第43話 竹花
竹を扱う職人たちを集めてから、十日も経たずして、竹の花と思わしきものが見つかったと、報せが届く。
どうやら職人たちは、春正からの指示を受け、竹林を見回ってくれたらしい。
吉報と喜ぶ椿と春正だったが、報せはこれだけでは留まらなかった。後日、花を咲かせた竹林から火が出て、全て焼けてしまったのだ。
幸いにも人里まで延焼することはなく、死傷者は出なかった。けれど領民たちの間に、不安が広がりつつある。
縁側で椿と夕涼みをしていた春正は、成貞から報告を受けるなり、鋭く虚空を睨み付けた。
「お告げ通り花が咲いたというのに、護れなんだか」
「竹はまだありまする。また咲きましょう」
「そうだな」
自嘲気味に零した春正を励ます椿に、春正は後ろ向きになりかけた気持ちを、前へと向ける。
「しかし、火か」
彼の脳裏には、末姫の姿があった。
椿も同じ人物を思い浮かべたのだろう。不安そうに瞳を揺らし、膝でくつろぐ青丸を撫でていた手を止めた。
「末姫様の仕業なのでしょうか?」
「おそらくな」
「ですが、なぜ竹を焼くのでしょう?」
「我々が竹の実を探していることを、どこからか聞きつけたのか。もしくは、鸞龍の邪魔をしたいのかもしれぬ」
下手人は別にいる可能性もあるし、動機も勘でしかない。
なにもかもが推測の域を出ないことに、春正はもどかしさを覚える。
「もしやすると、椿が夢で逢うた童は、鸞龍の化身なのやもしれぬな。椿を護ってくださる、守り神様だ」
「言われてみれば、そうかもしれませんね。今後は鸞龍様に、お礼と共にご祈祷するようにいたしましょう」
「ならば重勝に、鸞龍様の姿を描いてもらうのはどうだ? 私も礼が言いたい」
不安を帯びていたはずの声は、いつの間にか和らいでいた。
せっかく咲いた竹の花を失ってしまったことへの、失意はある。けれど沈んだままでは、何も改善されない。
顔を上げた青丸が、きょろきょろと椿と春正を交互に見つめ、それから胸を張るように、首を伸ばした。
「青丸も、重勝殿に描いてもらいたいのかしら」
「では青丸も描いてやってくれ。襖絵に挑んでみたいと言っておっただろう? ちょうど良いのではないか?」
春正が部屋の隅に控えていた重勝に話を振ると、彼は笑顔で頷いた。
「承知しました。鸞龍様と、青丸様を描かせていただきましょう」
「よかったわね、青丸」
「凛々しく描いてもらえ」
雨の降らぬ初夏のこと。
庭では、淡い黄緑色の光を灯す蛍が一匹、ゆらゆらと跳んでいた。
幸いにも、竹が花を付けたという報せは、焼けた竹林以外からも続く。
春正は急ぎ手配して、竹林の周りに兵を常備させた。今度こそは竹を護り、実を手に入れねばならぬと、万全の態勢で挑む。
蒲野安武にも連絡し、余力があれば兵を回すか、せめて実が生るまでは出兵を免除するよう取り成してほしいと、書状を出す。
これに対して、安武だけでなく澄久までもが、協力を約束してくれた。
「当家が撒いた種ゆえな」
自ら水嶌家の屋敷を訪れた安武は、春正と酒を酌み交わしながら、苦い顔をする。
椿は二人に酌をしながら、彼らの話を聞くともなしに聞いていた。
「次は仕留めまするが、よろしいな?」
念のためにと春正が問えば、安武は悔しげに口を一文字に引き結ぶ。裏切られ、城まで焼かれかけたというのに、末姫への想いは断ち切れぬらしい。
武芸に長け、
無意識に呆れた眼差しを向けそうになるのを、春正は酒をあおることで隠す。
「情けない話だがなあ。私にとって末姫様は、恩人なのだ」
酒が回ってきたのか、安武は仄かに赤らめた顔で、切り出した。
「顔がこのようになった時にな、私は酷く荒れた」
それも仕方がないだろうと、椿と春正は内心で頷く。
武士にとって戦傷は誇りと言いはするが、現実は厳しい。
生活に関わるような怪我を負えば、家を追われることもある。外見が崩れれば、周囲からの見る目が変わることもあるだろう。
「周りの態度がよそよそしくなってな。澄久様は変わらぬ態度で接してくださったが、同じ戦で利き腕を失われていた。主君を護れなかったことが後ろ暗くて、私のほうが澄久様を避けていたのだ」
鬱屈した日々を過ごしていたある日、安武は末姫と遭遇する。
彼女は安武を一瞥するなり顔をしかめ、持っていた扇を広げて、顔の下半分を隠した。
彼女の態度に激昂した安武が、思わず怒鳴り付けると、末姫は蔑んだ目で彼を見ながら、言い放ったという。
「そなた、元から醜かろう? 何を今さら嘆いておるのじゃ?」
末姫にとっては、顔を潰した安武も、それ以前の安武も、変わらなかったらしい。
「言われて目が覚めた。たしかに私の顔は、元より醜い。
中には安武の顔を見て、物言いたげな者もいた。だがそのほとんどは、あまり関わりのない者たちだった。
「後から友に言われたよ。怪我のせいで心が荒んだ私を見て、どう接してよいか分からず、距離を置いてしまったとな」
しみじみと語りながら、安武は焼いた
潮の薫りが、酒精によって鼻腔へと運ばれたのだろう。美味そうに口の端を上げた安武だが、磯の香りを乗せた酒精が去ると、再び影をまとった。
「優しさから出た言葉でないことは、重々承知している。なれど、私は末姫様の言葉に救われた。それは事実だ」
盃を置いた安武は、膳を脇にやると、姿勢を改めて春正を真っ直ぐに見つめる。
春正もまた、盃を置いて居住まいを正すと、安武に応じた。
「無茶は承知の上での頼みだ。叶うならば、今一度だけ、末姫様に生きる機会を与えてくれぬか? この通りだ」
拳を床について頭を下げる安武を見て、春正はまぶたを伏せる。
末姫に対する怒りは大きい。けれど、愛する者の命を守りたいと願う思いは、彼にも充分に理解できた。
ちらりと視線を椿に向けると、彼女は微笑んで頷く。
「確固たる約束はできませぬ。相手は人ならざる者。それがしは、それがしの家族や家臣、領民たちを優先せねばなりませぬ。その上で、余裕があれば、生きて捕らえましょうぞ」
「それで充分でござる。かたじけない」
空気を変えるため、椿はお鯨に命じて、追加の酒と肴を運ばせる。
「さあ、どうぞお召し上がりください。瀬田は海が近いゆえ、美味い魚介が豊富でございます。こちらも美味しゅうございますよ」
「かたじけない。奥方殿のことは、殿や水嶌殿からよく聞いておったが、まことに気立てのよい女子だのう。水嶌殿が羨ましい」
「三国一の妻でござれば」
「これは参った」
春正の切り返しに、安武は額を叩いて笑う。
夜はどんどん更けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます