第23話 夜光

 月のない夜空には、どこまでも深く深く、星が散りばめられていた。白、青、黄、赤と、色取り取りの星々が寄り添い合い、夜空を輝かせる。

 流れ星を探したりしながら、椿は春正の胸にもたれて、夜の散歩を楽しんだ。


「椿、目を閉じていろ。いいと言うまで、開けるのではないぞ?」


 波の音が聞こえてくると、春正が言った。

 椿は逆らわない。春正に言われるまま、目を閉じる。

 とくり、とくりと、彼の胸から鼓動が伝わってきた。温かくて、優しくて。椿は眠たくなってくる。

 夢の中に入ろうかという所で、春正の声がした。


「椿、目を開けよ」


 微睡んでいた椿は、とろんとした目で上を向く。春正のきらきらと輝く瞳が映り、嬉しくなって口元を綻ばせた。


「椿、私ではなく、海を見よ」

「海、ですか?」


 きょとんと瞬いた椿は、不思議に思いつつ、波の音が聞こえるほうへと首を動かす。

 すると、濃藍色をした夜の海が、青白い光を放っているではないか。


「うわあっ!」


 椿の口から感嘆の声が飛び出た。

 波打ち際は一際明るく輝き、沖には幾筋もの光の帯が漂う。

 揺蕩う光の帯は、波に押されて浜辺へと寄せられる。浜辺を登った帯は波に取り残されて、星々のように煌めいた。


「お星さまが落ちたのですか?」

「さて? それは私も知らぬ。ただ夏になると、月のない日に、こうして海が光ることがあるのだ。どうだ? 気に入ったか?」

「はい。たいそう美しゅうございますね。連れてきていただき、ありがとうございます」


 椿は春正の温もりを感じながら、しばらく海の星々に魅了される。

 青白く、時に黄色にも見える、柔らかな光。空の星々よりも近いせいか、ずっと強く輝いて見える。


「海の星は、拾えぬのですか?」

「行ってみるか?」

「はい」


 春正は青鹿毛に乗ったまま、海に近付いていく。


「降りぬのですか?」

「夜だからな。万が一にも、椿が波にさらわれてはならぬ。青鹿毛の上ならば、波に呑まれることはあるまい」


 水嶌の家に嫁いだ年。初めて連れてきてもらった海で、椿は溺れて春正に助けられている。

 思い出した椿が苦い顔をすると、春正はくすりと笑って彼女の頭を撫でた。


「そんな顔をするな。もしまた波にさらわれても、私が必ず助けてやる」

「ありがとうございます。でももう、さらわれたりは、いたしませぬよ?」

「そうであってほしいがなあ」

「もうっ」


 口を尖らせた椿が春正の胸を叩くが、彼は笑うだけで、痛がりもしない。

 波打ち際近くまで青鹿毛を進めた春正は、椿に下を見るように言う。青鹿毛が湿った砂浜の上を歩くと、足下が輝いた。


「綺麗。まるで夜空の上を散歩しているようです」


 うっとりと声を上げる椿に、春正は満足そうに笑む。

 けれど、しばらく浜辺の星を見つめていた椿は、眉を寄せて春正を見上げる。


「動いています」

「虫だからな」

「お星様ではなかったのですね。蛍でございますか?」

「蛍より小さい。飛びもせぬ」


 愉快そうに笑った春正は、浜に降りていた成貞から、小石を受け取った。


「椿、見ていろ」


 春正が海に向かって投げると、石が落ちた場所を中心にして、光が広がっていく。強く広く輝いた光は、波に溶けるように消えていった。


「凄いです」

「そうだろう」


 頬を赤く染め、目を輝かせて見上げる椿に、春正は満足そうな顔をする。

 椿を喜ばせるため、春正が連れてきた家臣たちは、次々と石を海に投げ込んだ。その内に、水面を何度跳ねさせられるか、競争を始めた。

 青く輝く光が、飛び石のように沖へと伸びていく。


 夢中になって見物していた椿だったけれど、夜のとばりには勝てなかった。次第に目蓋が下がっていって、ついには夢の中へと落ちていく。


 そして目が覚めた時には、臥所しんしつで眠っていた。

 海に星が落ちていたのは夢だったのかと、椿は残念に思う。

 けれど、春正たちと一緒に国正に呼び出されて、夜中に屋敷を抜け出したことを叱られたことで、現実だったのだと思い知らされた。




 昔を思い出していた椿は、くすりと笑みをこぼす。

 幼い頃は、お互いに男女の情というものに疎かった。春正は椿を妻と呼びながら、妹のように扱う。

 それは椿も同じで、夫という存在に憧れながら、理解しきれておらず、春正を兄のように慕った。

 競うように喜ばせあって、笑って、時々やり過ぎて一緒に叱られて。そうして気付けば、互いに誰よりも大切で、誰よりも近しい存在になっていた。

 けれど──。


「忘れなければ」


 春正の隣には、すでに末姫がいるのだから。

 そう思うと、彼の幸せを喜ぶのではなく、妬む気持ちが湧いてきた。己の醜さが嫌になって溜め息を吐くと、椿は海から目を逸らし、臥所に戻る。



 ちょうどその頃、水嶌の屋敷でも、春正が縁側で、酒を片手に夜空を見上げていた。

 春正の顔に、かつての柔らかな面影はない。精悍な顔立ちは、武士として頼もしく見えるであろう。しかし、以前から彼を知る者たちには、痛々しく映る。

 椿を失ってから、彼は変わってしまった。領民や家臣を思いやり、笑顔を絶やさなかった青年は、戦となれば先陣を切り、平時においても陰鬱な空気をまとう。

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