君が笑う理由を、僕はまだ知らない。

成井露丸

🤣

「え〜! ちょ、それマジでウケるんだけど〜! 面白すぎ〜」


 教室の廊下側。化学反応みたいに笑いが広がる。

 ひときわ大きな声を上げている派手目な女子は宮下佳奈みやしたかなだ。


「いや、マジだから。笑い事じゃないし。なんなら今日学校休むレベルだったし!」


 中心で九堂蓮くどうれんが満更でもなさそうな表情を浮かべ肩を竦める。

 クラスの人気者。イケメン優等生。僕の幼馴染。

 彼らのグループがこのクラスの中心。その頂点が蓮だ。 

 何が面白くて何がつまらないか、この教室でそれを決めるのは彼らだった。


「マジで蓮ってば、お笑い芸人になれちゃうよね。イケメン芸人! ――M−1優勝したら、賞品わけてよね〜」

「いやいや! M−1はガチだから! 俺、二回戦で絶対に爆死するから!」


 誰かが「一回戦は通るのかよ! 意外と自信あるじゃん!」と突っ込むと、またドッと笑いが起きた。

 明るい髪の宮下さんも開いた口を右手で覆って笑っている。


 僕はスマホを触りながら、そんな彼らを遠巻きに眺めていた。

 ――そんなに面白いかなぁ。


 蓮がお笑い芸人に憧れているのは知っている。公然の秘密だ。 

 でも彼の笑いは、クラスの人気者程度だと思う。

 ――絶対に僕の方がまだ面白い。


 スマホを開くと、僕は小説の続きをまた三行ほど書き進めた。


 ふと視線を教室の前方へと移すと、視線がぶつかった。

 黒髪を背中まで伸ばした姿勢の良い清楚な美少女。

 彼女が微かに微笑んだので、僕も小さく微笑みを返した。


 僕――結城護ゆうきまもると彼女――篠宮亜希しのみやあきには秘密の繋がりがある。


 スマホが震えた。

 開くと篠宮さんからのLINEだった。


『結城くん、小説、書いていたの?』

『そうだよ。今夜には更新するね』

『うん。楽しみにしているね』

『いつも読んでくれてありがとう!』


 *


「――面白かったよ! 昨日ベッドの上で、めちゃくちゃ笑っちゃった。結城くんって小説の才能あるよ!」


 毎日頑張って書くコメディ風味の小説。

 僕の小説を、学校で彼女だけが知ってくれて、応援してくれる。


「そんなこと――ないよ。まだ全然、読者なんていないしさ」

「大丈夫だよ。こんなに面白いんだもん。読者なんてすぐに増えるよ!」


 更新するたびに、彼女は応援ボタンを押してくれた。 

「高嶺の花」の女の子との秘密の繋がり。その関係にもドキドキした。


「頑張ってね。応援してる!」

「あ……、ありがとう」


 彼女が応援し始めてくれてから、徐々に読者は増えていった。

 今では二〇人以上が、毎日、僕の小説を楽しみにしてくれている。


 今まで何一つ、蓮に勝てるものなんて無かったけれど。

 僕にはきっと小説の才能がある。笑いの才能がある。

 蓮よりきっと。

 だから僕は小説を書き続けた。

 君の笑う顔がもっと見たくて。 


 *


「――少し賑やかだったね?」


 放課後、帰る準備をしていたら篠宮さんがやってきた。

 騒いでいた集団の姿は消え、波が引いて凪いだ海のような空間。


「そうだね。みんな楽しそうだったね」

「ふふふ。九堂くんの話だと、みんな笑ってしまうから」


 彼女は緩く握った手を、口元に当てた。


「篠宮さんも面白いと思う? 蓮の話。お笑い芸人になれるくらい」

「どうかな。でも、いつも笑う宮下さんの気持ち、ならわかるかな?」

「――どういうこと?」

「だって九堂くん、笑われると、とても嬉しそうなんだもん」


 よく意味がわからず首を傾げていると、彼女は言葉を継いだ。


「誰かの嬉しそうな表情って見たくなるでしょ? だから相手が喜んでくれることを言いたくなる。それって当たり前の感情じゃないかしら?」

「――つまり、蓮を喜ばせるために、面白くもないのに笑っているってこと?」


 彼女はただ妖艶に微笑んだ。


「篠宮さんも面白いと思っていないの? 蓮の話」

「どうかしら? でも、少くとも結城くんの小説の方が、ずっと面白いわ」


 彼女の瞳が僕を見つめる。厚ぼったい唇の端が微かに上がる。

 その言葉は僕に染み込んで、体中が幸福に打ち震えた。


「ところで結城くんに、チョットだけ、お願いがあるのだけれど」

「え? ――何?」


 *


 最近一つ発見があった。偶然、立ち寄った近所のコンビニで、制服を着てレジ対応をする宮下佳奈を見かけたのだ。

 いつもは膨らんだ明るい髪を、後ろできつく縛って、彼女は懸命に働いていた。学校に秘密でアルバイトをしているみたいだ。


 僕に気づくと「え? 結城じゃん」と嫌そうな表情を隠さずに浮かべた。そして何故かバイト終わりまで待つように命令された。


 少し待つと、私服に着替えた彼女が出てきた。

 そして「絶対に学校や周囲に言わないでほしい」と嘆願された。

 全然知らなかったのだけれど、彼女の家、親が病気で家計が苦しいのだとか。


 特に断る理由がなかったし、「言わないよ」と約束した。

 ――知らない一面が、人にはあるもんだな


 *


 篠宮さんのお願いは「九堂蓮との約束を取り付けてほしい」というものだった。

 幼馴染みの僕なら聞きやすいだろうからって。

 理由は教えてもらえなかった。

 彼女のお願いを、僕が断れるはずもなく、応諾した。

 二人はそれから学校の外で会ったみたいだ。


 どういう用事だったのか、どういう話し合いだったのか。

