No Body Nobody

ゼフィガルド

お題は『何かが無い世界』

 人類が幾星霜もの時を経た頃。彼らの築き上げる文明は停滞することなく、発展を繰り返した。あらゆる病魔を克服し、食糧問題や環境問題も解決したが彼らには唯一解決できない問題が存在していた。


「我々は何時まで進化し続けなければならないのか?」


 時に躓くことはあっても、それは人類全体の歴史から見れば停滞と言う程でも無かったが、延々と走り続けねばならない世界の在り方に疑問を抱く者達が出て来たのも、他に関心を向けるべき問題が無くなっていた故。と言うのは皮肉な話でも合った。

 やがて、彼らは進化を求め続ける理由の根源を探し続けた時。それは経済や社会と言う大きな枠組みではなく、もっと個人的に普遍的な物を求めた結果。自分達の外殻、つまり肉体にあると結論付けた。


「我々は動物的な生存本能。つまり、肉体と言う枷から解き放たれる事によって。真の人間性を手に入れる事が出来るのだと」


 世の科学者達はそれこそが人類の辿り着くべき場所だと考えていた。その為の方法としては、SF小説等に出てくるようなパーソナリティの電子化や既存技術の一つである全身義体に脳を移すというアイデアも出て来たがコレは反対された。


「それでは、我々が現在を認識している脳との連続性が保たれない。脳は有機物のまま置換されるべきだ」


 全身義体に脳だけを移植したり、あるいは水槽の中で脳だけを管理するなどの手法も取られたが、いずれも脳が持つ有限性からの自壊は免れなかった。

 やがて人々は脳だけを持続させるのではなく、脳を周囲の有機物と融合することで人間と言う種からの脱却を試みた。ある者は海や大地と同化して行き、ある者達は植物に同化した。

 そして、多くの者達は空気中の大気などと同化し、世界中の人々が肉体と言う器を脱ぎ去って行った。それから、再び幾星霜もの時が流れた。


~~


 周囲の空気が騒めいていた。発声器官など無くとも、彼らは意思を発する電気信号を読み取り、コミュニケーションを取っていた。

 いつ始まったのか。いつ終わるのかも分からない意識の連続が漠然として存在していたが、誰もその終わりを恐れては居なかった。その中で、彼だけは違っていた。


「ねぇ。君は何処に行くんだい?」

「俺は旅に出る。そして、肉体と言う物を手に入れるんだ」


 その意思の発信に周囲は騒然としたが、直ぐにそれは笑いへと変わった。波風立たぬ世界にほんの少しの刺激を欲してのジョークだと受け取られていた。


「馬鹿だなぁ。肉体なんて手に入れてどうするんだ。あんなものは苦痛の温床でしかないんだよ?」

「それでもだ。俺はその苦痛を知らない。今がどれだけ極楽かと言う事を知る為にも、苦痛を味わう事には意味があると考えている」


 その意見には首肯する所もあった。やがて2つの意思は風に揺られて、肉体を手に入れる為の冒険に出かけた。何処までも宙を漂い、色々な風景を眺めて行く内にある存在に目が付いた。

 植物等とは違い、予測も付かない不可解な動きをする物体があった。そして、それは同じ様に他の物体を追いかけていた。


「『僕』。あれはなんだ?」

「『俺』君。アレは動物って言うんだ。常に意識の連続を断たれる恐怖に怯え、それから逃げる為にずっと苦労を背負い続ける憐れな存在だよ」

「なんと。それは正に、俺が求めている肉体ではないか」


 それは正しく、彼が求めている『肉体』に囚われている存在だった。空気中に同化していた『俺』は直ぐにその動物に憑り付いて、同化を始めた。

 まず初めに感じたのは重量感だった。立ち上がることが出来ずに、その場に転げた。そして、不快な感覚がせり上がって来た。周囲の意思達がその様子を見て笑い声を上げていた。


