第4話 強欲

「遠慮はいらぬ。妾が選んでやったのだ。身分など父上がどうとでもしてくれるわ。妾に感謝するがいい」


 にっこりと笑う末姫を、男たちは妖でも目撃してしまったかのように、唖然として見つめてしまう。

 彼女の声や仕草は、自分が夫と望んだのだから春正が断るはずがないと、自信が満ち溢れていた。

 その傲慢さに、春正はますます嫌悪感を覚える。主君の娘に向けるものとは思えぬほど、冷えた眼差しに変わっていった。


「身に余る処遇なれど、それがしにはすでに妻がおりまする。末姫様をお迎えする場合は、側室としてお迎えすることになりますが、それでもよろしかろうか?」


 末姫の傲慢な性格を見て取った春正は、彼女なら側室になることを受け入れられないと確信し、そう言ってしまう。

 しかし末姫は、彼の予想を上回っていた。不思議そうに小首を傾げると、


「そのような者、離縁すればよかろう? うるさく縋ってくるなら、首をねい」


 と、羽虫でも相手にしているかのように、平然と言ってのけた。


 ひゅっと、春正の咽が鳴る。

 一瞬だけ冗談かと思ったが、末姫はにこにこと童女のように笑っていて、まったく悪意も偽りの心も見受けられない。

 本気で椿を自分から奪うつもりなのだと理解した春正の頭に、血が上っていく。

 鳥肌が立つような殺気が溢れ出て、控えている男たちが、警戒の目を向ける。如何に常軌を逸した相手だろうと、主君の娘を容易く討ち取られては、面目が立たぬ。

 部屋の中を緊張が包み込むが、真綿で包まれて育った末姫だけは、自分に向けられる殺意に気付いていなかった。


「春正」


 咎める国正の声が耳朶を打ち、春正は我に返る。

 怒りの形相を必死に抑え込むと、指先に籠る力を逆の力を持ってほぐした。それから、ゆっくりと息を吐く。


 次に発する言葉を選び間違えれば、末姫は椿の首を寄越せと言いかねない。

 さすがにそんな愚かな命令など、周囲が黙ってはいないだろう。しかし末姫を溺愛する澄明がどう動くかと考えると、迂闊な言動はできなかった。

 直接の命令はなくとも、間者を使って椿に毒を盛られる可能性は、否定しきれない。


「婚姻は家同士の繋がりもありますゆえ、私の一存では答えかねまする」

「父上は妾の願いなら何でも聞いてくれる」

「どうぞご猶予を」


 末姫はつまらなさそうに春正を見下ろしたが、何を考え付いたのか、にんまりと口角を上げると、控えの間から出ていった。

 残された者たちが醸し出す空気は、末姫が現れる前に比べて一変していた。新年を祝って和気藹藹わきあいあいとしていた空気は凍り付いている。

 互いに目を見交わし、それから水嶌親子を気の毒そうに見た。


 あれではまるで、末姫の気に入らぬ者は、瑕疵かしなどなくとも首を刎ねると宣言しているようなものだ。

 さすがに主君の姫に対しての苦言を、声に出して言う者はいない。しかし、まさかという思いを抱きながらも、不安を覚えずにはいられないのは当然だった。

 敏い者たちは、このまま澄明が末姫を甘やかし続けるのであれば、袂を別つことも視野に入れるべきではないかと、算段を付け始める。




 疑いや怒りを隠して澄明に挨拶を終えた春正は、予定を繰り上げて早々に帰路に付く。

 本来ならばそのまましばらく残り、挨拶回りをしながら情報を交換して帰る予定だった。

 しかしそんな悠長なことをしていて、万が一にも再び末姫に捕まってはならないと、国正に命じられて一足先に帰路へ付いたのだ。


 屋敷に帰りついた春正を、笑顔の椿が迎える。彼女の顔を見て、荒んでいた春正の心が和らいでいく。

 けれど椿はすぐに春正の異変に気付き、顔を曇らせた。


「何かあったのですか?」


 共に戻ってくるはずだった舅の姿がないことも、彼女の不安を煽ったのだろう。春正が青鹿毛から降りると、駆け寄ってきて不安げな顔を向けた。


「大したことではない」


 春正はすぐに相好を崩して首を横に振るが、幼いころから共に暮らしている椿を、騙せるはずがない。

 彼女の表情が強張ったままなのを見て、観念し肩を竦める。


「奥で話そう」


 椿を伴って自分たちの部屋に戻った春正は、椿の頭に手を添わして引き寄せながら、彼女を安心させるように数度撫でる。

 安心しようとしてるのはむしろ、春正のほうだったのかもしれないけれど。


「末姫様にお会いした」

「長田様の姫様ですね?」


 ただ顔を合わせただけではないことは、春正の様子を見れば分かる。椿は不安を覚えながらも、話の続きを待った。

 春正はつまらぬ話など椿の耳に入れたくないと思う反面、黙っていれば彼女の不安をいたずらに煽るだろうことも承知している。

 眉をぐっと寄せて、怒りややるせなさといった感情を飲み込んだ春正は、太い息を吐き出した。


「夫になれと言われた」


 椿の目が丸く広がっていく。唇をわななかせ、相槌さえ打てない。

 春正は優しく椿の髪を撫でながら、安心させるために微笑む。


「私の妻はそなた一人だ。末姫様を娶る気はない」

「ですが、長田様から御下知があれば、迎えぬなどという選択肢がございましょうか?」


 青い顔で縋るように春正の胸元に手を添える椿を、春正は愛しげに見つめる。それから一息つくと、表情をがらりと変えた。

 眉をこれでもかと寄せて、困っていると顔で表す。


「あれは、自分の思い通りにならなければ気が済まぬ、そういう女だったよ。私はあんな女を迎えたくはない。なにより、そなたの傍に置きたくない。不安でそなたの傍らから離れられなくなりそうだ」


 春正は大袈裟な口調で不満を述べると、椿をぎゅっと抱きしめ、彼女の首筋に顔を埋める。

 椿は、


「まあ」


 と、呆れと驚きが混じった声を上げて、子供をあやすように春正の背を撫でた。春正の狙い通り、椿の不安は逸れたらしい。

 春正の髪が首筋に当たりくすぐったかったのだろう。椿はくすくすと笑う。

 彼女が落ち付いたのを見てとって、春正は顔を上げた。愛しい妻の頬を右手で包み、懇願するように彼女の目を覗き込む。


「どうかしばらくは、一人にならないでくれ。私もそなたを護るけれど、そなたも気を付けてほしい」


 囁くような甘い声とは裏腹に、追いつめられた切実な眼差し。

 椿は彼の不安の大きさを感じ取ったのだろう。春正を慰めるために、細く白い手を彼の頬に添え、柔らかな表情を浮かべた。


「大丈夫ですよ。ここには気心の知れた者しかおりませぬ。春正様がお留守のときは、屋敷の中で大人しくしておりますから、ご案じなさらないでくださいませ」


 何が起きているのか、正確なところが分からない椿の胸にも、不安が渦を巻いていく。

 ただ末姫に気に入られただけで、春正がここまで不安定になるとは、椿には思えない。

 彼が語った以上に、なんらかの圧力が掛かったのかもしれないと察し、自分のことよりも、春正のことが心配に思えた。

 椿のために無茶をしてしまうのではないかと、そんな予感がする。滲み出そうになる感情を悟らせないため、椿は春正の胸元に額を押し付けた。

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