第46話 鸞龍

 どうしたものかと皆で考えていると、珍しく青丸が春正から離れ、椿たちの下へやって来た。そして、竹の実を啄ばみ始めたではないか。


「青丸。いけませんよ」


 椿がたしなめるが、青丸は一心不乱に竹の実を啄ばむ。

 それどころか、止めようと手を出した椿に対して抗議の声を上げると、広げた羽の下に竹の実を隠してしまった。

 穏やかだった青丸の豹変ぶりに、椿たちは困惑するばかりだ。


「御方様、まだありますから」


 成貞が控えめに言ったため、椿たちは青丸を見守ることにする。

 奪われないと理解したのか、身を起こした青丸は、再び竹の実を啄ばみ始める。

 あまりに夢中になって食べる青丸を見て、それほど美味いのだろうかと、椿たちも興味が湧いてくる。けれど関心は、すぐに彼の食欲とは別の所へ移った。


「青丸の体が、大きうなっておりませぬか?」


 鴉ほどの大きさだったはずの青丸が、一回りほど大きくなっている。

 当惑する椿たちの気持ちなど、どこ吹く風。青丸は成貞が持ってきた竹の実を平らげ、ぴいっとお替りを求めるように鳴いた。


「成貞殿、まだありますか?」

「すぐに持って参ります」


 成貞が部屋を飛び出してから、椿たちは改めて青丸の様子を窺う。


「青丸様は、食が細うございましたから、たくさん食べて成長したのでしょうか?」

「こんなに急にですか?」

「竹の実ですから」


 竹は成長が早い。一日で見違えるほど伸びてしまうこともある。

 だからといって、筍を食べた者が、急激に背が伸びることはない。

 答えが出ぬうちに、成貞が再度、竹の実を持って戻る。青丸の前に差し出せば、先ほどと同じく、夢中になって啄ばみ始めた。

 青丸はすでに、雉ほどの大きさまで育っている。


「御方様、尾をご覧ください」


 重勝に言われて椿が視線を動かすと、今度は青丸の尾が伸びていた。藤を模した髪飾りのように大きな鱗が列なる、不思議な形をしている。

 更には頭上に、蒲公英たんぽぽの綿毛を思わせる、冠羽まで現れたではないか。


 ここまでくれば椿たちも、青丸がただの鳥ではないと認めざるを得ない。

 追加で運ばせた竹の実まで食べて、ようやく満足したのか、青丸が顔を上げた。

 何が起こるのかと椿たちが息を飲んで見守る中、青丸はちょんちょんと跳ねて、庭に降りる。椿たちも、追いかけて庭に出た。


 日の光を浴びた青丸の鱗が、きらきらと煌めく。

 元々青味を帯びた色合いをしていた青丸だが、それでもほとんど黒に近かった。それが、夜が明けて朝を迎えるように、青く輝いていく。

 黒曜石の鱗は、蒼玉エメラルドへと姿を変え、揺らめき波打つ。

 青丸が翼を広げれば、晴れた日の海が現れた。


 羽ばたいた青丸が、ふわりと浮かぶ。宝玉で作られた、細工物さえ見劣りするであろう美しい尾羽が、空中を揺蕩う。

 そのまま椿たちの脇を抜けて部屋に戻った青丸は、眠る春正の上空を、ゆっくりと旋回し始めた。


 光り輝く蒼玉の鱗羽が、春正の体に降り注ぐ。青丸が弧を描くたびに、春正の体が青く輝いていく。

 その神々しくも幻想的な光景を、椿たちは言葉もなく見つめることしかできない。

 春正の全身が青い光で包まれると、青丸は彼の上で飛ぶのをやめて、外に出た。そして屋敷の上空をゆったりと回り、蒼玉の鱗羽を降らせる。


「私の腕が!」


 お鯛が驚いた声を上げ、袖をまくった。青丸の鱗羽に触れた彼女の腕は、淡く輝いている。火傷の痕があった部位だ。

 少しして光が収まると、白い肌が現れた。

 彼女だけではない。重勝も古い傷跡が青白く輝き、癒えていく。

 人間たちが驚愕している間に、青丸が下りてきた。椿の前までやって来て静止すると、嘴の先を軽く彼女の額に当てる。


