第4話 自覚

 家に帰ってからは上の空だった。


 何度も母親に「大丈夫?」と心配された。滉平からも何度も電話が鳴った。出る気にならなくて、クラスのチャットグループの通知が鳴っているのも無視をした。

 どうでもいい会話が繰り広げられているだけだろう。


「葵ー! 滉ちゃん来たわよ!」

「滉、平……?」


 母親に通されて凄い形相の滉平が部屋までやって来た。はぁはぁと息を切らしていて、秋だと言うのに汗だくだった。


「どう……したの?」

「どうしたのって……おまえ、苦しいって言って電話が切れたから……俺心配で」

「ごめん……」

「……いや、俺が早とちりしたみたいだな。……よかった……」


 ――!!


 滉平が、僕をふわっと包み込んだ。大きな胸板が、すぐそばにあって暖かい。まだ暖房をつけるには早い部屋が、温もりに包まれた。まるで夏の日のような、太陽の香りがする。


 僕は自然と滉平の背中に手を回し、ぎゅっと抱き締めた。


「葵ー……心配した、ほんとに」

「ごめん、滉平」


 滉平が僕から離れると、それで、と事情を聞いてきた。 

 何から話せばいいのか、でも、滉平ならこの感情や動悸の理由もわかるかもしれない、と話してみることにした。


 一階から母親がご飯の合図をする。滉平が代わりに返事をしてから、また姿勢を正す。


「なんだか、おかしくて」

「おかしい……?」

「胸の辺が……もやもや? っていうか、くすぐったい」


 滉平が何かハッとしたように息を飲む。何かまずいことを言っただろうか、と首をかしげていると、乱暴に髪を撫でられた。


「葵にも春が来たかー! おま、それ、恋ってやつだよ」

「えっ……僕が、恋?」


 これが。恋?

 恋はこんなに甘い気持ちになって、まるでさくらんぼのように赤くて、酸っぱくて。パフェのてっぺんのさくらんぼは食べるまでドキドキする。そんな、気持ち。


「相手は誰だよ」

「相手……うんと、今朝初めて会ったんだけど」

「しかも一目惚れ! おいおいー、どんな子?」


 あまりに滉平がグイグイ来るものだから、相手が男性だなんて言えなくなってしまった。

 そもそも、これが恋だと今把握したわけだし、一番混乱しているのは僕だ。自分がゲイだったなんて、驚きとか、そんなレベルではない。


「駅で会う……男の人」

「おと、……こ?」

「ごめん、滉平。引いたよね」

「いや? 大親友の好きな相手が誰だろうと、幸せになって欲しいと思うよ」


 滉平はどこまでも優しい。かっこいいな、本当に。


「ねぇ、滉平」

「ん?」

「どうしたら、いい? 滉平も、こんな気持ちになったこと、ある?」

「……好きな人はいる。ずっと好きな子が。でも、俺も恋愛に対しては経験がないから、わかんねーなぁ」


 滉平はごめんな、と僕の頭にぽんと手のひらを乗せる。

 滉平も、好きな子いるんだ。


 ――初めて、聞いたな。


 なんだか、打ち明けてくれなかったのが、少しだけショックだった。隠していたのか、言いたくなかったのか。僕とは違って、恋心だと自覚しているようだし、僕が頼りないから。


「ごめんね、滉平」

「え? なんで?」

「僕じゃ力になれないかもしれないけど、手伝えることがあったら言ってよ」

「……おう」


 滉平は、滉平の分まで用意された夕飯をペロッと平らげて早々に帰っていった。母親が、「滉ちゃん、久しぶりにあったけど……なんだか変わっちゃったわね」なんて言うものだから、僕から遠い存在になってしまった気がして、尽きない悩みに肩を落とした。

 お風呂に入っていても、滉平のこと、尚嗣さんのことで頭がいっぱいだった。


 ――これ、恋なんだ。


 お風呂に浮かべたタオルでクラゲを作る。それから、お湯の中に入れてしぼませて、泡で遊ぶ。気持ちがまるで若くなったかのような錯覚に陥り、何をしていても楽しい。


 明日、少し髪をセットして学校に行こう。そんな気にもなった。


「父さん、ワックスある?」

「ワックス……? 父さんのは固い髪質向けのやつだぞ。お前は猫っ毛だから……」

「……そっかぁ」


 新聞を読んでいた父親が豆鉄砲をくらった鳩のような表情で僕を見てくる。

 きっと、今まで身だしなみにも無頓着だった僕がいきなりそんなことを言うものだから驚いたのだろう。僕はなんだかその場にいるのが恥ずかしくて、すぐに自室に戻った。

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君のしあわせを願い続ける 桃枝このは(ももえこのは) @punyu-m27

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