第40話 疑心
狐の妖の亡骸を確認した長田家の使者たちは、一様に顔色を青ざめさせた。
「お壼の方様!?」
驚愕する彼らの瞳に、怒気が宿る。
元主君の奥方だ。今は澄久に仕えているとはいえ、格下の水嶌家に討ちとられた元奥方の姿を見て、動揺したのだろう。思わずといった様子で、春正を睨みつけた。
だが、すぐにはっとした顔をして、罰が悪そうに目を伏せる。
それから改めてお壼の方の亡骸を見やり、顔を歪めた。
「私どもは、狐の妖を主君の御方様と思い、仕えていたのですね。澄明様は御存知だったのでしょうか?」
ぽつりと零れた、問いかけるような呟き。長田家からの使者たちは、沈痛な面持ちとなる。
重い空気が流れたが、ふと、一人が視線をさ迷わせ、先程以上に顔をしかめた。
「人と妖の間の子は、人でございましょうか?」
澄明とお壼の方の間には、四人の子がいた。息子二人はすでに亡いが、娘二人は生きている。
使者たちの顔色は、青から土気色へと変わった。
「警戒はしたほうがよろしいでしょうな。その女狐は、姿を変えて我が屋敷に入り込んだそうです。そして何もない所から火を出した。湊井寺に属する尼寺を燃やした、下手人でもありますゆえ」
春正の言葉に、長田家の使者たちは重苦しく頷く。暗い表情のまま、彼らは三本松へ帰っていった。
狐の妖が、お壼の方であると確認が取れたので、春正は、蒲野安武に向けて文を
安武は戦場にいるため、すぐに対応はできないだろうが、末姫の監視を強めてほしいと
澄明を討った後、末姫の身柄は、安武の預かりとなっている。
安武が末姫に懸想していることに気付いた春正が、澄久を担ぎ出すために、末姫を駒として使ったからだ。
椿に危害を加えぬよう、城の奥深くに閉じ込めて、外には出さぬことを条件にしていたのだが、当時とは状況が変わって来た。
相手は狐の妖の血を引く娘だ。ただの女と侮っていては、痛い目に遭いかねない。
筆を置いた春正は、深く息を吐く。
家督を直正に譲り、椿の側にずっといられればと、無理と知りつつ思ってしまう。それが許されるなら、椿が出家した際に、彼も家を出ている。
◇
蒲野安武が暮らす城の裏手には、奇妙な屋敷がある。
一見すると、単なる小振りの屋敷に見える。だが外に繋がる戸は一つだけ。窓は灯り取りとして高い位置に設置され、その全てに格子が嵌っている。
そして何より目を引くのが、屋敷を囲う柵であろう。人の背丈を超える柵には、忍び返しまで付けられていた。
中に入ってみれば、床には畳が敷き詰められ、部屋を仕切る襖には季節の花々が描かれているなど、中々趣向を凝らした内装だ。
そんな屋敷には、二人の女が暮らしている。
一人は豪華な
長田澄明の末娘として生まれた彼女は、春正に離縁され、安武に引き取られてから、この屋敷の中で暮らしていた。
外へ出る自由はないが、欲しいものはほとんど与えられる。春正の下にいるよりは、幸せだと言えるかもしれない。
むろん、彼女自身はそのようなこと、欠片も思ってはいないが。
「おのれ、春正め。
怒りを滲ませる末姫の側には、もう一人の女、彼女の乳母よねが控えていた。しかし、よねは寡黙にして何も言わない。
以前は末姫の相手をすることもあったが、この屋敷に入ってから徐々に喋らなくなり、今では表情さえ変わらなくなってしまった。
命じられたことはできるが、命じられなければ、何もせず座っている。
末姫は苛立ちに任せて、安武から贈られた扇子を投げつける。
顔を上げても、窓から見えるのは空のみ。どれほど叫ぼうと、食事などの決まった時間以外に、人が来ることはない。
柵の向こうには、見張りの兵が立っているのだが、彼らは決して柵の中に入っては来なかった。
夜ごと顔を見せる安武だけが、末姫の言葉に声を返す。
醜い顔など見たくもないと、初めは訪れた彼を拒絶して、追い返した。しかし人の声を聞けぬ寂しさに負け、つい迎え入れてしまう。
それからは、毎夜の如く通ってくるようになった。
手は出されていない。ただ末姫の話に相槌を打ち、隣の部屋で眠り、朝になれば城に戻っていく。
そのこともまた、彼女にとって腹立たしい。
蝦蟇蛙に似た男になど、触れられたくないと思う末姫だが、先の夫である春正に続き、安武にまで求められぬとあれば、女としての誇りが傷つく。
「何ゆえに、妾がこんな目に遭わねばならぬのじゃ? それにここしばらく、通わぬのはなぜじゃ? 妾の他に、側室を迎えたのではあるまいのう? 蝦蟇蛙の分際で!」
苦々しくて、苛立たしくて、喚き散らしても、一向に気は晴れなかった。
安武は、側室など迎えてはいない。ただ澄久に従って、戦に出かけただけだ。武将ならば当然の務めである。
だがそれらのことを、安武はあえて、末姫に伝えていなかった。
じりじりと胸や頭を締め付けてくる苛立ちに、末姫は我慢が出来ぬ。けれど外に出ることさえ許されないため、発散することができずにいる。
溜まりに溜まった鬱憤で、気が狂いそうだと彼女自身が思ったとき、声が聞こえた気がした。
「誰じゃ?」
この屋敷で聞ける人の声は、末姫自身の声と、安武の声のみ。しかし聞こえてきたのは、女の声だった。
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