「――もう大丈夫だよ、椿。遅くなってごめんね。育ててくれて、ありがとう」


 笑うように目を細めると、海に向かって飛び立った。

 美しく輝く鳥の姿を、椿たちは夢でも見ているような気分で見送る。


「もしや、青丸様が鸞龍様だったのでしょうか?」


 呆然と見送っていた人々の中から、重勝がぽつりと零す。

 椿ははっとして、懐に手を添える。

 水嶌家を出て尼寺に向かう際に、青丸がくれた羽根。椿は守り袋に入れて、常に身に付けていた。


「青丸が護ってくれていたのね」


 尼寺でお壼の方に追い詰められた時のことを、彼女は思い出す。襲い来る火の玉は、なぜか椿を避けるように動き、一つも当たらなかった。

 末姫が屋敷を襲った際も、炎が椿を焼くことはなかった。


「鸞龍様、ありがとうございます」


 遠ざかっていく青丸の姿に、椿たちは自然と手を合わせて、感謝する。

 とはいえ、彼らが遠く離れていく青丸を眺めていたのは、束の間のことだった。部屋の中から、呻き声が聞こえてきたのだ。


 反射的に振り返った椿たちの目に、薄っすらと目蓋を開けて彼女たちを見ている、春正の姿が映る。


「春正様!」

「殿!」


 椿たちは急ぎ庭から、部屋の中へと駆け戻った。

 椿へと手を伸ばした春正だったが、触れる前にその手を下ろす。気を取り直して優しく細めた目で愛しい妻の顔を見ると、微かに目を瞠った。


「椿、癒えたのだな?」


 春正は嬉しそうに破顔する。

 意識も戻らぬ重体だったのは、春正のほうだというのに、彼が気に掛けることは、いつも変わらない。

 愛する妻の幸せ。それが何より大切なのだ。

 椿は呆れ交じりに苦笑しかけるが、目に熱いものを感じで、奥歯を噛んだ。零れそうになる涙を飲み込むと、改めて口を開く。


「春正様と、青丸のお蔭でございます」

「青丸の?」


 眠っていたために事情を知らない春正は、不思議そうに眉を寄せた。それから身を起こそうと動く。

 だが長く眠っていたせいで、体が思うように動かなかったのだろう。よろめいた。

 すぐに成貞が手を差し伸べて、春正を座らせる。


「よく分からぬが、椿が無事ならそれでいい。……触れてもいいか?」

「はい」


 微かにためらった椿だけれども、青丸の言葉を信じて頷いた。

 春正の大きな手が、彼女の頬を包む。温かくて、懐かしくて、誰よりも愛しい人の手だ。椿の目からあふれる涙が、春正の手を濡らしていく。


 椿の頬に触れた春正は、一瞬だけ驚いた顔をした後、これでもかとばかりに表情を蕩けさせた。

 愛する妻に触れた掌から伝わるのは、柔らかくて温かな、心地よい肌触り。彼の手を焼くことはなかった。 


「もう、我慢しなくてもよいのだな」


 春正はもう一方の手も伸ばして、椿の頬を包み込む。

 涙に濡れた椿の瞳と、彼女を熱く見つめる春正の瞳が、重なった。


「これからも、私の側にいてくれるだろか?」

「無論にございます」


 二人は額を合わせ、互いの吐息を感じながら、愛しい人の姿を瞳に映す。


「椿」

「はい」

「愛している」

「私も、春正様を愛しております」


 椿の頬を包んでいた春正の手が、彼女の背中に回り、抱き寄せた。





<了>


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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椿~花燃ゆる~ しろ卯 @siro-u

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