オフ会

猿川西瓜

お題 お笑い/コメディ

 烏賊いかは福井の中心部から魔都大阪に潜入した。

「吉本に入社して、漫才師にでもなったろうか……」

 大阪を前に、己を鼓舞する一言を烏賊は漏らした。

 烏賊。これは、彼のペンネームであり、ハンドルネームであり、愛称である。

 細身で長身、ロン毛と丸眼鏡。陰キャ特有の色白。喩えるなら、海で泳ぐあの烏賊そのものの体躯あった。


 烏賊は福井一の金持ちでもあるので、高級な美容室に入り、髪を大阪行きに合わせて赤くした。帰りにゲーセンに寄ってギルティギアをプレイした。すると夕方に、2ちゃんねるの福井ゲーセンスレで、「今日、赤い髪のやつが来てた」と書き込まれた。


 烏賊が新大阪駅についたとき、何人かがちらりと赤い髪を見ては通り過ぎていった。

 彼が大阪に来た目的はもちろん吉本デビューではなく、オフ会だ。


 オフ会。


 そう、オフ会だ。


 『心の闇を抱えた者達』の10人くらいのオフ会だ。


 しかも、ホテルの1室に集まるという。


 髪を赤くしたのも、気合いを入れるためだろう。彼自身、外を出歩いたり、遠出することは、かなり心に負担のあることだった。福井に帰った後は、何もなくても、数日寝込むだろう。また、病んだ女は髪の色が赤とか緑の男に惚れやすいという噂もあった……烏賊はそれゆえに髪を赤くしたのか。彼の深層心理はわからない。


 烏賊は従兄弟の家で一泊してから、翌朝ホテルの一室に向かうという。プランは決まっていた。

 しかし、せっかくの訪れた大阪。

 ならば、大阪人らしく振る舞うというのが、礼儀というもの。

 烏賊は300円均一の立ち呑み屋に入り、ポン酒コップ五杯あおり、店のオヤジに「にいちゃんエエ加減にしときや」と、心温まる言葉をかけられていた。

 烏賊は、歩くこともままならず、ふと空を見上げれば、星さえ見えない漆黒の宇宙そら。大阪という混沌に飲み込まれた烏賊は、ただ身を任せて、そのまま宛先もわからず、人の波に消えていった。


      完


 まだだ。まだ続く。

 べろべろのまま、一人暮らしをしている年下の従兄弟Yの家に到着した烏賊は、ビッグサイズのカップ麺を汁まで飲み干し、Y宅にある小さなピアノを弾いていた。亡き王女のためのパヴァーヌ。烏賊は自分の部屋の中にあるエレクトーンで、一日中この曲だけを練習し続けていた。譜面もなしに、耳コピだけで弾けるまでに。

 烏賊が涙を流しながらピアノに向かって熱演していると、Yは「お前の息は屁の匂いがする! 即刻、歯を磨け!」と激怒した。演奏を切り上げ、烏賊はつぶ塩で歯を磨き、そのまま眠った。

 真夜中に、何かが頭上を走りぬけたので、烏賊は吃驚して飛び起きたが、何事もないことを確認し、再び眠りに落ちた。


      劇終


 まだ。まだ……続く。

 烏賊が大阪に潜入したのはワケがあった。

 先ほども書いたように、「オフ会」と呼ばれるものに出席するためだ。

「オフ会」とはどういう事をするものなのか? 女性のオッパイについているボタンを押して、オフにする。男はその時、「おふ、おふふふ」と言わなければいけないゲームをするためだ。

 いや、違う。「オフ会」とは、正確には、普段ネットでしか会っていない連中が、実際に出会って、酒を飲んだり、カラオケしたり、談話したりするパーティーの一種である。

 ただ、ごく一般的な、「スポーツ談義に花を咲かせようオフ」とか、「コスプレ披露オフ」とか、そういうノーマルなものでは断じてない。

『心の闇を抱えた者達』のオフ会だ。


 このオフ会の主催者は「多重人格」で、どうやら四人格あるらしく、一人は子ども、一人は暴言を吐き散らし、一人は慎ましい淑女、もう一人はよくわからないという。

 他のメンバーたちは以下の通りであった。

『早稲田大学在学中の、ピアスが光る理知的青年M!』

『実家が酒屋、いくらでも酒もってくるでー! と豪語するA!』

『ベッドの上で、上着を脱いで裸体を晒し、靴下まで脱ぎ捨てくつろぎモードに突入するMT! しかもその胸はケロイド状に火傷していて見るに耐えないっ!』

『41歳の最年長者、B! お多福を具現化したような耳の聞こえない主婦!』

『主催者にして、最強の難病を保持する、T! 首にはパスポートのようなものが掛けられており、数々の公共機関を無料で利用できる。左腕のリスカの惨たらしい跡は、とても描写できない!』

