「愛してる」って下心

ライフ・イズ・パラダイス

第1話 今晩は、チャンス・・・

 二十代前半のある晩の事は鮮明に覚えている。


 夏の終わりの土曜の夜、風呂上りにコーヒー牛乳を飲んでいた。

 俺は普段家では飲まない。

 テレビを観ながら火照った身体の体温が下がるのを待っていた。

 

 携帯が鳴った。

 会社の同僚・繭香からだった。

 繭香は取り立てて美人でもなく、スレンダーでもなければグラマーでもない。ごく普通の女だ。会社でもたいして存在感もなかった。

 ただ、よく俺に話し掛けてきた。

「コイツ、俺に気があるのかな」

 そう思っていた。ただ、タイプではなかったし付き合いたい! っていう感情が心の奥から湧いてこなかったし、正直どうでもいいかな、と思っていた。


「今何してる? 良かったら飲まない?」


 部屋の時計を見ると21時を少し回っていた。

(内心、面倒くさえなあ、もう家から出ねよ、と思っていた)


 「今、アタシ、○○の駅に来てるんだけど」


 「えっ?」(俺の最寄り駅だ…)


 もう一度時計の針を見た。確か21時15分位だったと思う。

 「えっ、なんで居んの? ○○に何しに?」


 「ちょっと、○○の◆◆で買いたいものがあって。そういえば○○に住んでるって前言ってたなあ、って」


 (辻褄合わせすぎるなあ~ と思いながら、眼がギラついた…多分)


「別に、ちょっとだったらいいけど。そっち、終電には帰るでしょ」


 (一瞬、間があった…)


「うん、アタシ、明日用あるし、終電前には帰るよ。あ、でも何か予定入ってるなら

別にいいよ。今度でも…」


 (土曜の夜21時過ぎに、予定なんてねえよ! と呟きながら思いを巡した)


「いや、俺もコンビニで買いたい物あって、ちょうど出かけようかと思ってたし、

ちょっと飲もうか? 駅の改札出たとこで待ってて。五、六分で行けると思うから」


 俺は少しはしゃぎながら、慌てて服を着だした。途中、飲みかけのコーヒー牛乳をパンツに零した。あっ~と思いながら、パンツを脱ぐと、ムラムラとエロ心が頭を擡げてきた。少しの間、下半身丸裸で、一人今晩の夜更け過ぎを未来思考で感慨に耽った。その後、入念に替えのパンツを吟味するのに時間を費やした。


(今日はイケる…そう直感した)


 途中、駅まで五~六分で行けるところを、ゆっくりと歩を進めた。

(相手を焦らすように…気が変わらない、ギリギリのタイミングを狙って…)


 駅に着くと、繭香は俯いていた。

 俺は声を掛けず、繭香に視線を注いだ。

 念じた心は伝わり、繭香は顔を上げ、少し恥ずかし気に微笑んだ。

 その時、遠慮がちに小さく手を振り、一瞬、繭香から視線を外した。

 繭香の前に辿り着いた。彼女は絞り出すように、ボソッと囁いた。


 「迷惑だった?」


 「別に、全然」


 目を少し見開き、繭香に向けて笑顔を見せた。

(本心を悟られないように…作り笑顔に見えないように…)


 駅前の繁華街を歩いた。この時、どんな話をしたか、全く覚えていない。

 緊張していたのか、それとも、頭の中に僅かな隙間さえも見繕う事も出来ない位、

下心が支配していたのか判断がつかない程、浮かれていた。


 会話の中で、彼女が微笑む度、その後の宵の口に自分の腕の中で苦悶の表情で身悶える繭香の姿を想像した。


 一軒の居酒屋に入った。既に22時近くだった。


 薄暗い灯りが客席を灯す店だった。

 敢えてこの店を選んだ。明るい雰囲気の店で爽やかなイメージの店員に接した際に、空気を変えられるのが嫌だったからだ。


 その店の店員は客の作り出す空気感に立ち入らない。地味だが店で飲食を終えた後の来客者には、其々のストーリーがある事を暗黙の了解で判っている。事務的に、しかし丁寧にオーダーを取り、配膳をするところが、前から気に入っていた。

 いつか、「決める」べき時に、必ず使う。そう思い描いていた。

 今晩、そのカードを迷いなく切った。


 今思えば、彼女の周到な準備と策略に嵌っていたんだと思う。

 

