目指せ異世界No.1~残念ホスト涼くん、異世界から王子をお持ち帰る~

桜江

残念ホスト涼くんと溺愛系?王子の目指せ異世界ナンバーワン

 日本での過去に類を見ない異世界転生転移ブーム。

 王子王女や悪役令嬢、貴族に魔法に錬金にスローライフ。

 猫も杓子も婚約破棄、ハーレム逆ハー、ざまぁにざまぁ返し。チート内政に科学は魔法で代替します複雑なものを簡単に物作り。

 ――それらは架空のものではない。現実に起こり得るものである。


 

 * * * * *


 

「花園掃除はまだ終わりませんかあ? 四年生くーん?」

 某人気男性アイドルグループ風の可愛らしい見た目な男とその取り巻きたちが、開けた花園トイレの扉の向こう、オエオエ嘔吐えずきながら便器をガシガシ擦っている顔色の悪い男を煽り立てた。

「いつまで経っても指名の一本もないからだろ」

「高いお酒のタダ飲みはおいちかったでちゅかあ~?」

「今日こそ十六夜いざよいさんの足引っ張んなよ」

「期待してるよ、四年生くん! 花園は客の使う場所だからな、お前が汚すなよ涼」


 きらきらしい集団がそこを離れてすぐに、涼は擦っていた便器を抱えてげえげえやった。

 彼らの纏うブランド香水と化粧品の匂いがブレンドされて、二日酔いから醒めない涼にダイレクトアタックをかましてきた。

「あーあ……いっそここでこのまま死んで異世界転生してチート無双のハーレム築けたらなあ……」

 などと便器を抱きしめ世迷い事を呟いていたら、シャツのポケットの名刺入れがバサリと落ちて名刺が床と便器内に散らばった。

 ――ほすとくらぶ四十九院つるしいん

 人気漫画から火の付いた筆文字フォントで書かれたこれが彼の名前だ。年齢は二十二歳。ホスト歴は四年。全く売れてない。


 地元ではほんのちょっと素行不良で仲間たちとウェイウェイ言って遊んでたら調子に乗って、地方都市の繁華街で名を挙げるんだ! 俺はホスト王になる! とか言った結果が、売れない歴四年の毎回最下位ダメホスト涼だった。


 地方都市でも田舎なのでクビにはされないが、顔はにっこり目は笑ってない代表から

「そろそろ源氏名だけはご立派なホストやめて系列店の黒服かスカウトか、それともお金持ちのお姉さま相手に待機してみる?」

 という職替え、実質ホストクビ通告を受けている。本人も向いてないのは薄々どころか極厚で気付いていたので、前向きに考えますと返事をすれば

「涼は愛嬌あるからポイとは捨てられないんだよね。可愛がってるからこそ俺が四年も面倒みてきたんだし。十六夜もなんだかんだで目を掛けてたんだぞ」

 あー、だから今やられてることには目を瞑れってことっすね、と涼は苦い想いを隠してハハッ分かってますと明るく答えた。


 十六夜はこの店のナンバーワンで涼より二つ歳下。歴は一年、去年入ってあっという間に一大十六夜帝国を築き上げ、地方都市ローカルのナイトタウン誌のみならず大都会のホスト紹介誌、ホスト取材と飲みで人気の有名動画配信者の動画に出るなど活躍目覚ましい。

 彼の指導担当だったのが嘘のように派閥の下っ端になり、飲み要員として毎日毎晩飲みまくるだけの日々。

 天性の才能を見せつけられ、理想と現実の差でやられ嫌になって、とうとう今日は異世界転生人生リセットするだドン! (できないドン……)を夢見るようになるなんて、と涼は自嘲した。そして緑に変色した胃液すらもう吐こうとしても出ないのに、吐き気だけはあるこの辛さをこらえなんとか個室を出ると、水を流した洗面ボウルに顔を突っ込んだ。

 そして顔を上げた涼は、そのまま固まった。


「――は?」

 トイレの扉の向こうは見慣れた廊下ではなく、優しく光る白い世界だった。


 

  * * * * *


 

