第42話 神鳥

 しばらく末姫への警戒を強めていた水嶌の屋敷だったが、すぐに何かが起きるということはなかった。

 田植えも終え、梅雨の時期を迎えんとした頃、澄久から書状が届く。


 鸞龍という名の人物に関しては手掛かりのないままだが、相手が妖であることから、その線で、縁のある僧に問い合わせてみたそうだ。

 すると、神鳥の一種ではないかとの返事を貰ったとのことだった。


 曰く、神鳥は龍から生まれるが、時折、龍の姿を残した姿で生まれる場合がある。その鳥を、鸞龍と呼ぶ。蒼玉の如く輝く姿で、性格は温和という。


 書状から顔を上げた春正は、恨めし気な目を縁側へ向けた。


「うちにも鳥はいるが。あれはそんなに大層な鳥ではないからなあ。色も黒い」

「まあ、酷い。可愛い子ではありませんか。よく見れば、青味もありますよ?」

「しかし青丸だぞ? 神鳥というには、あまりに頼りなくはないか?」


 何かを感じ取ったのか、青丸がぴいっと不機嫌に鳴き、ばさばさと羽を動かす音が届く。

 騒ぐので鳥小屋から出してやれば、春正をくちばしついばんできた。


「怒っておるのか? ならばもう少し威厳を見せてみよ。お前、雀にも餌を奪われておるであろう?」


 猛禽類に似た姿の青丸だが、肉や魚は好まず、稲や粟、麻といった、穀物を好んだ。

 ぴいっと声を上げながら羽を広げて威嚇する青丸だが、まったく怖さはない。

 後ろから椿に抱き上げられて、膝に乗せられると、そのまま丸くなって気持ちよさそうに目を細める。


「お前が鸞龍であれば、女狐めの弱点やもしれぬのに」


 春正は呆れた顔をするが、叶わぬことを、いつまでも悩んでいても仕方がない。気持ちを切り替え、表情を緩めた。


「それにしても、今年はまだ雨が降りませんね」

「今年ばかりは、降ってほしかったのだがな」


 膝に乗せた青丸を撫でながら、椿は空を見る。

 もう梅雨を迎えてもよい頃だというのに、未だ晴れ間が続いていた。

 難しげに眉をひそめて空を睨んだ春正の視線が、庭へと下がる。


「今年は屋敷の中を飛び交う蛍が増えそうだ」

「楽しみでございますね」


 梅雨が明ければ、屋敷の庭を流れる小川を中心に、蛍が舞う。屋敷の中にまで迷い込み、夜も柔らかな灯りを点すのが、水嶌家では恒例となっていた。

 今年は火への対策を考え、小川を拡張し池を増やしている。蛍の数も増えることだろう。

 椿と春正は、楽しげに庭を眺める。


 そんな会話を交わした日の夜のこと。

 椿は久しぶりに、あの夢を見た。青く揺れる世界に、青い着物を着た童が立っている。


「今日は泣いていないのね」


 椿が話しかけると、童は嬉しそうに笑う。


「――もうすぐ、竹の花が咲くよ。実を集めて」

「竹の実を?」

「――そう。たくさん、たくさん集めて」


 それだけ告げた童の周りに、泡沫が立ち昇る。


「待って。あなたは誰なの? 春正様をお救いする方法はないの?」


 慌てて椿は問うたが、童の姿は、泡沫の中に消えていった。




 翌朝、椿は夢で見た童のことを、春正に伝えた。

 竹の実を集めて、何が起こるのか分からない。それでも春正を救ってくれた童の言葉である。きっと何かの役に立つのだろうと、椿と春正は考えた。

 しかし、である。


「竹の実か」


 竹は年中青く、花は咲かない。椿も春正も、竹の実など目にしたことがなかった。

 二人だけで話していても埒が明かぬと、側近たちや年寄りたちを集めて、意見を求める。

 だが竹の実どころか、花を見たことのある者もおらず、居並ぶ家臣たちは、眉間にしわを寄せて唸りだす。

 そんな中、記憶を探るように頭を捻っていた東重勝が、口を開いた。


「たしか天竺では、竹に実が生ると聞きました。神鳥は、この竹の実しか食べぬと」


 絵の勉強をしていた際に、唐や天竺のことも調べたらしい。その際に見た、神鳥に関する文献に書かれていたという。


「神鳥のう。竹の実も鸞龍に繋がるのか。しかし天竺となると、取り寄せるのは難しいだろうな」


 手掛かりは見つかったが、皆の表情は晴れなかった。

 使いをやろうにも、天竺は海を隔てて、さらに遠方だ。辿りつけるかさえ心許ない。


「なれど、もうすぐ花が咲くと仰られたのですから、この辺りの竹を探してみれば、どこかに咲いているのではありませぬか?」

「だがそもそも、どのような花なのだ?」

「竹ならば、竹の細工師を呼んで聞くがよろしいかと」


 竹細工を生業とする者ならば、竹林も管理している。長らく世話をしていれば、花や実について知っている可能性は高い。

 春正はさっそく領内に触れを出し、竹を扱う者たちを呼び集めた。


「竹の実、でございますか?」


 しかし彼らでさえ、竹の実について問われると、小首を傾げる。

 だが辛抱強く問うてみると、一人の男が、おずおずと声を上げた。


「お探しの物かは分かりませぬが、爺様から、竹に麦が生った話を、聞いたおぼえがございます」


 男の話によると、かなり昔に、竹の節から小さな麦の穂が生えてきたという。


「ちょうど飢饉の年で、天の恵みだと、刈り入れて食べたとか。ただ、実を付けた後、竹は山ごと枯れたそうでございます。爺様は、山の神様が、飢えた人々を憐れんで、竹に麦を生らせてくださったのだろう。無理をしたせいで、竹は力を失って枯れたのだろうと言っておりました」


 それだと、春正たち膝を打つ。

 さらに詳しい話を聞こうと、身を乗り出した。


「いつ頃のことか分かるか?」

「さて? 爺様が、爺様の爺様から聞いた話だそうですから、百年は昔の話になると思いますが」


 さすがにそれほど昔の話では、詳しく聞こうとしても、男は答えられない。その話をしたという男の祖父も、すでに他界していたため、直接聞きに行くこともできなかった。

 しかし、どのような実が生るのか分かっただけでも、収穫である。竹の実について話した男には、特別に褒賞を与えた。

 職人たちには、花が咲いたら報せ、実が生ったなら集めておくよう命じる。そうして職人たちを帰した。

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