 生ビールを一杯飲んだ後、繭香が瓶ビールをグラス2つでオーダーした。

 店員が瓶の栓を抜き、テーブルにグラスを2つ置いた。

 俺が手を出すよりも早く、繭香が目の前のグラスにビールを注いだ。


 互いに一口飲み干すと、繭香は上着を脱いだ。

 タンクトップ姿で肩を露出させ、セミロングの髪をゴム紐で結わいた。


 ほろ酔い気味の繭香のポニーテール姿を初めて目の当たりにした。


 俺はポニテ―ルの女の子が好きだった。初めて中学生の時に付き合った吹奏楽部の女の子もポニーテールがよく似合う女だった。

 以前一度だけ会社の昼休み、繭香と二人だけでランチを食べた事があった。

 その時、ポニーテールの女が好きだと話した記憶が蘇った。

 もう、俺の頭の中は考えていることが一つだった。ただ、下心と共に、急に繭香が愛おしく思えてきた。唇に目が奪われた。俺の視線を察したのか、繭香は舌で唇を潤した。その仕草は妙に色っぽく、そして、イヤらしかった。


 「終電、何時?」


 時刻は23時半少し前だった。


 「うん・・・0時くらいだったかなあ…」


 「じゃあ、あと三十分飲めるね」

 (繭香は神奈川に住んでいて、俺は埼玉だった。今日は土曜だ。都心に向かう電車は23時半が最終だ。もう繭香は帰れない。いや帰らない…帰る気はない…)


 俺は、もう1本頼もうか? と誘った。


 「日本酒飲まない?」


 繭香は上目遣いの視線が、俺の眼の奥にに飛び込んで来た。


 黙って、俺は頷いた。


 互いにだいぶ酔いがまわりだした。時計を見ると0時近くになっていた。


 繭香の表情を窺った。口元を緩め、目を細め、ただ黙って微笑を浮かべていた

(その時、この後のことを考えていた。この店は午前1時閉店だ。もう少ししたら

 繭香に今夜どうするか声を掛けよう。そう思っていた矢先だった…)


「ねえ、彼女居るの?」


 俺は少し考え込んだ。いや、考えるフリをした。


「繭香は? 彼氏居るの?」


 真っ直ぐ俺の目を見て、首を振った。


「俺も今は居ないよ」


その時、繭香は席を立った。


「何? 帰るの?」


 俺は少し声を荒げた、と思う。


「トイレ」


 繭香が席を立ち、その後ろ姿を見えなくなるまで、俺は見つめていた。


 酔いもあったかもしれないが、今宵は繭香に釘付けになっていた。いや、後から思うと、釘付けにされていたんだと思う。多分、繭香の方が上手だった。俺の心を全て見通し、思うがままに導かれた。


 繭香が席に戻って来るにつれ床を踏む靴音が増し、俺の心に「スッー、スッー」と

溶け込むように忍び込んでくるのが伝わり、下半身が震えた。


 席に戻ると繭香は真顔になり、視線を合わせてくれなかった。


 「どうする、帰る?」

 「この店何時まで?」

 「もうすぐ閉店だけど」

 「終電逃しちゃった…」

 「送っていくよ」

 「どうやって?」

 「とりあえず店出よう」


 繭香は不機嫌な様に窺えた。少し不安になった。


 会計を済ませ店を出ると、繭香がス~っと寄り添って来て肌が触れるか触れないか位に近づいて来た。

 俺は意図的に、自分の小指を繭香の小指に摺り寄せた。

 その瞬間を、繭香は逃さなかった。

 スッと、自分の腕を、俺の腕の内側に滑り込ませ、纏わりついた。

 俺は繭香の手を握り、自分の手を合わせた。暫く無言で夜道を歩いた。

 歩道橋を渡り、階段を降りている時だった。酔いが回って来たのか繭香の足がフラつき、足を踏み外し、俺に凭れかかって来た。体が密着すると共に、繭香の胸の膨らみが脳に伝わると共に、繭香の陰部が衣服の上から俺の陰部を探り当てた。

 繭香が意識を感じ取っているのが伝わってきた。彼女は俯いていた。

 繭香の後ろ髪に触れ、首を引き寄せ、唇に陰部から湧き上がる熱を込めた。繭香の肩が下り、力が抜けていくのが分かった。

 繭香は唇を一旦離したあと、両腕を俺の首に巻き付けてきて、俺の唇を啜った。


 俺の家に着くと、もう言葉は要らなかった。翌日曜日、一日中、互いの心と体を貪り合い、月曜の朝を迎え、目覚めると、どちらからともなく、微笑み合い、キスを交わした。


 出勤する為に、玄関のドアを開けた。ドアを開けた途端眩しい朝陽が目の前の視界を塞いだ。二人共あまりの眩しさに、目をパチクリさせ、土曜の夜からの出来事を思い返し、互いに照れ笑いを浮かべながら、手を繋いだ事を鮮明に覚えている…


 




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