 僕は知らない。それとなく尋ねてもはぐらかされた。


 ただ蓮には次の日、「ありがとうな」とにんまりとした顔で肩を叩かれた。

 気にはなったけれど、それ以上の詮索はやめておいた。

 誰にだって、秘密の一つや二つあるものだ。

 僕がみんなに内緒で、小説を書いているように。


 *


 それから二週間ほどが経った。


 *


 廊下を歩いていると、向こうから見知った美男美女が歩いてくる。

 蓮と篠宮さんだ。珍しい組み合わせだな、と思った。

 なんだか二人の距離感がこれまでより近い気がした。


 *


 最近クラスの空気が、少しずつ変化しているのを感じる。

 蓮たちのグループの様子がなんだかおかしい。


 *

 

 教室の中で、蓮が篠宮さんに話しかけている。

 その周囲に、いつものメンバーが集まってくる。

 宮下佳奈が、戸惑ったような、寂しそうな、複雑な表情を浮かべている。


 *


 僕の小説の読者登録数が五〇を超えた。

 同時に感想欄にはネガティブな感想も増えた。

「オナニーならチラ裏でやれ」「内容の割に、評価高すぎ」「笑いのセンスが壊滅的www」などなど。

 初めは凹んだけど、読者が増えるとそういうこともあるらしい。

 挫けそうになる度、篠宮さんの言葉を思い出して、自分自身を励ました。


『結城くんって小説の才能あるよ!』


 *


 ――九堂蓮は宮下佳奈から、篠宮亜季に乗り換えた。

 そんな噂が広がり始めた。根も葉もない噂だと思う。

 僕は信じなかったし、信じたくなかった。

 でも二人に事実を確認する勇気も、僕にはなかった。


 *


 僕らの学校の最寄駅。駅裏の公園に多目的トイレがある。

 入り口が人目につきにくいこともあって不適切な目的に使われることがあるトイレだ――と蓮自身が、冗談混じりに言っていた。


 その日の下校途中に、僕は、蓮と篠宮さんが二人で歩いているのを見かけた。こっそり後をつけた。

 すると二人は手を繋いで、そのトイレへと入っていった。人目をはばかるように。


 少し離れたベンチに座り、二人が出てくるのを祈るように待った。

 心臓は激しく拍動し、脳は溶けそうに熱かった。


 三十分ほど経って、蓮だけが出てきた。

 彼は、一人で駅の方向へ歩いていった。

 僕は気づかれないようにトイレに駆け寄り、扉を小さく開き、中を覗いた。

 

 トイレの中には、篠宮亜季がいた。

 ちょうどスカートをたくし上げて、下着を整えているところだった。

 肌色の膨らみを包む、パンツの色は空色だった。

 内腿に白い液体が線を引いて伝っていた。


 *


 どうやって自宅付近まで辿り着いたのか、僕は覚えていない。

 太陽が西の山に沈んでいくのを、駅のホームから眺めていたのは、覚えているのだけれど。

 でも気付けば、何故だか自宅近くのコンビニへと足を向けていた。


「おまたせ〜。ちょっと遅くなってごめんね!」


 アルバイト明けの宮下佳奈が、駐車場で待っている僕の前へと現れた。

 僕と彼女はそれぞれホットのカフェラテとミルクティーを手に、コンビニ脇の石段に腰を下ろす。


「――あ〜。そんなところ見ちゃったんだ。凹むよね。聞くだけでも凹むよ」

「宮下さんは、もう、――諦めたの? その、蓮のこと。好きだったんだよね?」

「うん。だって、あの子には勝てない。――勝てないよ」


 明るい髪の少女は、切なそうに眉を寄せた。

 

「――本当に、好きだったんだけどなぁ、九堂くんのこと」


 いつも蓮をおだてるように、虚構めいた笑いを放っていた彼女。

 でも彼女は、僕が思っていたよりも、ずっと純粋だったみたいだ。

 だから僕は一つの質問を彼女に投げかける。


「ねえ、宮下さんは、蓮の話に笑っていた時、本当に面白いって思ってた?」

「ん? 当たり前じゃん? 笑っていたんだから、面白かったに決まってるじゃん!」


 質問の意味がわからない、とでも言うように彼女は応じる。

 怪訝そうにしている彼女に、僕は、以前、篠宮さんに言われたことを伝えた。

 彼女はそれを聞いて、息を吐いた。本当に辛そうに。


 そして目を細めて、暗闇の向こう側に視線を飛ばした。


「ねえ? 知っている? 結城くんの小説さ。篠宮さんが女子グループのLINEに流しているの」

「――え?」

「それで二〇人くらいの女子が、君の小説をフォローして、笑いものにしているんだ。――気持ち悪い、才能が無い、面白くないって」


 血の気が引いた。


「あーしは、そういう裏表、本当に無理。面白いなら面白いでいいし、つまらないならつまらない、悲しいなら悲しいでいいじゃん!」


『小説の才能がある』――篠宮亜季の、その言葉が支えだった。

 あの言葉は、君が僕を良い気分にさせる、そのためだけに言った言葉だったのかな?


「なんで心を曲げるかなァ。なんで変わっちゃうのかなァ。全部、全部! ねぇ、結城くん。あたしたち、これから何を信じればいいのかな?」


 答えの見えない暗闇が僕らを覆う。

 だけどその言葉は本物で、涙は真実で、身体は現実だと思った。

 だから僕は涙を流す宮下佳奈を抱き寄せた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君が笑う理由を、僕はまだ知らない。 成井露丸 @tsuyumaru_n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