第16話 蒲野

 年が明け、椿は十六に、春正は二十になった。


「本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「ああ、私のほうこそ、今年もよろしく頼む」


 夜明け前に屋敷を出て、城山に登った二人は、肩を寄せ合って初日の出を拝んだ。二人の顔には、揃いの青い鳥の面がかけてある。


「寒くはないか?」

「大丈夫でございますよ」

「風邪をひいてはならぬ。もう帰ろう」

「お日様は、まだお顔をお見せくださったばかりですよ?」


 くすくすと笑う椿を腕の中に包み込むと、春正は早々に彼女を抱きかかえて、青鹿毛に乗った。彼の過保護ぶりは、ますますひどくなっている。


 いつもは世帯ごとに、それぞれの棟で暮らす水嶌家の一家も、この日ばかりは一堂に集まり、新年を祝う。新年の挨拶を済ませると、国正が自ら雑煮を家族に配った。

 そして春正と国正は、今年も主君である長田澄明への挨拶に向かうため、揃って出かける。


「では椿、行って参る」

「道中お気を付けて」


 春正は椿と揃いの鳥面ではなく、頭巾で顔を隠しての出立だ。主君の前に、面をかけて赴くわけにはいかない。

 国正が何か言いたげな顔をしていたが、春正は気にせず青鹿毛に跨り馬腹を蹴る。


 不安視していた末姫は、今年も春正の姿を見に奥から出てきた。とはいえ、頭巾で顔を隠している彼を遠くから見るなり、顔をしかめて奥へと去っていったが。


「顔だけか」


 吐き捨てるように言った春正の顔には、軽蔑の色が滲む。

 それほど顔が重要であれば、好みの面でも打たせて、従順な男にかけておけばいいのにと、彼は思う。

 とはいえ興味を失ってくれたのなら問題はない。少しばかり機嫌をよくして、春正は控えの間に向かった。


 控えの間では、礼節を守りつつも、そこここで情報交換を含めた会話が交わされているものだ。けれど、今年はどこか緊張した雰囲気が漂っていて、静まり返っている。

 部屋に入ろうとして、何事かと緊張する春正と国正だったが、その原因はすぐに分かった。ここにいるはずのない人物が、上座に陣取っていたのだ。


 蒲野安武がまのやすたけ。三十も目前の男は、長田家の親戚筋に当たる。

 槍の妙手として数々の戦功を立てている彼だが、まだ妻子はいなかった。その理由は、彼の顔だと言われている。春正とは逆に、彼の顔は悪い意味で有名だ。

 若い頃に戦場で大怪我を負った彼は、顔の原形が分からなくなるほど歪んだ。その上、年を取ってから疱瘡ほうそうを患ったため、顔中に大きな痘痕あばたが目立つ。

 どちらも生死をさまようような災難から生還しているので、悪運は強いのだろう。


 主君への挨拶は、身分の高い者から順に行うのが慣わしだ。長田家の親類である彼は、本来ならば前日に挨拶を終え、今日は姿を見せないはずだった。

 それがなぜか控えの間にいるということで、皆無礼を働かぬよう、気を張っていたというわけだ。


 春正も、国正と共に部屋の前で一礼してから中に入ると、己が座るべき位置を確かめて別れた。

 控えの間ゆえ厳密ではないが、それでも上位の者より上座に座ることは許されない。逆に下位の者より上座に座れば、侮られかねない。だから自然と座るべき場所は決まる。

 若者たちが多い場所に位置取った春正は、周囲の者に挨拶をしながら、安武の様子をうかがう。なぜか彼が、幾度となく春正を見ていたのだ。


「何事ですか?」


 春正は小声で周囲の者に問うた。

 誰もが微かに首を横に振って、分からないと示す。誰かを監視しているのか、あるいは待っているのか。

 それがよい意味であればいいが、疑いを掛けられている場合、正月が明けて早々に、粛清という可能性もある。

 緊張の中で順番を待っていた春正は、名を呼ばれて控室を出た際に、つい気が弛み、小さく息を吐いてしまったほどだ。


 そうして澄明への形式的な挨拶も終え、祝いの雑煮も頂き、城を辞そうとしたところで、春正は声を掛けられる。声の主は、本日の話題の主役である、蒲野安武であった。


「少しよかろうか?」

「無論にござります」


 国正に目で確認してから返答した春正は、安武に連れられて城の一室に入る。誰もいない部屋で二人きりになり、春正は自然と警戒が強まっていく。


「緊張せずともよい。大した話ではないのだ」


 そう言った安武のほうが、春正よりも緊張している風である。戦場では堂々としていた男の狼狽え振りに、春正は益々警戒を強めた。

 視線をさ迷わせ、言い辛そうに口を開いては、春正の顔を窺い、口を閉じる。そんなことを数度繰り返してから、ようやく話が始まった。


「その、お主の顔のことなのだがな。あまり気にせぬことだ」


 どうやら春正が戦で顔に傷を負ったことを、心配しての呼び出しだったらしい。


「初めはあれこれと言われたり、人の視線が気になるやもしれぬが、その内に慣れる。顔の皮一つで態度を変える、薄情な者と縁が切れたと考え、よかったと思うことだ」


 自身の苦い体験を思い出しているのだろう。春正よりも、安武のほうが辛そうな顔をしていた。

 しかし春正の傷跡は癒えている。春正は徐々に罪悪感を覚え始めた。

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