第61話 ンパダとナトゥ

ンパダとナトゥは仲の良い兄弟だった。

ある日彼らは父親にねだって船を借りて海釣りに出掛けた。

これが両親との今生の別れだった。


気が付けば浜はどんどんと遠くなっていく。一生懸命に浜に向かってオールを漕いでも徐々に浜は見えなくなり、それからどれだけ漕いでも浜を見つける事ができない。

彼らは最初、太陽との位置関係から浜を目指して漕いでいたが、太陽は動いており、だんだんと方向が判らなくなっていた。完全に遭難したのだ。


日が沈み夜が来たが、彼らは星読みができなかった。

二人は力の続く限りがむしゃらに櫂を漕いだが、それはなんら結果をもたらさなかった。


最初、二人は釣った魚を食べて凌いだが、何せ水がない。

彼らは知ってはいたがつい我慢できず海水を大量に飲み、脱水症状となった。

もはや釣りをする元気すらなく、二人は海の上で船に横たわり、空を見上げた。


「ンパダ、俺もうダメだ。」

「俺もだ。ごめんなナトゥ、やっぱトトも一緒に来ればよかった。」

「ンパダ、トトもカカももう会えないのかな?」

二人は悲しさのあまり涙の出ない目を抑えた。


そして二人は気を失った。


ふと気が付けば二人は軟らかいモノの中で寝かされていた。

最初に気付いたのはンパダだった。

彼は起き上がって周りを見渡す。


彼は自分に迫る垂直な白い壁と何にも支えられていない天井を見て、潰される様な感覚に襲われ、眩暈で寝ていた台から転げ落ちた。

彼の家はお互いの支柱が支え合う構造で安心感があったが、ここの壁はただ真っ直ぐに立っているだけだし、天井も板がつながっているだけで支えが無い様に見えた。


彼は慌てて起き上がろうとして、もう一度壁が目に写った。

その白い壁はあまりに高く、今にも彼に倒れ込んできそうに思われた。

「ひぃぃ!」

彼は悲鳴を上げて四肢を屈め、頭を覆った。


そこにガチャリと音がしたので、遂に壁が襲い掛かって来たかと再度「ひいぃぃ!」と悲鳴を上げ、より強く全身を抱きかかえ、小さく固まった。


その音でナトゥも目覚めたのか周りを見渡してから間伐入れず「ぎゃあーあー!!」と盛大な悲鳴を上げた。どうやらナトゥも同じ感覚に襲われたらしかった。

そして、その声に「うお!」と反応する声があった。


ンパダが恐る恐るその声の方を見ると、一人の男が木の板の後ろから出てくる所であった。その男の恰好は全く見たこともなく、顔と手だけ出して全身が覆われていた。

その顔は困惑しており、地面に縮こまるンパダを見ていた。

「大丈夫か、坊主ども?」


それが漁師ペーテルとその妻マリルとの出会いだった。


最初の頃、ンパダとナトゥは自分達の集落の話をしたが、このナーメル村の誰もがそんなヘンテコな家の集落を見た事も聞いた事も無かった。

ペーテルは魚を町に売りに行く事もあり、集落の情報を聞いて周ってくれたが、やはり結果は同じだった。


二人は途方に暮れ寂しさに泣いたがどうしようもなかった。

ペーテルとマリルはそんな二人を自分の子供として引き取ってくれる事になった。


この集落はンパダとナトゥの集落と全く違う生活をしていた。

二人の家は地面を少し掘ってから木や骨を組み合わせて、植物や皮をかぶせて作ったものだったのに、ここの家はレンガという石を積んで漆喰というものを塗ってでできているらしい。


色々と説明されても二人は未だに天井が真っ平であることに納得していなかった。

最初の頃、二人は天井が落ちてくるんじゃないかと内心ひやひやして寝ていた。

起きたらすぐに家の外に出て、食事の時以外には入らない様にしていた。


しかし、流石に数日もすれば慣れた、というより慣れればこちらの家の方がかなり居心地がよかった。隙間風は無いし、雨の日に寝床が水で湿る事も無かった。


食べ物は飛びあがる程のおいしさだった。

彼らの料理の全ては塩加減に掛かっていたのに、ここではいろんな料理法というものがあって覚えきれない程の味があるのだ。


二人の反応の面白さにマリルは色々な料理を作ってくれた。

特にパイ包みと腸詰肉が二人のお気に入りである。


逆に一番困らされたのが食事マナーというヤツだ。

マリルの食べ方に対する執着はかなりのもので、いつも優しいマリルからかなり厳しい躾けをされ、これには困惑した。

どう食べたって味は変わらないのに手で食べてはいけないとか、皿を持って食べてはいけないとか、スプーンは握ってはいけないとかいろいろと煩かった。


そして全く理解できなかったのがお金というものだ。

別に集落の人間が50人も居るのだからみんなで漁と狩をして分け合えば生きていけると思うのだが、どうもそうではないらしい。


彼らの鍋や石よりも切れる斧なんかはそのお金が無ければもらえないらしい。

遠くから持ってきたと言われる果物や好物の腸詰肉なんかもそうらしかった。


一度店で並んでいる果物を勝手にもらって行こうとしたら、これでもかという位ドヤされた。あんなにあるんだから少しくらいいいと思うんだが、お金がないとダメらしかった。


そんなこんなで決まり事が多いのは辟易としたが、それでも暮らしぶりは前の集落に比べて段違いに楽だった。


特に漁で網というのを使えば魚が一杯捕れてびっくりした。

今日明日で食べきれない量の魚を捕まえるなんて想像もしていなかったが、余りは町へ持って行ってお金に換えるという事らしい。


夕方、二人はよく海岸で並んで座り、日の沈む水平線を見ていた。

「ンパダ、あの海の向こうに俺たちのトトとカカがいるの?」

「ああ、俺たちはずっとずっと海の向こうからここに流れ着いたんだ。」

「どれくらい遠いのかな?」

「わかんない・・・。」


それは、何度も繰り返された会話。

二人は故郷に帰り付いた時の事を夢想する。


ここの網を持って自分達の集落に帰ったら。

鉄でできた鍋やフライパンなんかも持って帰ったら。

きっとトトとカカもあまりの便利さに飛びあがって喜ぶに違いない。


ナトゥは集落のみんなに料理して見せる自分を想像した。

みんなあまりの美味しさにひっくり返っていた。

ナトゥが少し笑うと、ンパダは不思議そうに彼の顔を見た。


「いつか、俺たちの家に帰ろう。」

「ああ、いつか、きっと。」


二人は同じく繰り返された言葉を口にした。

まるで誓を立てるかの様に。

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