第39話 使者

「御方様、蒲野様から使者がお出でです」

「蒲野様から?」


 椿は一瞬、足下が揺れた気がして、息が詰まる。

 蒲野安武は、春正が親しくしている、澄久の側近である。こたびの戦には、彼も出陣していた。

 先ほど青丸が騒いでいた件もあり、春正の身に何かが起きたのではないかと、椿の胸中で、不安が渦巻く。


「どのような御用件でしょうか?」


 胸中の不安をひた隠し、確かめる。


「内々の話ですので、御方様にしかお伝えできぬと申しております」

「お会いしましょう。表書院へお通ししてちょうだい」


 椿はお鯨に青丸を預けようとしたが、青丸は椿の小袖に爪を立てて離れない。

 礼儀に反すると申し訳なく思うが、待たせるのも失礼だろう。ためらいながら、椿は青丸を連れたまま、使者に会うため部屋を移動した。


 先に待っていた使者は、椿が連れている青丸を見て眉をひそめる。しかしすぐに、兜を付けたままの頭を垂れた。戦場から駆けてきたのか、具足には土埃が付いている。

 椿が使者の正面に座ると、左脇に重勝が控えた。さらに女中たちも、椿を護れる位置に座る。


「どうぞご用件を」

「お人払いをお願いいたします」


 椿が脇に控える重勝を見やると、彼は小さく頷く。それを受けて、女中たちが立ち去った。


「そちらの方と、その鳥も」

「この者は春正の兄弟のようなもの。隠すことはございませぬ。鳥に関しては、申し訳ありませぬが、今日はなぜか離れてくれぬのです。どうぞ気にせずお話しください」

「しかし、内々にとのお達しでありますれば」

「この者に隠す必要はございませぬ」


 使者が不快気に目を細めたが、椿はひるまず毅然とした態度を貫く。

 春正の留守を預かっている以上、今は椿が屋敷の主だ。水嶌の名を落とさぬためにも、怖気づくことは許されない。

 重勝を下げぬ椿に苛立ってか、使者の爪が床を掻く。それを見逃さなかった重勝の左手が、膝横に置いていた太刀に伸びる。


「ええい! ままよ!」


 使者が叫ぶと同時。彼の体が発火し、火達磨となって椿に襲いかかってきた。

 だが火の手が椿に触れる前に、椿と使者の間に重勝が滑り込んだ。

 ちきりと唾鳴りの音がしたときには、重勝が椿に背を向けて、片膝立ちの姿勢となっている。彼の左手には、鞘に納めた太刀が握られていた。


「出合えっ! 曲者だ!」


 重勝の声が空気を震わせる。とたんに屋敷の中が慌ただしくなり、薙刀なぎなたを構えた女たちが、部屋になだれ込んで来た。

 数人が椿を護る様に立ちはだかり、残りは使者を囲んで穂先を突きつける。


 赤い海の中でもがいていた使者が、顔を上げた。憎々しげに、重勝を挟んで椿を睨む。その顔を見て、重勝は警戒を強めて目を窄め、女たちは驚きと戸惑いで目を瞠る。

 使者の顔は、先ほどまでいた使者の顔ではない。似ても似つかぬ女の顔だ。


「口惜しや。真のかたきを見つけ、その宝を奪えると思うたのに。二度もしくじるとは。憎らしや、鸞龍らんりゅう……」


 椿からは、重勝や女たちに隠れて使者の顔が見えなかったが、声に聞き覚えがあった。尼寺で彼女を襲った、お壼の方とよく似ている。

 まさか、と動揺しながらも、成り行きを窺う。


 使者を囲む女たちの一人が、穂先で突ついて動かぬことを確認してから、仰向けにする。それから、恐る恐る兜を取った。

 兜の下から現れる、狐の耳。一同はまたも驚愕し、息を飲む。


「御方様。こやつは尼寺で、御方様を襲った女狐めでございましょうか?」


 尼寺での出来事を聞いている重勝が、確認するため椿に亡骸を見せた。


「ええ、間違いありません」


 青ざめた顔の椿が頷くと、重勝は指示を飛ばす。


「殿に一刻も早く、このことをお伝えせよ。それと、長田家にも使者を。お壼の方様の顔を知る者をお寄こしくださるように、お願い申せ」


 それから重勝の指揮により、屋敷の警戒を強めた。




 報せを受けた春正は、驚くべき速さで瀬田に戻って来る。

 屋敷を襲ったのがお壼の方である可能性があるということで、澄久から早々に、戦場を離れる許可が下りたのだ。

 そこからは兵の大半を直正と成貞に任せ、少数の手勢だけを連れての帰還である。先触れの使者さえなかった。


「椿! 無事か? 顔を見せよ、椿!」


 帰ってくるなり、愛妻の名を呼びながら、屋敷の中を闊歩する。


「春正様、お帰りなさいませ」

「椿! 無事であったか。怪我はないか?」

「殿、なりませぬ」


 重勝が間に入って止めなければ、春正は勢いのままに、椿を抱きしめただろう。


「ご安心ください。この通り、無事でございますれば」

「さようか。ならばよかった」


 ようやく息を吐いた春正に、若い女中のお鯛が白湯を運んでくる。一気に飲み干した春正は、再び大きく息を吐くと、じっくりと椿を見つめた。

 傷一つないと確かめると、重勝に顔を向ける。


「それで? 狐は何か吐いたか?」

「申し訳ござりませぬ。とっさに斬りましたゆえ、何も聞き出せませなんだ。むくろは念のため、屋敷から離れた場所で見張らせております」


 寺を焼いた狐の妖だ。たとえ躯となっても、燃え上がらないとは限らない。


「よい。よくぞ椿を護った。礼を言う」

「もったいなきお言葉」


 主従の会話を聞きながら、椿はお壼の方が、最後に口にした言葉を思い出す。


「憎らしや、鸞龍」

「なんだ?」

「狐の妖が、最後にそう申したのでございます」


 真の敵を、の下りは伝えなかった。

 澄明を討つと決めたのが、澄久ではなく春正だと気付かれ、そのために椿が再び狙われたなどと知れば、春正は己を責めるだろう。

 だから伝える必要はないと、椿は重勝たちにも口止めしている。


「鸞龍、のう」


 春正は、しばし記憶を探るように首を捻ったが、答えは出ない。


「重勝は何か思い当たらぬか?」

「人の名前ではありますまいか? 長田様にお尋ねするのがよろしかろうかと存じます」


 重勝の言葉を採って、春正は後日、長田家から訪れた使者に問うてみた。けれど、彼らも知らぬと首を横に振る。

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