「――それで、お前はこの世界ではない場所から来たのだとそう言うのだな?」

 涼は現在お城で! 王さまの前で! 縛られて! 転がされていた! ああ涼よ、なにごとだなさけないふがいない。


「ふぁい!」

 猿轡までご丁寧に咬まされていたが、涼は元気にお返事ができる良い子である。伊達に四年も歳下たちのもとでえっぐい下働きをしてきたわけではない。

「……口のものを外してやれ。話ができん」

 この国の王様は非常にマッチョだ。ガチムチ系の。ぐるぐる巻きに縛られて王様に会うと言われたからてっきりRPGロープレに出てくるような優しげな王様か神経質そうな細い王様かと思ったら、強そう(物理)な人が王様らしいド派手な服装な上にパッツパツな格好でやって来たため涼は驚いていた。ボタンを弾き飛ばす選手権優勝は王様だなあ、と彼の脳は混乱しきりであった。


* * * * *


 涼がトイレからふらふらと白い光の中に誘われ歩んでいくと、突然光が消えた。何が起きたか分からず目を何度か瞬かせると、見える風景がハッキリする。

 町のようだった。レンガや石でできた町並みと、道。

 ――ここは広場? 自分よりガタイのいい人々。服装はRPGロープレによくある布の服的なアレ、髪は皆さんほぼ金髪で、ここは外国かな? ああ、これは夢か夢なのかとボケた頭で思った。肩を叩かれ振り向くと、ガタイの良い強そう(物理)な女に話しかけられた。

「あんたそんな姿形ナリしてるケド大丈夫? ヒョロガリすぎない?」

「えっ? に、日本語!? ……アッ、えっ、貴族ではナイデス! えっと……異世界からキマシタ?」

 途中途中カタコトになったのは許してほしいと涼は願った。まさか言葉が通じるとは、さすが夢。そして普通の女性から優しく(?)話しかけられたのも久しぶりだからだ。大抵病んでたり拗らせてたり傍若無人だったり、とにかく涼のことは視界に入らない女性しか長いこと見ていない。


 そんな涼の様子を訝しげに見た女は、誰かを手招きして呼んだ。涼もその方向を見れば、鎖帷子くさりかたびら的な防具と鉄仮面みたいなマスクをした集団で、彼はそれとそれを召喚中の女とを交互に見た。

 そしてその集団にぐるぐる巻きに縛られて担がれ、城に行く道すがら『異世界から来ました四十九院涼、二十二歳独身、仕事はホストとトイレ掃除、趣味はウェイウェイです』と自己紹介させられた。猿轡は城に着いたら咬まされた。彼らの扱いは雑いが痛くはなかったので鎖帷子の半分は優しさで出来ているのかもしれない。


* * * * *


「――と言うわけで。あーヤバい感じですかね? 異世界人は受け入れられない的な」

「いや、ヤバくはない、ないがそこの宰相の娘がなあ……」

 王様が顔色を悪くして軽く顎で振ったほうを見ると、冷たい顔つきのガッチリ系マッチョがいた。無表情だが、多分怒ってると分かる。うちの代表と同じタイプだこれ、感情出さないタイプで本当は結構短気ですぐクビに(物理)したりするほうじゃない? と涼は思った。そんな涼をよそに王様は続ける。

「宰相の娘がちょっと前に従者と駆け落ちしてな、『異世界転移します、探さないで下さい』という手紙を残して。うちの息子の結婚相手にどうかと話を持っていくところだったから……」

 王様がしょんぼりする。宰相は無表情。


「うちの息子がね、あんまり国の女の子はタイプじゃないみたいでね。宰相の娘は珍しく筋肉のない線の細い子だったんだよねー」

 急に親友か親戚みたいな話ぶりで距離の近さを見せる王様に内心たじろぎながらも、涼は話を聞いてあげた。優しい子なので。

「てなわけでさあ、お前うちの息子の話し相手になってくれたら王様的に嬉しいんだよね。あと宰相の娘の心当たりあったら宜しく、じゃあね」

 王様が笑顔でチャオポーズをするのを見て固まる涼をそのまま衛兵が抱えて退室した。


 

  * * * * *


 

「ということは、君は女衒かリョー」

「ぜげん」

「女性を言葉巧みに拐かし、金銭が支払えないとなれば娼館に売ったりするのだろう? それを女衒と言うのではないか」

「ぜげん」

 目の前には十六夜もひれ伏す本物金髪、本物イケメン細マッチョ王子様がトンデモナイことを口にしていた。涼は女衒という言葉を初めて知った。スカウトに近いのかな? と知識を無駄に得て脳内検索かけた瞬間である。

