例えば、四角いビンの角に詰まった、甘ったるいチョコレートジャムのような

中田もな

Comedy

 使い切った四角いビンの、丸みを帯びた四方の角に、チョコレートジャムが詰まってしまった。スポンジで擦ってみても、中々取れない。こんなことに、貴重な時間を割きたくないのに。くそ、美味しいけれど、忌々しいジャムめ……。


「……そういう人間に、俺はなりたいんだよ」

 渋谷ヒカリエに向かう交差点で、彼は俺にそう言った。それは、大学が夏期休暇に入った時期の、ちょうど一週目の出来事だった。

「大物じゃなくたっていい。有名じゃなくたっていい。誰かの心に残って、誰かの話で生きてくれれば、俺の人生、それでいい」

 人の喧騒が耳に残る、大都会のビルの裏。彼はローラースケートを転がしながら、猫のように一回転、大きく体を捻った。俺はミント味のガムを吐き捨てて、ゴミ箱の上に座り直した。

「例えば、四角いビンの角に詰まった、甘ったるいチョコレートジャムのような。そんなくだらない人間で、俺はあり続けたい」

 路地裏に迷い込んだ観光客を、彼は器用に縫っていく。表舞台に立つことのない俺たちは、今日も時間を潰しながら、喜劇的な生活を繰り返していた。


「二年前に流行った、あのゲーム。おまえも多分、知ってると思う」

 初めて彼と会ったとき、俺は大学のだだっ広い学食で、味の濃いカレーうどんを食べていた。突然話し掛けられて、俺は内心、ひどく不快な気分だった。

「そんでさ、俺はすっかり、そのゲームにハマっちまってさ。気づけば親のカードを使って、勝手に課金しまくってたってわけよ」

 彼はへらへらと笑いながら、コンビニの安いコーヒーを飲み干した。ボサボサと伸びきったミドルヘアには、ビビッドカラーのインナーメッシュが入っていた。

「でさ、いくらになったと思う? ……三百万だよ、三百万」

 群馬の男子校に通っていた彼は、至って普通の高校生だった。しかし、当時流行っていたスマホゲームにどハマりした結果、課金額三百万男になってしまったらしい。

「当然、親には即バレた。ぶたれる、蹴られるの大騒ぎで、ついには勘当されちまった。そんで、高校は退学。俺は途方に暮れまくって、残った小遣い全部叩いて、東京までやって来た」

 彼は全く懲りない男手で、俺がいくら冷たくあしらおうとも、付きまとっては過去を話した。家の金に手を付けたのも、三百万が初めてではなかったらしい。勘当されるのも当然だ。

「一時期は、本当に死のうと思ったよ。だってさ、何をしたらいいのか、全然分かんないんだぜ? だからさ、真っ赤な橋の下を覗いて、そのまま真っ逆さまに落ちてやった」

 残念なことに、彼は九死に一生を得て、気づいたときには河川敷で横になっていた。そのときに、彼はぽつりと、こう思ったらしい。

「このまま死んでも、誰の記憶にも残らない、すげぇ陳腐な悲劇だなって。ずぶ濡れのまま、そんなことを考えてたらさ……。なんか、このまま死んでも、つまんねぇなって思い始めた」

 俺は必修の講義をサボって、灰皿の錆びた喫煙所で、煙草を吸うことが多かった。彼は煙草を吸わない。生ぬるいコーヒーを片手に、いつもリリックを刻んでいた。

「くだらねぇ悲劇になるぐらいなら、少しだけくだらねぇ喜劇になった方が、一億倍もマシだ。……そう思った俺は、試しに池袋のラップバトルで、フリーの世界に潜ることにした」

 彼はU-18の大会で、一躍有名人になった。彼の巧みな言葉選びは、素人ラッパーとは思えないほど、実に鮮やかに浮かび上がった。

「俺の賞金、百万円。これはイケると、思ったね」

 くだらない日常に落ちている、くだらない韻の欠片。彼はそれを組み合わせて、芸術にするのが得意だった。ボーカロイドぐらいしか知らなかった彼が、フロウの利いたラップの生み出せるのは、ある種の才能のようなものだった。


「おまえはさ、一体何になりたいんだ?」

 渋谷ヒカリエ、人と金、全てが交差する地点で、彼は俺に言った。

「……ラーメンの上のネギ」

 メンソールを吸いながら、俺はごちゃごちゃとした感情を、揺すって吐いて、そして捨てた。ラーメンの上のネギみたいに、俺はなりたかった。

「それ、すっげぇ面白れぇ!」

 彼は地面を強く蹴り、宙でくるりと、バク転した。悲劇よりも自由な世界で、彼は喜劇を演じた。

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例えば、四角いビンの角に詰まった、甘ったるいチョコレートジャムのような 中田もな @Nakata-Mona

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