第19話 真実
しんしんと降り続ける雪は、庭を白く染めていた。藪つばきの花の上にも、白い雪が積もっていく。
雪の重さに耐え兼ねたのか、赤い藪つばきの花が一つ、ぽとりと落ちた。その隣には、先に落ちた白い藪つばきが並ぶ。寄り添う二つの花の上に、雪はなおも降り積もる。
「春正様、お加減はいかがでございますか?」
年を越してしばらくしてから、春正の体調は今一つだ。
日課であった朝夕の太刀稽古も、しばらく休んでいる。
切り上げる時間が徐々に早くなっていたのは、椿も昨年の内には気付いていた。それなのに、寒くなってきたからだと深く考えなかったことを、彼女は悔やむ。
日常には支障のない程度だが、活発だった春正の行動は、鳴りを潜めている。
「案ずるな。本当に大したことはないのだ。寒さのせいで、動きが鈍っているのだろう。春には元通りになる」
そう言って、椿に両手を伸ばし抱きついた春正の眉間には、しわが寄っていた。けれど抱きしめられて彼の胸に顔を埋めた椿が、知るよしはない。
椿に触れるたび、春正は焼けるような痛みを覚える。それは戦で負った火傷を、椿が肩代わりして以降、変わらない。
一度ならばまだしも、日に何度も強い痛みが繰り返されれば、徐々に体力を奪われていくのは当然のこと。
弱った体を労うこともなく、椿に触れ続ける春正の体は、気力だけでは誤魔化せぬほどに衰弱していた。
分かっていても、春正は椿に触れることをやめられぬ。
触れ合いを控えることで、心変わりしたと椿の不信感を買うかもしれない。春正の症状を悟られるかもしれない。
どちらも椿の柔らかな心を、傷付けてしまうだろう。下手をすれば、彼女が自分の下から去ってしまうかもしれない。
そんな絶望的な状況に比べれば、体の不調程度は軽いものだと、彼は思う。
しかしそれ以外にも、春正は椿に触れねばならぬ理由を見つけていた。
異変に気付いたのは、夜を共にするようになってからのこと。椿の体を覆う火傷の跡が、微かだが和らいでいたのだ。
他の者には分からない、極々わずかな変化でも、椿を愛する春正が、見逃そうものか。
平気な振りをしている椿だが、人目を避けていることは明らかだ。傷跡を消せるのなら、消したいに決まっている。
治るかもしれないと知れば、喜ぶだろう。しかし春正は、椿に伝えることを先伸ばしにした。まだはっきりとしていないのに、ぬか喜びさせて、悲しませたくはなかったから。
だから春正は誰にも言わず、変化を観察していた。
初めは、時間と共に薄らいでいくのではと考えた春正だったが、しばらくして、その予想に疑問が湧く。
春正が長く家を留守にしている間には、何の変化も見られなかったのだ。
試しに多く触れる部位と、あまり触れない部位を意識してみると、明らかに多く触れている部位のほうが治りが早い。
彼が椿に触れるほどに、ほんのわずかずつではあるが、彼女の体に刻まれた火傷の跡が、薄まっていくのだ。
そのことを確かめたとき、春正は、椿の変化を誰にも告げなかった己を、賞賛したい気分だった。
誰かに伝えていれば、その者にも気づかれたかもしれない。そして春正の体調不良とも、結び付けられてしまったやもしれぬ。
そうなれば、椿は春正の体をおもんばかり、距離を置いてしまっただろうから。
「椿、愛している。いつまでも傍にいてくれ」
「まあ、今日は甘えん坊さんですね。私も愛しております。ずっとお傍におりますから、少し横になってお休みください」
「こうしてそなたに抱きついているほうが、楽なのだ」
「困ったお人です」
言葉とは裏腹に柔らかな椿の声を耳に留めながら、春正は彼女の体を抱きしめる。
柔らかく、温かかったはずの彼女を感じることはできなくとも。業火の炎で焼かれようとも。
春正は椿を手放す気など、
冬が去り、山々が緑や薄紅色に色づき始めても、春正が体調を取り戻すことはなかった。
衰弱してからも、意識のあるうちは痛みを隠し続けた彼だったが、眠っている間の体は正直だ。
夜更けに目覚めた椿は、眠りながら呻く春正の姿を見て、悲しげに眉をぎゅっと寄せた。
春正が苦しんでいること自体も辛いが、日中の彼がどれ程無理をしているのかと思えば、さらに胸が締め付けられる。
彼の苦痛を取り除いてあげられればと願いながら、なにもできない自分が悔しくてたまらなかった。
春正の呻き声が、止まったのだ。代わりに聞こえてくるのは、柔らかな寝息。
まさかと思いながら、椿は春正に触れた。とたんに彼は、再び呻き声を発する。手を離せば、苦悶の声は消えた。
信じたくなくて、もう一度確かめて、彼女は確信する。
「あ、ああ……」
椿は慌てて己の口元を両手で抑えた。視界が滲み、涙が零れ落ちる。
春正の体調不良の理由を、彼女は知ってしまった。
いつからだろうかと考えて、すぐ答えに辿り着く。
春正が戦で負った瀕死の傷を、椿が肩代わりした。移されたのは表面だけで、あるはずの痛みはない。
不思議に思いつつも、神仏の霊験とはそういうものなのだろうと、彼女は納得していた。
けれど、痛みも残っていたとしたのなら。椿に触れることで、その痛みが春正にもたらされているとしたら。
本来は死ぬはずだった怪我だ。痛みを受け入れ続ければ、春正の命は危ういのではなかろうか。
思い至ってしまった椿はもう、春正に触れることができなかった。
椿と褥を共にするようにしたことが裏目に出てしまったことに、眠っている春正は、まだ気づかない。
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