「ならばリョーは女性経験が豊富か」

「え? は――は!?」

「女衒は売る女性に手練手管を教え込むのだと聞く。しかもリョーは私より四つも歳上。かなりのテクニシャンだろう」

 この王子様はおキレイな顔で何を言い出すんだ。ははんわかった、こいつムッツリだ。そうだ、きっとムッツリチェリーだ。俺は童貞ではないが経験人数は片手で足りる。内数人は玄人さんだがな。

「閨作法は一通り習ったが、実践はまだだ。初夜にお互いハジメテ同士というのが刺さるというか、良くて。宰相の娘を娶ったらと思っていたのだが、彼女は想う人と逃避行したのでな」

 くっそ、チェリーじゃなかったよこいつ! と涼は思ったが、さすが王様の息子。よく似たしょんぼりぶりに同情する。

「初戀――だったんだ」

 なんか突然ムッツリが純情ぶったぞ。しかも恋が国語の教科書で取り上げられそうな古いアレみを感じる……と涼は心で思った。


 王子様にとって幼少時から知っている宰相の娘は好みど真ん中どストライクで、王様が言った通りいずれは結婚をと婚約を申し込もうとしていた矢先に駆け落ちからの失踪。二人を引き離しはしないから、せめて親に承諾もらおうぜと説得するため探したが、この国から出た形跡がない。心中も考えたが、娘の性格上絶対にそれはないと宰相夫妻が言い切った。誘拐等も考えられたが、彼女は線が細い。この国はムッキムキ、マッチョが美の基準なので、まずその線の誘拐はない。働き者にも見えないので奴隷誘拐もない。


 従者と二人きっと飢えた子供のように見えるからむしろ目立つはずだと。ちなみに涼もそっち系のため広場で目立った。変な服装をしている上に細い。顔色も悪い、背も低く子供に見えた、見たことないピンクの髪色をしていることで傭兵が呼ばれたのだ。

 それはともかく、どうも二人の痕跡が無さすぎるゆえにマジで異世界とやらに行ったんじゃね? 的なやり取りがなされて、傷心の王子をほっといて異世界への扉を探す部隊でも作る? という動きになってたところに涼が出現したというわけだ。宰相は異世界なんてないもん派だったので、涼に対して無表情だがイラついていたらしい。理不尽。


「それでだ、リョー。君の国では、その女性は皆君のような感じだろうか」

「は?」

 自分のような女とはどんな女性だろうか。TS的なアレや見た目の性別変えるアプリで遊んだ結果を考えたが、ピンと来ない。まさか男の娘か男装女子をご所望だろうか? 初恋破れてトチ狂ったかこの王子。

「あ、いや。その、筋肉重視ではないというか。片手で林檎を握り潰すのがお洒落だとか……そのそういうのではない感じだろうか」


 もじもじ照れながら話す王子様はうっかり同性なのに「さっきは変なこと想像してごめんね? カワイイ」と言ってしまいそうになるくらいあざとかった。それにしても、この国の美やお洒落の基準て筋肉と強さなの? 筋肉と強さは比例しないと聞いたことあるけど? まさかナイスバルクとかキレてるが褒め言葉じゃないよね? と涼は悩んだ。一瞬だけ。

「あーそーいう感じすか? まあそういうマッチョ系美女もいますが普通が多いすよ。スレンダー系かぽっちゃり系とかもう好みの問題ですし、美の基準て人それぞれなんでみんなコレが美人! てわけじゃなくて適当にそれぞれ好きなとこ目指してる感じすね」

「そ、そうか! いいなそれは……。あ、いやこの国の女性が悪いわけではないのだ。この国では貴族は民を守るため、民は暮らしを守るため戦うんだ。だから強さは男女問わず美の基準とされている」