『いやー、ちょっとエロすぎたかな? などと、とあるHPのチャットでの数々のセクハラ発言を詫びる、フケ顔のD!』

『アールグレイ、レディグレイなどの各種紅茶を持参して、皆に振舞うF! ひたすら茶を淹れるだけで、放った言葉は、お茶は要りましたよー、しか聞いていない!』

『Tの彼氏! 唯一の健常者で、この方とTがひたすら夫婦漫才を繰り返し、烏賊はただ呆然としていたっ!』


 場所は、ホテルの一室、ツインベットの部屋に、十人前後がスシ詰めであった。

 乱交もなにもなく、オフ会はデイユース利用を支払い、無事に終了した。

 烏賊は夕方頃に従兄弟Yのところへ戻り、しばらく身体と精神を休めるのだった。


       終


 話は終わらない。

 烏賊は、ただひたすら、Yに語った。すし詰めのホテルがいかに恐ろしくも滑稽な空間であったか。絶望も希望も安らぎも衝動もない。一見流れているようには見えない重い泥のように、時間が過ぎ去っていったこと。究極的には、愛だけが、愛を受けとめる気持ちだけが、生きるための導きの光になるのではないか……と、烏賊は涙した。

 Yのコメントは一言だった。

「そんなことより、みんゴル持ってきた?」

 みんゴルとは『みんなのゴルフ』というゲームのことだ。Yはそのゲームに夢中で、烏賊と一緒にしたくてたまらないようだった。

「ひきこもりが愛を語るんじゃねえ!」

 Yは稲妻のごとく怒り、さっと移動して烏賊のカバンのなかをまさぐり、プレステのソフトを抜き出した。

「もったいぶらず、さっさと出してくれよ」

 プレステの起動音を聞きながら、烏賊は呆然としていた。

 コブシを握りしめ、「わからないのか、この絶望の意味が……」と呟いた。


 烏賊は晩餐のとき、Yのお茶にこっそり睡眠薬錠の砕いた粉末を混ぜた。「ハルシオン」一錠、「エチゾラム」一錠、「リスミー」一錠、「ブロチゾラン」一錠。これらをミックスしたものだ。

 Yは何も気づかず、茶を飲み干し、嬉々として手巻き寿司を頬張っていた。

「見ろ、この手巻き寿司を。サーモン、マグロ、ハマチ……全部入れたった」

 その夜、Yは異常な陶酔状態に陥ったのだった。


『みんなのゴルフ』をプレイしながら、Yは汲めど尽きぬ神秘の泉のごとく、しゃべり始めた。

 「俺は誰だ」「神だ」「いや、俺は誰でもない」「宇宙だ」「見ろ! 俺のショットを」「お前のようなクズには不可能だ」「俺には可能だ」「クズどもが、俺にひれ伏せ!」「いや、ひれ伏すのは俺のほうだ」「聖書を超えた!」「神は俺だ!」「いや神はお前だった」「俺はクズだ!」


 血走った目を爛々と輝かせながら、一人漫才のように、喉が枯れてもみんゴルの画面に向かって話し続ける。キャラクターがゴルフクラブをスイングし、ボールが飛ぶ度に、呪文のような言葉が生み出される。烏賊のほうには一瞥すらしない。


「うひょー!」「俺の神パットを見たか!」「やめろっ」「だめだっ」


 Yは一晩中、一人でしゃべり続けながら『みんなのゴルフ』をプレイしていた。

 さすがは魔都大阪の住人。その心の奥底には、永遠に一人でしゃべって一人でツッコミを入れるような、しゃべくり漫才的DNAが眠っているのだろう。

 烏賊はそう感心して、こっそりと部屋にYを置いて出て、寝室で横になった。


 遠くにYの声を聞きながら、烏賊は寝る前に、アキネトンをごくりと飲む。

 痺れ。甘い痺れ。

 光か電気のようなものが血流を駆け巡り、烏賊の心が深く澄んで、海底に沈んでいく。天井を見上げると、空が寂しげな青をはにかんでいるように思える。胸を締める痺れに、安堵と緊張が走る。快、不快のはざまで、烏賊の意識は青白く麻痺して、優しく、溶けていくのだった。


 寝ていた烏賊は突如立ち上がり、ドアノブを握った。数分間固まったまま動かなかった。ドアの向こうからは、Yが相変わらず存在しない誰かと対話し続ける声が響いている。夜中も3時を過ぎていた。

 ようやく烏賊はドアを開けて、ありもしない階段を降りるような仕草をして、フラ、フラと揺れ、そのまま大きな音を立てて尻餅をついてから更にのけぞって頭を打った。


 ドン! ゴン! という強い音に驚いたのか、Yの独り言が止まった。

 ドアが開き、Yの青ざめた顔が浮かんだ。

 廊下に転がる烏賊を見て、「死んでる!! ……すごい出血」といって、Yは「うおえええ」と吐いた。

 粘つくような生臭い嘔吐臭がする。Yは赤い髪を血と間違えたのだ。錯乱している。

「おい、おい、大丈夫か」と、Yは烏賊の肩を揺すった。

 烏賊の目が大きく開かれる。天井を見つめたまま微動だにしない。意識があるのかないのかわからないが、朝まで口を開く気配がない。

 Yは烏賊の髪を優しく触りながら、「お前の血って、こんなにも、サラサラなんだな……」と、口の端に胃から戻したご飯粒をつけながら笑った。

「いやいや、これ、髪やがな……」

 独言はやはり続いた。ご飯粒が糸を引きながら、烏賊の額の上にゆっくりと落ちた。



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