私はすこし笑った。「話しかけてもいいんだ」「ナビしてたじゃん」と話を続ける。その声の周波数は私向き。
「ナビの時は私はナビ子なのだ」
その周波数は正面。スマホの地図と目の前の現実を合わせているのだろう。
「楽しいね」
その小さい声は、外向きの周波数。
3月の周波数 山下太一郎 @hazukashiinodehimitu
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