「なるほどっすね」


「異世界行けたらいいなあ。ハーレムとか築けたら最高だろうなあ」

「その気になれば今でもハーレム作れますよね」

「まあでもそのためには決闘に勝ってからとか、私より弱い男はいらないとか言われることも多いし……」

「そーなんすね。しかし王子様もハーレム願望夢見がち青少年とは驚きです。初恋相手に拗らせてるのかと思ってました」

「でもほら彼女は駆け落ちするくらい想う人がいるわけだしね。ハーレムは夢だよ、でも彼女は現実というか。現実の理想というか」

「哲学っすね」

「うん、多分違うと思う」

 こうして涼は運良く王子の話し相手としてやっていくことになった。キャンプは好きだけど、ガチのサバイバルは絶対無理な彼にとって城での生活はとてもありがたい。


 ちなみに宰相の力には何もなれなかった。娘さんの心当たりは全くなく、異世界が涼の国ではない可能性もあるし、涼の国だとしてもわからないことを伝えたら宰相に睨まれる、理不尽。


  * * * * *


 

 涼が異世界転移して一ヶ月は経っただろうか。いわゆるカレンダーが彼の知っているものとは違うので、体感こんなもんという適当さであった。きちんとした性格ではないので、毎日日記を付けたり日付を数えたりはしなかった。

 城での生活もずいぶん慣れた。たまにお忍びの王子様と町に遊びに行くこともある。以前広場で出会った女性に偶然再会してお礼も言った。あの時傭兵を呼ばれなければ城に行くこともなく、こんな楽な暮らしはできていなかったと思ったからだ。

 女性は涼の背中をバンバン叩くと

「面倒見てくれる人と住むとこあって良かったね! あとはたくさん食べて大きくなりな!」

 と励ましてくれた。彼女は十六歳だった。涼は自分の年齢は決して言うまいと心に誓う。王子様はゲラゲラ笑っている。理不尽。


 傭兵の皆さんも元気そうでそれぞれ労ってくれたし、一応念のためにぐるぐる巻きにしたこととかを謝ったりしてくれた。


 あれ? みんな優しくね? 涼がそう改めて思った時、目から熱いものがポタリと落ちる。ホストで辛い時にすら出てこなかったものが今さら溢れたようで、止まらなくて咽び泣いた。

 王子は驚いて近くのベンチに涼を座らせると、肩を抱き頭を撫でて慰めてくれた。涼は日本人なので、男同士のこんな『海外だとあるあるだから変な目で見るなよスキンシップ』の取り方は初めてだったが、嫌な気分にはならなくて良かったなと思った。


 この日以降、涼を王子は「親友」と周りに称するようになる。涼もそれを否定せず、二人でお忍びで娼館に行ったり、ナンパして腹をぶん殴られたり(主に王子が。涼は子供に見られているので)、護衛も含めて朝まで飲んでみんなでげえげえ溝に吐いたりと、なんか若いっていいよね的な日々を過ごした。ここでは子供でも保護者がいれば娼館や酒など公認される。王子は涼の保護者にはからずもなっていた。

 王様は王子が元気になったので涼に感謝していて、そういう無茶も許容してくれている。


 だが、いつまでも遊んではいられないなと涼は突然覚醒した。それで、娼館までではなくとも日本にあったようないかがわしい店か、せめてホストクラブでもやってみようかと思い始める。その話を聞いた王子は彼の後押しをするべく、二人で色々話し合っていた。そんなある日のこと――


「リョー! 宰相の娘から手紙が届いたそうだ!」

 王子が慌てて城の涼に与えられた部屋に飛び込んできた。

「二人とも無事? 異世界にいるって?」

「うん、ニホンを目指して何か商売しようとしてるとこらしい。ニホンてリョーの故郷だよね?」

「……ああ。そうなのか、日本目指してるのか……」

「こうなると異世界への道はやはりあるということだな。それが見つかればリョーも帰ることができるぞ、国に」

 王子は真剣な顔で涼に言う。

「え、でも二人で店やろうぜって話してるのに? もし日本に帰っても俺は……」

「リョー、君が仕事場で辛い目にあってたことは聞いて知ってる。だけど家族がいるんだよね? 宰相を見て分かってるだろ? いくら元気にやっててもものすごく心配するんだよ。戻れるなら戻った方がいいのかもしれない」

「俺も手紙出すよ、家族に。この国は好きだし、せっかく皆と、王子とも仲良くなれたのに……」

 どうやって手紙出すんだよ!と王子は涼が残ると言って嬉しかったのか、少し照れながら笑う。

 そしてその手紙を最後に宰相の娘から連絡が来ることはなかった。


 

  * * * * *


 