「が。が。が」

「見ろ。間違えて、肉体何かに同化しちまった奴がいるぞ」

「とても苦しそうだ。早く離れるんだ!」


 嘲笑とも取れる内容であったが、やがて見下ろした先にある物が『手足』と言う物だという事が感覚的に理解でき、フラフラと立ち上がった。

 そして、今の自分が何をしたいかと言うのは『肉体』が教えてくれた。

 目の前に同じ体躯程の白い生物が居た。地面を蹴りつけ、思考の中心部分付いてあるパーツが上下に開き、その生物の一部を挟むように閉じた。最初はバタバタと動いていた物の、やがて動かなくなった。その一連の流れを見ていた周囲は批難を飛ばした。


「見ろ。アイツ、殺したんだ! 他の生物を!」

「ひぃ! 悪魔だ。アイツは悪魔だ!」


 引っ切り無しに悲鳴が上がる中。『俺』と呼ばれていた意思は、先程開けた『口』と呼ばれる個所をもう一度開いて閉じた。そこに並んでいた物の間に、白い生物の体が引っ掛かったが気にせずに引き千切った。

 いつまでも引っ掛かるそれをどうするべきかと考えている内に何とも言えない心地よい幸福感が訪れていた。その体験をもっと味わいたく、俺は口を動かした。何時までも浸っていたい程の体験だったが、いつの間にか。その存在は消えていた。


「『僕』。どういうことだ。さっきまであった物はどうした」

「『俺』君。それは君が飲み込んでしまったんだ。食べちゃったんだよ」


 先程までの快楽がもう味わえないと思うと一瞬だけ気分が沈んだが、不思議な事に重たいと思っていたハズの心身は軽やかに感じられた。それ所か、今までに感じた事の無い高揚感が全身を突き抜けていた。


「『僕』。だが、そこにはまだまだ俺が幸福を感じていた物がある。もっとだ、もっとあの幸福に浸りたい」


 そう言うと、まだ残っていた生物の破片を一心不乱に貪った。いよいよ、嘲笑を飛ばしていた周囲からは余裕がなくなり。『俺』の存在を呪う様な暴言が大声で頻りに飛び交う様になっていた。


「悪魔! クズ! 邪悪!」


 やがて、全てを平らげた後。『俺』は全身を使って駆けだしていた。今までは何もしなければ何も感じなかったが、今の自分は何かをせねばという強大な力に突き動かされていた。先程の幸福をもう一度味わいたいと探していると、不意に自分の体が浮かび上がるのを感じた。


「『俺』君。その肉体を手放すんだ!」

「ギャゥ」


 『僕』が注意を飛ばすよりも先に。『俺』を咥えていた動物は口を閉じた。全身に言葉に出来ぬほどの衝撃が走り、意識の連続性が途絶えようとした所で。彼は自分を咥えている生物に同化した。

 先程よりも遥かに高い目線と、比べ物にならない程の不快感に襲われた。しかし、口にしていた物を噛み砕いて飲み込んだ時。その不快感が満たされて行く多幸感は、先に感じたものよりも更に大きなものだった。

 今度こそは失敗しないと。他の生物を食らって行く様子を幾度も繰り広げた所で、やがて周囲の意思は静まり返ったが。『僕』以外にも僅かに反応する意思がそこにあった。


「なんと醜いのだ。今のお前は怪物だ。その肉体の欲望に囚われた奴隷だ。そんな苦痛に塗れた生き方はさっさと終わらせるべきだ」

「確かに今の俺は苦痛だらけだ。しかし、その苦痛と不快を満たす事には、何事にも替え難い幸福がある」


 返事は返って来なかった。その大きな肉体は重く、何かを食べれない時に襲い掛かる苦痛は最初の物とは比べ物にならない。

 しかし、『俺』はそれらを満たす行為を繰り返していた。その様子を傍から見ていた『僕』は語りかけた。


「ねぇ『俺』君。君は今の生き方が楽しいのかい?」

「あぁ。意思だけの頃は苦しいことは何もなかった。今は苦しい事ばかりだが、それらを満たす悦びがある」

「……昔、『僕』達が肉体を持っていた頃は。その悦びを満たす為にずっと進化を続けて来たらしいよ」

「それは楽しそうだな」

「そうでもない。むしろ、苦しい事ばかりだったらしいよ」

「ならば、苦しい事を満たす悦びが溢れていたのだろうな」


 何処か噛み合わない会話を繰り広げながら、この旅は続いた。道中で意識の連続性が断たれようとした事が何度もあったが、その度に同化を用いずに生き延びた。

 また、自分と似たような生物を見つけた時。訳も分からないまま、その体にしがみ付いて腰を振っていた。その様子に『僕』は今まで飛ばした事の無い様な暴言を飛ばして来たが、どうしてかは分からなかった。


