第10話 前兆

「珍しいですね」


 いつもは大人しい青丸を知っているおけいは、顔を上げて眉を寄せる。釣られて顔を上げた椿も、表情を曇らせた。

 滅多に騒がない青丸ではあるが、今日は夜明け前からずっとこの調子だ。

 帳簿を置いて縁側に出た椿は、縁側の端に置かれた鳥小屋に向かう。中では青丸が忙しく羽を動かし、鳴き続けていた。


「どうしたの? 青丸」


 言葉を喋ることができない青丸は、それでも何かを訴えたいのか、椿の目をひたと見つめて一際大きく鳴く。

 鳥小屋から出してやると、庭に飛び降り、桐の木に向かう。羽をばたばたと動かしながら、爪を使って器用に幹を上っていった。

 高い枝まで到達すると、西の方角を見つめて、ぴーと切なげな声で甲高く鳴く。


 椿も青丸が見つめる先に顔を向ける。

 青く澄んだ空の向こうに、白くたなびく煙が薄っすらと見えた気がしたが、椿の目では判然としない。ただそちら側は、春正たちが出向いた戦場の方角だった。

 椿はひどく胸騒ぎがして、胸を押さえる。

 再びぴいっと甲高く鳴いた青丸を振り仰ぐと、つぶらな瞳が哀しげに椿を見つめていた。


「大丈夫よ。きっと春正様は御無事な姿で戻られるわ。さ、下りていらっしゃい」


 少し落ち着きが戻った青丸に向けて、両手を広げてやると、翼を広げて木から飛び降り、椿の腕の中に納まった。

 背を撫でてやれば、体をすり寄せてくる。


「甘えん坊さんね」


 気持ちよさそうに目を閉じる青丸を見ていると、椿の心も落ち着いてきた。

 それでも不安は消え切らず、椿は天に向かって祈りを捧げる。


「どうか春正をお守りください。どうかあの人を、無事にお返しください」


 真摯に祈る椿を、顔を上げた青丸が哀しげに見上げていた。




 椿が青丸の様子に不安を覚えたその日、城攻めを仕掛けていた長田軍は、夜が開ける前に敵城内へと踏み込んだ。血気盛んな者たちは、我こそはと城内を駆け回る。

 春正もその一人だった。

 本来、彼は武功に対して積極的な性格ではない。初陣以来、幾つもの功績を挙げていたが、どれも最善の手を選んだ結果であり、無茶をしてまで得たものはなかった。

 けれど今回ばかりは違う。春正は明確な意思で、戦功を欲していた。


 戦場での功績は、自分の願いを叶えることに繋がる。

 多くは領地や城、金や宝などといった褒賞を望むものだが、春正が望むものはただ一つ。

 末姫との婚姻命令の撤回。

 それを澄明に確約してもらうために、春正は敵城の中を駆けた。獅子奮迅の働きをする彼は、共にいたはずの成貞たちとはぐれても、一人進む。


「いたぞ!」


 威勢のよい声を聞き留めた春正は、先を越されたかと舌打ちしながらも、声が聞こえた方向を目指して急ぎ駆ける。

 敵将を最初に見つけた者が、首を取れるとは限らない。返り討ちにされる場合も多いのだ。まだ機会はあると、春正は走っていく兵を追う。

 そうして辿り着いた部屋の中を見て、春正は足を止めた。


 床は赤く染まり、先に到着していた味方の兵たちは皆、討ち取られ息果てている。

 戦場での出来事だ。そこまでならば、敵が強いと気を引き締め直すだけのこと。なれど、彼の目の前に広がる光景は、不可解な状況だった。


 城主である比良知朱ひらともあけは、燭台を脇に置き、床の間の前に置かれた床几いすに腰を据えている。

 手に槍や太刀はなく、代わりに扇を持ち、室内に踏み入る長田軍の兵たちを眺めているだけだ。


「おお、次が来たか」


 追いつめられているというのに、知朱に怯えの色はない。

 戦乱の世を生きる武将だ。死地を前にしても、肝が据わった振る舞いを取れる者もいる。

 けれど、春正は違和感を覚えた。底の見えぬ気味悪さに手をこまねいている内に、後から来た兵が室内に踏み込む。


「比良知朱殿とお見受けいたす! お覚悟!」


 駆けていくその兵は、部屋の中ほどまで進んだところで、全身から血をほとばしらせ倒れた。

 知朱は一歩も動いていない。床几に腰を下ろしたままである。

 何が起きたのかと、春正は目を凝らした。その間にもまた一人、部屋に踏み込み命を散らす。その刹那、春正は奇妙な血の動きを見た。

 一瞬ではあったが、一部の血が真っ直ぐに線を書いたのだ。


「来ぬのか?」


 にたりと笑う知朱の挑発に乗ったわけではないが、このまま様子を見ているがだけは、討ち取れない。

 春正は太刀の鞘を左手に持つと、前方を探るように動かしながら、部屋へと踏み込んだ。一歩入ると、油断なく知朱を視界に留めたまま、視線を部屋の隅々に向ける。

 彼の行動を見た知朱は、とたんに笑みを引っ込めた。


「なんじゃ、つまらぬことをするの」

「進んで餌食になる気はござりませぬゆえ」

「儂の首を狙ってくるは、猪ばかりと思うておったのに」


 肩を竦めて息を吐いた知朱だったが、すぐに余裕を取り戻す。


「なぜその慎重さがありながら、澄明などに仕える? あれは狂うておるぞ? 若かりし頃はまだましな男であったが、女狐に骨を抜かれてからは、見るに堪えぬ」


 一人で喋り続ける知朱に、春正はじりじりと迫っていく。

 先に飛び込んた者たちがたおれた場所より少し手前で、鞘の先に引っかかりを覚えた。

 足を止め、知朱を視界に捉えたまま鞘先に注意を向けるが、特に異変は見えない。けれどそのまま鞘を動かしてみれば、先端が寸断され、ぽとりと落ちた。

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