 ――かれこれもうすぐ一年か。

 涼は城にある自室のベランダから夜空を見上げている。

一年とはいえやはり暦の感覚が違うため実際日本から離れてどのくらい経ったのかはわからない。けれども王子曰く涼が来てもうすぐ一年だと言っていたのでそうなんだろうと彼は納得した。


 ここでの暮らしは城で庇護されているため格段に良い。前に感じた『良い』よりも、人々の暮らしぶりを知ったためにより『良い』と分かる。彼らが貧しいわけではない。

 だが涼は『話し相手であり親友』というポジションのためにお客様対応が続いていて、汗水たらして働かずとも王子と町に降りて遊んでいても許される。それは不満ではなく、むしろ良くしてくれるこの国全てに対して申し訳なかった。


 なので何とか自分もできることをと、四年最下位ダメホストだったのに偉そうにホストクラブの代表をやろうと計画している。王子の権力と財力を頼りに。

 ――それもなんだかなあ、とベランダにもたれて涼はため息をついた。瞬間まばゆい光が視界を覆った。目をやられてしぱしぱ瞬きを繰り返し手で擦る。

 後ろから光った気がする、と涼が振り返って見ると、クローゼットのところから光が漏れて見えた。

「――え? マジかよ、このタイミングかよ……」


 涼はごくりと生唾を飲み込んだ。

 帰るか残るか、この選択肢を突然突きつけられた。行ったら行ったきりが物語では定番だし、なんだかんだ王子に言われても、本気で帰れるなんて思ってなかったために涼は混乱する。


(帰ってもし浦島だったらどうすればいい? 浦島じゃなくても家族がいる。実家に帰って親父に頼んでコネでも何でも使って地元で働こう、それがいい。だけど、は? 俺はここが好きだ。ここにも未練がある。絶対にここで生きて死ぬまでは思わないけれど、黙ってここから消えることはできないほどには未練がある)

 自分の中に故郷とこの国、両方に未練があることを自覚した涼は賭けに出ることにした。


「王子!」

 王子は夜中に息急き切って部屋に突入してきた涼に驚いた。今日はたまたま寝付けず、物思うことを日記にしたためていたところだ。

「どうした? リョー、今から城を抜け出すのか?」

「あ、まあ、そんなとこ……もし、あー、うん。もしさ」

 言い淀む涼を王子は滅多にないことだなと不思議な気持ちで見ていた。このおかしな様子に彼には思い当たる節が一つだけある。

「――扉が見つかったか? 戻る道が、見つかったのか」

 涼は頷いた。

「……そうか、戻るのだな。うん。――うん、元気で」

 どこか呆然とした様子で王子が言う。涼はその声を聞いて胸に何か詰まったような苦しい気持ちになった。

「……もし、もしもまだ道が残ってたら、王子、来ますか? 俺と日本異世界へ」

「――!!」

 涼は自分が発した言葉に自分で驚いた。一緒に来るかなんてとても無責任なことを。自分は王子と違って財力も権力もない。もしも日本に来ると言っても、王子にも家族がいる。王や王妃、家臣に民。皆彼を大事にしているし彼もそうだ。

 前に王子に言われた話は彼にも当てはまることだ。涼は言ってすぐ後悔した。――ところが

「仕方ないな、リョーは。私がいないと寂しいのだろう? 何せ私たちは親友だからな! 道が開いてるなら行こう! 一緒に」

 そう言って王子は呆気に取られた涼に言った。

「実は前にリョーに帰れと言った際にな、旅立ちの準備をしていたんだ! ふふふ! 仕事のデキる男だからな私は」

 王子は座っていた文机の大きな抽斗から一抱えの袋を取り出した。更にその上の抽斗を開けて、数通の封筒を文机の上に置く。

「さあ! どこだ道は? 消えない内に行くぞ!」


 涼は晴れやかな顔つきの王子に半ば引き摺られるようにして自室のクローゼットに向かい、白く優しい光の中へと二人は消えていった。


 

  * * * * *


 


 


 