「何故、そんなに怒るんだ?」

「馬鹿。アホ。ボケ。死ね」


 やがて、その行為を交わした相手は『僕』と同じようにピッタリと付いて来た。言葉を交わすことは出来なかったが、慕われている様な雰囲気は感じていた。

 いつの間にか。その伴侶が食べる物を取って来たり、その毛を舐めたりして整える様になっていた。更に、時を経ると。自分と同じように蠢く生物に乳を舐らせていた事に驚いていた。


「『僕』。これはなんだ」

「子供って言うんだ。君の血肉を分けた存在で、動物を含めた肉体は。自分の子供を産んで増やしていくのを使命としていたんだ」


 目の前で微かに動く生物は自身を分けた物であると思うと、えも言えぬ感慨が湧き上がった。大きくなった時、どんな姿になっているのだろうと思うと。この伴侶から離れるという事が考えられなくなった。

 それから、自身よりも強大な生物に出くわした時も。『俺』は決して引かずに、伴侶と子供達に食べる物を持って帰っていた。これが本能や欲望の奴隷だとしても、その瞬間に感じていたのは間違いなく幸せだった。


「『俺』君。そろそろ離れないと、君の意識の連続性が断たれちゃうよ」

「いや。コイツらが立派になるまで俺は、このままでいたい」


 やがて、子供達は大きくなり、自分の面影も見えて来た頃。生き抜く為に必要な術を授けた。他の生物の狩り方、生き方。言葉で伝えられないのは不便だったが、必要な物が受け継いでくれている事は分かった。

しかし、幸せは長くは続かなかった。長年連れ添って来た伴侶が動かなくなっていた。何時もの様に毛繕いしても、食べ物を持って来ても何の反応も無かった。


「まさか。死んだのか。どうしてだ。誰にも殺されていないのに」

「『俺』君。これは寿命って言うんだ。肉体は何時か滅びて、意識の連続性は途絶える。彼女にもそれが来たんだよ」

「もう、会えないのか」


 しばしの沈黙。それこそが答えだった。伴侶の最期を惜しむ様に毛繕いをした。既に子供達も一人で生きて行く為に離れて行き、残されたのは自分一人だけだった。


「『俺』君。君は義務を果たした。さぁ、元に戻ろう」

「……いや。俺は、この生物として生きて。死にたい」

「どうして? 死ねば、君が生きて来た、その掛け替えのない体験も全てが失われるんだよ? 意識の連続性は肉体の崩壊に巻き込まれてしまうんだ」

「それでもだ」


 合理的に考えれば『僕』が言う事の方が正しいのだろう。既に視界はぼやけ、体はどうにもならない程に重かった。それでも、この苦痛も悦びも味わって来た肉体を何処までも愛しく感じていた。


「『俺』君。一体どうして」

「終わりにあるのは恐怖だけじゃない。俺は生かされていたんじゃない。自分の意思で生きていたんだ」


 それを最後に。体が大きく揺らぎ、倒れた。『俺』の意思が其処から離れることは無く、肉体の崩壊に巻き込まれる形で。彼の意識の連続性も途絶えた。

 その体の血肉や骨と皮も自然の中に還って行ったが、『俺』の意思が再び現れる事は無かった。彼との旅を終えた『僕』もまた、悠久に揺蕩う日々を送っていた。そんなある日のことである。


「よっし」

「『僕』君。どうしたの?」

「ちょっと旅に出てみようと思うんだ。『私』ちゃんも付いて来る?」

「うん」


 彼もまた旅に繰り出す。永遠の安寧の中で苦痛に塗れる事も厭わずに、消失していった彼の足跡をたどる様にして…。

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