第2話 さよならから食卓へ

実家はミカンも栽培していたので、収穫用のコンテナがたくさんあった。



大みそかの日、そのコンテナを荷台に乗せ、ヤギとともにじいちゃんは山の奥の方に向かっていった。

私は、草が少なくなったので山に移すのだろうかと考えていた。


しばらくして山からじいちゃんは帰ってきた。

ヤギはおらず、コンテナの中には、生肉がたくさん入っていた。


小学生の私にも、あのヤギのメイだろうなあとは見当がついたが、敢えて聞かなかった。


屠殺から何から全部こなしたじいちゃんは、疲労感をにじませつつ、満足げにカップ酒をあおっていた。


実によい肉だと笑っていた。


それは私にも理解できた。

ぷりぷりの肉、きれいな色の肝臓。実に健康的な肉だった。


ああなるほど。

これは食べ物である。

あのかわいいヤギは食べ物になったのだ。


ばあちゃんはさっそく料理にとりかかる。

大鍋でまずヤギの肉を(そこらへんにはえている生姜やらねぎを入れて)下茹でしていく。

ゆであがったらザルにあげ、肉を食べやすく小さく切っていく。

よく研がれた包丁で、骨ごと切られた肉はぷーんと独特のにおいがあった。


そこから大鍋に戻して

別ゆでした大根と一緒に大鍋で、砂糖に醤油やら酒を入れ煮込まれていく。

記憶があいまいではあるが、おおよそこんな感じだったと思う。


ヤギの肉はかたいので簡単にはやわらかくならない。

弱火にして大鍋でことこと煮ていきながら、こまめにあくをとるのは実に根気のいる作業だ。

ばあちゃんはあまりしゃべる人ではなかったので、黙ってその作業をこなしていった。私はじいっとその様子を見ていたのだが、母がこっちへ来いというので、途中でみるのをやめた。


数時間煮込み、こんにゃくなどがはいり、最後にネギが入れて

ヤギ鍋が出来上がった。


大みそかの夕御飯に、ヤギ鍋を食べる。

それもじいちゃんが捌いたヤギ肉の。

いま考えればなんとぜいたくだったことか。


…ただ、まあよくよく考えれば、ヤギは草食動物である。万が一、トリガブトなどの毒草を食べていたらどうなったのかなあとは、思う。生えていた記憶はないけれど、生えていなかったという保証もない感じがする。…ここはそういう知識がじいちゃんにはあって、ちゃんと考えて草を食べさせていたのだということにしとこう。


さてそのヤギ鍋の味だが

肉はとにかく硬い。食べた感じは豚肉に近いだろうか。羊よりは強くはないが、似たような独特の風味があった。臓物なんかも一緒に入っていたので、硬くてなかなか嚙み切れないし、生臭さもけっこうあった。しかしそれがあっても、うまいとしか言いようのない味だった。よい出汁を吸った大根がまた味がしみていて、口のなかでとろけるように崩れていった。釜で炊かれた米に乗せると格別に旨かった。


おしまいにスープにご飯を入れて雑炊にしたのもうまかった。


添えられている沢庵や白菜漬けももちろん自家製で、食卓には既製品なんかほとんどなかった。いま考えればなんてぜいたくだったことか。


それからしばらく大みそかは毎年このヤギ鍋が食べられるようになった。

ヤギがどこからか来るたびに、これは食べ物だともう分っていたので、名前はつけずに、食べられるその日までかわいがった。


しかし

数年後じいちゃんが身体を壊してしまった。


父は事務員で農家仕事はほとんどしなかったし、だいたいヤギなんかさばけない。虫も殺せない人だったからそこを求めるのは酷ともいえるけど。

ヤギ肉をもらう伝手はあったろうし、ばあちゃんも肉さえあれば作れたんだろうけれど、結局、もうそれからヤギ鍋は実家では作られない料理になってしまった。

あのごちそうは数年だけの幻の料理になってしまった。


それから数年後


実家は熱心なカトリックだったのだが、父はその青年会のようなのに参加していた。

その活動でクリスマスに大鍋で煮物を作り、教会に来た信者にふるまうイベントがあった。


その鍋が、なんとヤギ鍋だった。


企画に参加した父がヤギ鍋を提案したんだと思う。父ももう一度ヤギ鍋を食べたかったのだろう。


久しぶりに食べたヤギ鍋は味が違っていて、おでん風味であった。でも独特の肉のかたさとにおいはそのまま。実に美味だった。あの時の鍋にはゆで玉子も入っていた。

雪も降る日で寒かったが、おいしかった。

私の人生で最もおいしい食事はあれだったとすら思える。


それからしばらくして、じいちゃんもばあちゃんも父もいなくなった。


意外とヤギ肉は売っていないもので、生のヤギ肉となればもっと入手の難しいものだ。母はばあちゃんとは仲が悪かったので、料理をほとんど習わなかったから、肉があったところでおそらくあのヤギ鍋は作れないだろうけれど…。

私は料理はさっぱりだから挑戦しようとも思わない。


そういうわけであのクリスマス以来私はヤギ鍋を食べていない。



最近、線路脇にヤギが逃げたニュースを動画サイトでみた。

私はあれをみて、無性にヤギが食べたくなった。


私にとって

ヤギは食べ物なのだ。

あの食べ物をまたいつか食べてみたいものだ。



おしまい。







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ヤギは食べ物 @haman7

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