第17話 恋情

「それとな、昨年は末姫様に、その、気に入られたのであろう? もしも、お顔を合わせて態度が変わっていても、気にするな。あの御方は飽きっぽい。三日とは言わぬが、すぐに次へと興味を移す。気落ちするでないぞ?」


 春正の心情を思いやり、苦しげに表情を歪めている安武だが、全て見当外れである。

 どう返せばよいかと悩む春正の反応が、安武には心を痛めているように見えたのだろう。安武はますます眉を下げていく。


「たしかに末姫様はお美しい。あの気の強い所も愛らしい。だがな、そなたには、すでに嫁御がいるのであろう? これからは、嫁御を今まで以上に大切にするがいい。そうすればきっと」

「すみませぬ。話を切って申し訳ないのですが、よろしいでしょうか?」

「なんだ?」


 耐え切れず、春正は口を挟んだ。

 安武はといえば、話の途中で邪魔をされたと怒るどころか、先人として、どんな相談にも乗ろうと、真剣な表情で意気込んでいる。

 安武が深刻な顔をすればするほど、春正は罪の意識で心が痛み、言い淀んでしまう。それでも誤解を解こうと、言葉を押し出した。


「あの、私は別に、末姫様のことは何とも思うておりませぬ。ですので、特に気にしておりませぬ」

「なんと? あれほどお美しい娘、そうそうおらぬぞ? 少々気が強いかもしれぬが、武家の嫁に迎えるのであれば、大人しいより気が強いほうが好ましい」

「いえ、末姫様がどうこうというよりも、私は妻以外の女子おなごには、感心がありませんので」


 安武とは、女の趣味が合わないらしいと、春正は確信した。たで食う虫も好き好きとは言うものの、春正には、末姫の魅力がちっとも理解できないのだから。


 一方で、安武のほうも混乱していた。

 昨年、家中で話題になるほど末姫から気に入られた幸運な男が、一変して美しかった顔を失い、彼女の関心を失ってしまったのだ。

 美しい顔を失った現実を突きつけられて、さぞや落ち込んでいるだろうと思い、相談に乗ってやろうと、二日続けて登城した。


 顔を崩した苦しみは、同じ経験を持つ者でなければ分からない。経験のない者に相談したところで、武士の勲章だ、恥じるななどと、心無い言葉で一喝されるだけだ。そのことを、彼は身を持って知っていたから。

 それがどうだろう。彼の目の前に座る春正は、気にしていないと言う。

 もしや強がりだろうかと不審に思いながらも、安武は念のために問うてみる。


「奥方殿はなんと?」

「妻は、外見で態度を変えるような娘ではありませぬゆえ」


 自分の心配はまったくの見当外れだったと、ようやく安武は思い至った。恥ずかしそうに頭を掻く。


「それは心強いのう。私も澄久すみひさ様のお蔭で、腐らずに済んだ。『そなたは私の誇りだ。これからも、私の分までお家のために励んでほしい』と、私がお護りしきれなんだゆえに、ご自身も御怪我をなされたというのに、そう仰ってくださったのだ」


 長田澄久は澄明の長男だ。人柄がよいと評判だが、春正は目にしたことがない。

 安武が怪我を負った戦で、澄久も左腕を失ったため、後継ぎ争いから下り、寺に入っている。それでも、未だに彼を慕うものは多いという。


「澄久様のお噂はお聞きしております。大層な御仁だとか」

「そうなのだ。お主も一度お会いしてみるといい。あれほどの御方は滅多におらぬ」

「いずれ機会がありますれば」


 春正の言葉に、安武は嬉しそうに顔を綻ばせる。澄久を誉められるのは、我がこと以上に嬉しいらしい。


「しかし、よき奥方を持って羨ましいのう」

「そう思いまする。何があろうと、彼女が支えてくれますから、他のことは苦になりませぬ」


 遠慮もなく惚気のろける春正に、安武は苦笑を零す。彼は嫉妬よりも、憧れの意味で春正を羨ましいと思った。


「いや、それがしの思い過ごしで、余計な時間を取らせてしもうた。あいすまぬ」

「いえ。ご案じいただきまして、ありがとうございます」


 春正は本心より感謝し、拳を突いて礼を述べる。

 こうして率直に心配してくれる者は、なかなか珍しい。得難い知人を得たと思えた。


「ところで、蒲野様は末姫様を?」


 気に掛かったので改めて確認すると、安武は顔を朱に染めて、両手を顔の前で振る。


「莫迦な。私のようなものが、あのように美しい御方を慕うなど、言語道断だ」


 あまりに慌てふためく様子に、春正は重ねて悪いことをしてしまった気がした。春正のせいではないとはいえ、安武の恋慕を邪魔してしまったのだから。

 春正の内面など一切見ず、顔だけで夫にと選んだ末姫が、醜いと言われる容姿の安武を選ぶことはないだろう。

 気の毒に思った春正だが、彼女の性格を思い出し、選ばれないほうが幸運なのではないかと、すぐに思い直す。


「では、それがしはこれにて失礼いたしても、よろしいでしょうか?」

「うむ。道中、気を付けて帰られよ。奥方殿にもよしなにな」

「かたじけのうございます」


 安武の下を辞した春正は、控えの間に戻る。待っていた国正と合流すると、ようやく帰路に就いた。


「早く椿に会いたい」

「お前はのう」


 町から離れた街道を進む春正は、周囲に見知った者しかおらぬのをいいことに、思わず呟く。

 国正が呆れ交じりの溜め息を洩らしたが、いつものことなので、春正は気にも留めなかった。

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