初恋

岡田公明

第1話

 ええ、私が最も初めに愛した女性の話をしたいと思います。


 その女は、所謂詐欺師でした。

 あちらこちらから、良くわからぬお金をひったくって来て


 そして、身なりを着飾る商売についていたのです。


 その女との馴れ初めは至って普通なもので、ただ町で出会い、私は身に纏っていたコートから財布をひったくられたのです。


 まぁ、それだけを聞けばその女はひったくりに思うでしょうが

 私の中で、詐欺師の印象に変わりはありません。


 その女の、姿見というのはとても整っていて、魅力的な物には変わりありませんから


 その魔性を利用して、数々の人を上手く騙してきたことには間違いないでしょうし、それを考えればその女は詐欺師に違いないと思うのです。



 雪が降る日のことでしたので、私はベージュの厚手のコートを羽織って、夜の街を徘徊していました。



 妻は、家に居りましたが、別段帰りたいという気持ちにならないのが近頃の心情で、あくまで長年の生活の生み出した軋み、風化の一部であり、自然なことに違いありません。


 昔こそ、小言の一つでも言って来たでしょうが、今では他に心を惹かれる相手が居るのでしょう、私はその男に見当がありましたし、そんな家にわざわざ帰りたいとは思いませんでした。



 あくまで、偶然の出会いでした。

 私のポケットに入った財布には、大した金はありません。


 それこそ、月末でしたので小遣い程度だけでしたから、偶発的にぶつかったことによって、ひったくられたとしても、別段懐が痛むこともありませんでした。


 しかし、ながらひったくっていた女の顔を見て、私はこの年で情熱的な胸の高まりを感じたのです。


 年にして40の私が、妻に対しても抱いたことのない、大きな感情を理解しました。


 それが、恋ということに時間はかかりませんでした。



「ちょっと待ってくれないか」


 私は、この気持ちに芽生えた途端に、声を掛けました。

 自分の中には、何か期待する気持ちしかありません。


 しかしながら、当然ですが、彼女は逃げていきます、何せ私からものをひったくったのです。


 私は、この出会いという物を逃してしまうにはあまりに惜しいと考え、追いかけました。



 ―走る 走る 走る


 されど、彼女に追いつくことはありません。


 ―曲がる 曲がる 曲がる


 彼女は、逃げるように曲がっていきます。

 実際逃げているのですから、仕方ないことでしょう。


 それに、ひったくったのは私の財布です。

 こんな長年使ってきた、くたくたなスーツに、無精髭を生やした人間ですから、余程簡単だと思っていたに違いないのですが。


 本来であれば、諦めるはずの財布を、私の胸を動かす女が持っているという事実が、私を今駆り立てているのですから、それは予想外に違いないでしょう。



 しかし、やがてどちらかに限界が来ます。


 それは、彼女の方でした。

 私は、体の中に満ちるエネルギーという何かが、原動力となり、どこまでも行けるような気がしていました。


 ただひたすらに無我夢中に走り。


 夜中の街を駆けたのです。


 既にコートは無く、スーツはボロボロでございましたが、晴れて私はその女と話す機会を得ました。


「...」


 女はひたすらに睨みます。

 そこには、余裕はありませんでした。


「あの...」


 私は、そこに声を駆けました。


 すると、女は財布を私に渡してきます。


「そんなものは必要ない、私は君が欲しくて追いかけてきたんだ」


 ええ、この時の私の頭に酸素は既に足りていませんでした。

 無我夢中の中走り、確実に疲れた状態ということもあり、自分自身何を言っているのかはよく分からない状態でした。


 ただ、ひたすらにまっすぐな気持ちを向けたのです。


「え?」


 彼女はそんな風に、一言尋ねます。

 それが、彼女の第一声でした。


「だから、私は...」


 そして、意識は途絶えます。



 ―日が差し込んでくる感覚と共に、私は目を覚ましました。


 そこには、遮るものが無く、空が見えます。


「すぅ...すぅ...」


 記憶は微かですが、覚えているものがありました、それは今そこに眠っている女の事でした。


「起きろ...」


 私は、彼女の体を揺さぶります。

 すると、彼女は目を覚まします。


「あのさ、私が欲しいって...」


 目を擦りながら、彼女は口を開きます。


 私は、頭を回して、昨日のことを...


「あ...あ...あぁ、ほんとうだ」


 ええ、私はここで大きな羞恥心に苛まれることになります。

 本来であれば、今ここで頭を抱え転がり回りたいところでしたが、私はそれを押さえました。


「分かった...」


 そう言って、私たちは、付き合うことになりました。



 ―ええ、これは当然ながらあまりにも歪には違いありませんでした。


 私には、妻がいますので、これは浮気になります。


 そこに別段、罪悪感はありませんでした。

 向こうには、すでに他に人がおりますし、心は双方共に離れていることに違いありませんでした。


 元々、見合いの関係でしたし、それは相互の利益を取った上の関係だということには、変わりないのです。


 だからこそ、私には難しいものでした。


 今すぐにでも、婚姻したいという狂気的な思考は自分の中にありました。

 それが、ひとめぼれでした。


 ですが、それは不可能です。

 あくまで、浮ついた気持ちの中で、日常生活に女のことを増やすだけには違いありませんから、それを意識することにして、これまでと変わらぬ日々が始まりました。



 家に居れる時間は減りましたが、入れる金は増やしました。

 これは、他ならぬ、私の努力に過ぎません。


 労働に対して、意欲的な姿勢を見せることで、時間に対して偽ることが出来ました。


 さすれば、彼女にとっても、私にとっても都合が良いという考えが根本にあります。


 それでいて、私には女がいましたので、ほとんどそちらと過ごすことにしました。

 彼女とは、話すだけの中で、体を求めることはありません。


 そんなものは、別に必要が無かったのです。


 彼女は過去という物を話しませんでしたし、私は興味がありませんでした。


 基本的に話もあまり多くは無かったですが、私は別段それも気にすることがありませんでした。


 時々詭弁になるのですが、それは基本金に関することで、私は彼女の本質的な物は既に見抜いたうえで、その沼にハマっていたのです。



 これは、あくまで破滅に対する願望でした。

 スリリングを求めた、私の一人勝ちでした。


 当然ながら、手元にあったものは、彼女に注ぎます。


 すると彼女は、色々と自らで手に入れるようになりました。


 彼女の詭弁差を外で利用したのでしょう。

 すると彼女は、様々なことを話すようになりました。


 自然と過ごす時間は、減っていきましたが、彼女から何か物を渡されることが増えました。


 ある日、私は彼女の前から消えました。

 いえ、別に彼女が嫌いになった訳ではありませんが、彼女の中にある魅力に冷めてしまったのです。


 それは、人間の中にある本質的な願望と、需要が一致しなかったからにすぎません。

 あくまで、私の欠点なのです。


 私は、あの日のように、コートを羽織ります。

 そして、街へ出ました。


 ええ、顔も知らない女が私にぶつかってきます。


 私は、あの日のように、その女に惚れるのです、それが私にとっての初恋でした。

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初恋 岡田公明 @oka1098

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