第27話 龍鱗
案内されて目にした鳥の雛は、まだ幼く、毛も生えていない。その代わり、黒い鱗のようなもので体を覆われていた。
「何の鳥だ?」
「分かりませぬ。爪から推察するに、鷹の仲間と思われますが、幼すぎますゆえ。ただ、何らかの病を患っているようです。健康な鳥の雛は、このような肌をしておりませぬ」
春正の問いに、家臣の一人が答えた。
椿は心配そうに鳥の雛を覗く。成鳥に育てば山の獣たちを狩る猛禽類だとて、雛のうちはか弱く思えた。
「このままだと、どうなるのでしょうか?」
「ご案じ召されずとも、巣に帰りますよ。もし戻れずとも、その内に雛の鳴き声を聞いた親鳥が現れるでしょうから、問題はありません」
猛禽類の雛が巣から落ちることは、珍しくない。外敵に襲われて逃げ落ちることもあれば、飛びたいという欲望に駆られて、自ら飛び落ちることもある。
それらの雛は、たとえ羽が生えそろわぬ幼鳥だとしても、鋭い自分の爪を使って木を登り、巣に戻っていく。
そして飛べるようになれば、親鳥から餌の取り方を教わり、自然界を生き抜いていくのだ。
落ちた鳥の雛を拾うことは、決して彼らを救うことには繋がらない。
人間に拾われ育てられた雛は、餌を狩る技術を学ぶことができず、生存競争に敗れ、いずれ飢えて死んでしまうだろうから。
そう説明を受けても、椿は雛鳥から目が離せなかった。
こんな頼りない姿の雛が、本当に巣まで戻れるのか。そして病に侵されているらしき雛が、無事に成長できるのか、心配だったから。
そんな椿の様子を見ていた春正は、雛鳥を今一度見てから決断を下す。
「連れて帰ろう」
「ですが」
「そろそろ鷹が欲しかったのだ。これも何かの縁だろう。巣から雛を奪うより、落ちた雛を連れ帰るほうが、親鳥も諦めがつこう」
朗らかに笑った春正は、家臣に命じてさっさと雛を拾わせた。
鷹狩は武士の嗜みだ。交遊が広がっていけば、方々から誘いを頂くことも出てくる。その際に、鷹がいないからと断ったのでは、折角の
春正が言う通り、鷹を飼い、懐かせておく必要があった。
そうして連れ帰った雛鳥は、日陰では黒く見えたが、日に透かしてみれば羽が青みを帯びていたことから、青丸と命名される。
椿と春正の二人で育てた青丸はしかし、春正の思惑を外れ、鷹には育たなかった。
しかも羽の代わりに鱗が生えているため、飛ぶことができない。屋敷の屋根に飛び上がることすら、できない有り様だ。
とうぜん鷹狩りには使えないわけだが、春正は青丸を見捨てることなく、屋敷に置き続けた。
「――そのようにお優しい御方でございます。血も涙もないだなどと、有り得ませぬ」
椿の話を聞き終えた雨洗は、彼女を微笑ましい眼差しで見つめていた。
「春正殿の人となりはともかくとして、仲睦まじい夫婦であったことは、よく分かったよ」
頂いた感想に、きょとんと二、三度瞬いた椿は、赤面する。
春正の優しい所を伝えたはずが、はたから聞いていれば、夫婦の惚気でしかなかったと気付いたのだろう。
「お耳汚しを失礼いたしました」
「よいよい。このような所にいると、苦しみごとを耳にすることは多いが、楽しみごとを届けてくれる者は少ないからね。よく聞かせてくれた」
人を悩みから救うことが、御仏に仕える者の務めではある。けれど、たまには甘いものもよかろうと、雨洗は笑う。
しかし彼の内面は、穏やかなだけではなかった。
椿を尼寺に帰した後、雨洗は夕日に染まっていく赤い海を眺めながら、思考に耽る。
仲睦まじかった夫婦が別れ、妻は尼僧となり世俗を離れてしまう。夫である春正が、椿を求めて何度も尼寺を訪れたことは、湊井寺の住職から聞いていた。
「逆鱗に触れたか」
龍は普段は温厚で、人を乗せることもあるという。けれど逆さに生えた鱗に触れられると、怒り狂い、多大な被害をもたらす。
雨洗は長らく会わぬ弟妹たちの顔を思い浮かべる。
少々傲慢なところも有り、配下の武将たちと衝突することもあったが、一線は弁えていると見ていた。しかし――。
「水嶌のみならば潰せばよいが、おそらくそうではないのだろうな」
彼に話を持ち込んだ蒲野安武は、決して目先の欲に眩んで、事を決する人間ではない。主君である長田家を裏切るなど、毛先ほども考えつかぬ男だと、雨洗は知っている。
そんな彼が、雨洗に還俗を打診してきた。
「私がおらぬうちに、長田の家は乱れたか」
雨洗の判断一つで、濁流は大きく流れを変えるだろう。
戻ることを選んだ場合、彼を旗頭にして、澄明を討つことが決まってしまう。
さりとて戻らねば、燻る火は大きくなり、やがて国中で戦火が上がりかねない。そうなれば、多くの領民たちの苦難に繋がる。
雨洗は決断を迫られていた。
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