四章 月見草

女の子は、今日もぼんやりと、シゲノを見ている。

女の子は隣にしゃがんでシゲノの描いた絵を見ていた。


いつものように、シゲノは、女の子に小枝を渡した。

二人は夕暮れの中、療養所の庭の銀杏の木の下に、しゃがんでいた。

シゲノは、黙々と地面に絵を描いていた。


気が付くと、シゲノのおとうさんが立っていた。


おとうさんが、シゲノに云った。

「シゲノ。おかあさん、だめだった」

シゲノは、泣かなかった。

おとうさんの事を思っていた。

おとうさんも辛い筈だ。

シゲノが泣いたら、おとうさんは、もっと辛くなると思った。

だから、堪えた。

おとうさんも泣いてはいない。


結核と診断されて、療養所の結核病棟に移された。

面会もできなかった。

おとうさんは、毎日、療養所へ通っていた。


シゲノは、入院したおかあさんを一度もお見舞いできないまま別れる事になった。


おとうさんは、また、病棟の方へ戻って行った。


「しかられたん?おとうさん、怖いん?」女の子が、シゲノの顔を見て尋ねた。

「ちがうんや。シゲノはなあ。シゲノのおかあさん。死んでしもたんや」

シゲノは辛いのだと、女の子に教えた。

「シゲノ?シゲノちゃんっていうん?」

女の子が、尋ねる。

「そうや。あんたは?」シゲノは女の子に名前を聞いた。


「チカゲ。チカって言うんや」

チカゲは答えた。

「あたしは、シゲノっていうの」シゲノもチカゲに名前を教えた。

「シゲノちゃんは、おかあさん、死んだら辛いん?」

シゲノは、頷いた。

「チカちゃん。おかあさん、おるん?」シゲノが尋ねた。

チカゲは、頷いた。

「ええなあ」シゲノが呟いた。

チカゲには、死という事が分からなかった。

「チカちゃんは、保育園で喋れんのや」

チカゲは、自分の事をチカちゃんと云っている。

チカゲは、シゲノを慰めようと、思った。

チカゲも悲しい事を打ち明けようと思った。

それで、保育園で困っている事を教えたのだ。

「ホイクエン?何なん?なんで喋れんの?今、話しょるのに」

シゲノには、保育園が、何なのか、分らない。

喋れないと云う事も分からない。

チカちゃんは、今、こうしてシゲノと喋っているのだから。


「分からんのや。喋ろうとしても喋られへん」

チカゲは、そう云って、庭を見て驚いた。


チカゲは、気付いて「きれい」と呟いた。

「何んなぁ?」シゲノは、チカちゃんが何を云ったのか聞き取れなかった。

辺りが明るくなった。

雲が晴れた。

シゲノは、夜空を見上げた。

月が見えている。

満月だった。


足元に描いた、おかあさんの絵が見えた。

はっきり見えている。


「シゲノちゃん。見て。きれいや」

チカちゃんが療養所の広い庭一杯に咲いた月見草を指さした。

庭一面に広がる月見草は、月の光に照らされて、薄紫色に浮き上がっている。


「うわあぁ。ほんまや。きれいやなあ」

不思議だった。

シゲノは母親が死んで悲しい。

でも、綺麗な月見草が咲いていることは嬉しかった。


チカちゃんが、シゲノを慰めようと、綺麗な月見草の咲いている事を教えてくれた。

チカちゃんと一緒にいることが嬉しかった。

「早う、喋られるように、なったら、良えのになあ」今度は、シゲノがチカちゃんを見て、励ますように云った。

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煉瓦病棟の月見草 真島 タカシ @mashima-t

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