「――いや、まさかこんなことになるとは?」

 涼はオートロック、セキュリティがっちがちのタワーマンションの最上階で夜景を眺めていた。

「地方都市でもタワマンって言うのな……」

 タワマンて都会だけかと思ったよ、と呟く涼はトイレ掃除の途中だったことを思い出し、掃除に戻る。



* * * * *


 涼と王子がクローゼットを抜けた先は、涼が借りている店のアパート寮のトイレだった。

「えっ、せまっ」

 王子が日本に来て初めての感想がこれだったのは仕方ない。狭いトイレの室内に二人みっちみちに詰まっていたのである。

 何とかトイレから抜け出て、部屋を見た時の王子の第一声は

「わっ、せまっ」

 これも致し方ない。四畳半の狭い部屋ではあるものの、荷物などは処分されていなかったので涼はホッとした。あちらとこちらでどのくらいの期間差があるのか分からなかったのでテーブルの上で充電されっぱのスマホを見た。


「――えっ!?」

 日付を確認すると、涼が異世界に旅立った日のに巻き戻っている。時間はまだ昼。ということは、これから夜にかけて地獄ののんでのんでタイムの始まりである。涼は思い出して吐きそうになった。

 大人しく部屋を興味深げに眺めていた王子が心配そうに涼の背中を擦る。

「大丈夫か? 吐くか?」

「だ、大丈夫。これから仕事だと思うとちょっと……」

 ふむ、と王子は小首を傾げた。

「実は女衒の仕事について黙って聞いていたが、リョーには向いてない気がするんだ。もう辞めたらどうだろう?」

「……やっぱり? 俺もそう思ってた。実家に帰ってどっかに就職するよ。幸いなことにさ、店に借金とか、売掛けある客も俺にはないから。王子のことは俺がなんとか養うし、そりゃあ向こうにいた時みたいな贅沢はさせてやれないけど、家に置いてもらえるよう親に頭下げるよ。せっかくだから異世界生活満喫してほしいし慣れるまではあんま目立たないほうがいいと思うし」

 言い募りながら、涼はあれ? これ結婚の口説き文句みたいじゃね? とふと思ったが、ないないと頭を振って押しやった。


「ふむ、リョーが言うならそのようにしよう。ただ、こちらでも価値があるのか分からんが宝石だのの類いと小遣いを王から頂いたのでそれを使っても良いのでは」

「こづかい」

「金貨をな、少し。異世界とあちらとの物価の差がわからんからな。王が悩んでた。金貨より塊でやったほうがいいのではないかと言っていたが大きいとかさばるし重いし」

「かたまり」

「私には兄弟姉妹もいるし、跡取りは悩むほどいるからその辺も心配無用だ。ちなみに、リョーと共に異世界に行こうと思うと宣言した時に、王と王妃両親に言われたのは『冒険できるなんて羨ましい! 異世界行けるのいいなあ』だ。万が一扉や道が見つかれば即リョーについて行って構わないとの言質は取ってある」

「えっ、用意良すぎない? もし俺が王子に黙ってこっちに戻ってたら王子めちゃくちゃ恥ずかしいよね」

 王子はあははと声を出して笑った。

「その時はその時だ。異世界への扉を探す部隊に入隊してたかもしれない」


 そうして涼はほすとくらぶの代表に退職の意向を伝えにやってきた。なぜか王子も一緒に。

「涼は真面目だねー。いつ飛ぶのかなーと思ってたよ。とりあえず辞めるのは分かったよ。給料はごめんだけど寮費とルームクリーニング代、スーツレンタルとクリーニング代で相殺させてもらうからね。文句ないよね?」

「あっ、ハイ」

 仕方ない、これは仕方ない。そもそも基本給がひっくいので、本指名も場内指名も付かない涼は上乗せされる分がない。給料なんて毎月出てないも同じだ――こっそり送られてくる母親からの仕送りで食いつないでいた――。そこをクリーニング代肩代わりしてやっからなという代表の優しさだ多分。騙されてないはずだ多分。

「――で、その人どうしたの? 知り合い? 外人さんみたいだけど日本育ちかな?」

 渡された退職に関する、辞めるから給料いりませんよ書類に名前を書いていると代表から王子について聞かれた。

「彼はその――」

「私はリョーの親友です。女衒に興味があってついてきました」

「へえ! 難しい言葉知ってんね、君。イントネーションがっつり日本人じゃん。ホスト興味あるならやってみる? 君キレイだからすぐ十六夜抜いて一位なれそうだよねー」

 代表の言葉に涼が目を白黒させていると、王子が耳元でこっそり囁いてきた。

「リョー、ここはハーレムの夢叶う所だと前に言ってましたよね? 私はここで働きたいと思います」

 そう言って笑った王子の目が全く笑っていなくて涼は震えた。


 


