第28話 反逆

 春が近づき、木々が芽吹くために、固いつぼみを緩め始めた頃のこと。夜が明けるには、あと四半刻30分はあろう時間だろうか。

 水嶌の屋敷の縁側に、柱を背に座り込む、春正の姿があった。

 彼の体は具足で固められている。暗闇の中、春正は庭を歩いてくる微かな音を聞き留め、目を向けた。


「来たか」

「はっ」

「付いて参れ」

「はっ」


 春正の合図に応えた声は、一つではない。幾つもの足音が、屋敷の中を足早に進む。

 女の悲鳴が上がったが、春正は目もくれずに母屋へ向かう。目指すは父母の臥所しんしつ


「何事だ!?」


 枕元の太刀を抜き、構える父国正を、部屋に踏み込んだ春正は、冷たく見下ろした。

 息子の姿を目に映した国正は、なぜ? と疑問を顔に浮かべる。それでも慌てふためくことなく、春正を睨み上げた。


「何のつもりだ?」

「父上、ご隠居くださりませ。さすれば命は取りませぬ」

「断れば、父の命を奪うというか?」

「さよう」


 一片の迷いもない春正の言葉に、国正は愕然とする。

 親子の仲は特に悪くはなかった。いずれ春正に家督を譲るつもりであったので、このように力づくで家督を奪われる理由が見当たらない。

 国正は耳をそばだてて部屋の外の音を拾い、状況を理解するなり息を飲む。


 この屋敷の主は国正だ。いくら春正が嫡男であるとしても、家臣たちが従うべきは国正である。

 それなのに、誰も国正を助けに来ない。いや、わずかばかりだが、剣戟の音は聞こえた。それでも戦う音が少なすぎる。


「すでに掌握していたのか」


 気付かぬうちに、水嶌家に仕える家臣たちの忠義は、春正へと移っていたのだ。

 当主として、これほどの屈辱があろうか。国正は唇を噛みしめ、息子を睨む。


「なぜこのようなことを?」

「澄明を討つため」

「主君に刃を向けるなど、許されるものか! 思い直せ!」

「ですから、父上には知らせなかったのですよ」


 息子の不義理に憤る国正は、更なる悪夢を見る。


「兄上、末姫は捕えました。馬の支度も整えてございます」

「苦労」


 臥所に現れたもう一人の息子直正までが、彼を裏切っていたのだ。

 顔を向けた直正に微かな期待を向けた国正だったが、それもすぐに潰えた。

 直正は鋭い眼差しで、国正を睨む。その目は親に向けるものではない。戦場で敵に向ける、冷え切った眼差しだ。


「兄上、ここはそれがしにお任せを」

「頼んだぞ、直正」

「はっ」


 弟の言葉で身を翻した春正は、来た道を戻って己が暮らす棟に向かう。


「成貞」

「はっ」


 春正に応えた成貞は、春正と別れ玄関へと走った。

 空がほんのりと明るさを帯び始める中、鐘や法螺が鳴り響く。その音を聞いた領内に暮らす男たちは、あちらこちらの家から飛び出して、事前に決められている場所へ急ぎ向かう。

 その動きを脳裏で推算しながら、春正は末姫の臥所に踏み込む。


「なんのつもりじゃ!? かような無礼を妾にいたして、ただで済むと思うてか!?」


 末姫と彼女が長田家から連れて来た女たちは、すでに春正の家臣たちによって拘束されていた。

 一人喚く末姫に対して、春正は軽蔑をあらわに、冷えきった目を向ける。


「ここは長田様の城ではない。いい加減に身の程を弁えたらどうだ? 秘密裏にいかようにも出来たものを、今まで客人として持て成して差し上げたのだ。むしろ私の気の長さを、褒めてもよいと思うのだがな」

「客人じゃと? 妾はそなたの妻じゃぞ!?」 


 末姫の言葉を聞き、思わず春正は、はっと鼻で笑う。


「私の妻はただ一人。椿だけだ。お前ではない。ご案じ召されるな。末姫様にはまだ利用価値があるゆえ、殺しはせぬ」

「父上が許さぬぞ?」

「さほど御父上がお好きなら、討ち取った首は、末姫様に差し上げるといたそう。なに、どうせ最後は不要となるものだ」


 さすがに末姫も状況が理解できたのだろう。朱に染めていた顔を青くして、震え始めた。


「殿、支度が整いました」

「すぐに行く。……その女は牢に入れて見張っておけ」

「はっ」


 春正は家臣に命じると、身を翻して外に出る。

 玄関脇で控えていた成貞から手綱を受け取ると、愛馬青鹿毛に飛び乗った。


「行くぞ!」

「はっ」


 集めておいた兵たちと合流するなり、澄明のいる三本松城を目指し、街道を南下する。


 春正たちが三本松城からほど近い、九尾ヶ原くびがはらに到着した時には、すでに多くの兵が集まっていた。いずれも澄明のやり方に反感を覚えていた者たちだ。

 大将は還俗した長田家の長子、長田澄久。彼の側には、蒲野安武が控える。


 そして明くる朝、戦の火蓋が切って落とされた。

 春正は青鹿毛に跨り、敵陣へと駆けこんでいく。獅子奮迅の活躍を見せた彼は、兵たちを蹴散らし、敵本陣にまで切り込んだ。狙うは只一人、長田澄明。


「水嶌春正、長田澄明を討ち取ったり!」


 春正が叫べば、耳をつんざく歓声が上がった。

 澄明の息子二人も討死し、その日の内に三本松城は明け渡される。しかしそこで、予想外のことが起きた。


「おのれ、おのれ澄久! 澄明様の血が流れておるから生かしてやったのに。この恨み、憶えておれ!」


 澄明の側室おこんの方が、城に火を着けて、行方をくらましたのだ。

 とはいえ勝敗は決まり、戦は終わった。

 澄明の跡を長田澄久が継いだのは、言うまでもあるまい。

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