  * * * * *


 

 そうしてハーレム(?)目当てに働き始めた王子は、源氏名を「綺羅々 王子きらら おうじ」というふざけたものにし、一ヶ月は王子とそのおまけの涼はアパート寮に引き続きお世話になって、その後は王子の小遣いを少しずつ現金化したものと彼の稼ぎで寮から出た。

 退職するはずの涼は王子に頼まれ代表に説得され、彼の指導担当としてしばらく籍を置くことになった。


 そして王子はやはりの大人気、元々王子様だからか客――表向き姫と呼ぶ――に大人気だった。

 十六夜はあっという間に抜かれた。最初は王子の見目麗しさにビビった十六夜だったが所詮新人と王子を侮ったのが悪かったのか、生まれながらの王子オーラにやられたのか。しかしそれでも腐らず次点キープを続けている辺りはさすが天性のホストだと涼は感心していた。


 王子は絶大な人気を誇り、トップに君臨した。枕も色恋もナシで。

 王子目当てに全国から姫がやってくる。望んだハーレムができて良かったなあ、ムッツリ。と王子をからかうと、彼はまたもや器用な笑わない笑みという寒気を催す表情を浮かべ

「いや? 代表にムカついたのと十六夜にムカついてたから目にもの見せてやりたかっただけだよ」

 と宣った。しかしその後にそれはそれは艶やかで色気のあるお顔で

「あいつらリョーに対して態度よくないんだよね」

 と言及したことには聞こえなかったフリをした四十九院涼である。


 そんなこんなで王子は二年勤めあげ稼げるだけ稼ぐとすっぱり店を辞めた。もちろん引き止められたし引き抜きの話もしょっちゅうあった――王子が店を辞めた今でも涼に連絡がある――が王子は首を縦に振らなかった。気付けばあれよあれよとタワマンの住人。どこで覚えてきたのか王子は不労所得を得ていて、戸籍のない彼のために名前を貸したら財産が全て涼の名義になっていた。税金もきちんと王子が税理士を雇って支払っている。

 申し訳ないことこの上ない。それを王子に言えば、にっこり笑って涼を抱きしめ囁く。

「私がリョーにしてあげたいだけだから」

 涼は不穏なものを感じるが薮蛇になりそうなので突っ込まない。


 こうして涼はハウスキーパーくらい雇うよの誘惑に負けず、トイレ掃除に始まる家事をせめてもしようと精をだすこととなる。

 ムッツリ純粋王子は今や溺愛腹黒デキる男へと見事な変貌を遂げているが、涼の前では屈託ない様子で過ごしているので彼は安心している。

 たまに向こうに帰りたい気持ちにならないか聞けば、

「リョーも向こうで一生暮らせるほどの気持ちになれば戻ってもいいかな? くらいだよ。リョーがいない世界は意味がないんだよ」

 と嘯く。

「この国では初恋は実らないと言うんだよね、なら次の恋は実るだろうし、時間はあるんだから実らせたいよね」

 そう言って悪い顔で微笑む王子にいつか涼は絆される気がしている。王子を嫌だと思えない自分の気持ちの根源にあるものを分かっていない彼がいつ王子の元に落ちるか落ちないかは神のみぞ知る、である。





 ――そして王子が働き始めた頃、十六夜が実は好きな子はいじめたいタイプで、それに気付いた王子がそこで初めて自分の本心にも気付いて十六夜を牽制していたことを知ったり――


 ――涼のトイレ掃除のハウツーを動画配信したらじわじわと人気が出てお掃除動画なのかセレブ生活動画なのか迷走しだすもとにかくコメ欄が「家スッゴいですね」で埋まっていたり――


 ――涼の地元の夏祭りで牛串屋を営む夫婦の奥さんのほうが王子の懐かしの人で旦那さんにイライラされたり、奥さんからビーのエルだわ! と感動されたり、ピンク頭はヒロインって決まってるのよと言われて納得したり(するな)――


 ――二人のタワマンの部屋で当たり前のように寛いでいる王と王妃に涼と王子が翻弄されたり――


 ――諦めない十六夜がいつの間にかタワマンのご近所さんとして住み着いてたり――


 ふたりの楽しい異世界生活はまだまだ続くのだった。

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