The Best Comedian
常陸乃ひかる
Have no voice
動きで人々を魅了するサイレント・コメディ。
技術が進歩した現代では、目にすることが少なくなりました。が、イギリスのチャールズ・チャップリンや、アメリカのバスター・キートンなどは今でも映像として生き続け、現代ではロンドンオリンピックでのローワン・アトキンソンが記憶に新しいことでしょう。
そしてこの国にも、わっちが知る限り、ひとりの女性を笑わせたい――そういう強い意志を持ったコメディアンが居ました。ですが彼はただの一般人でした。
本当にただの――
彼女はいつも笑ってくれる。
彼女は声もなく笑ってくれる。
だから彼も、声を出さずに彼女を笑わせる。
彼女は、本当に笑ってくれているのだろうか?
彼女は声のない裏側で、いったいなにを考えているのだろうか?
自分の不安を彼方へ押し流すために、彼女を笑わせようとした。
病院の個室。
丸椅子でうたた寝をしていた
目前の女性――腹巻の恋人は、半年前に家族を三人も失い、同時に声も失った。前者の原因は交通事故、後者の原因は過度のストレスである。
赤信号で突っこんできたミニバンを避けられる人なんて、銀幕のスーパーヒーローくらいなものだ。あの時、どこにでもある交差点は地獄絵図になり、彼女たちが乗ったハッチバックの車内は殺人現場に変わった。
運転者の若い男は人生を棒に振り、同じく生きながらにして人生に昏迷するかのように、しゃがれた声すら出なくなった彼女は、
友達だと思っていた連中は、みんな腹巻たちから離れていった。
『面倒は御免』
という無言のアンサーである。人間として、とても理にかなっている選択だ。
けれど――
「こんちはー。腹巻さん、ミヤコさん」
軽い挨拶と同時に二回のノック。腹巻が「どうぞ」と声をかけると、ドアをスライドさせながら、小柄な男が手を振ってきた。
「よう、みのしー。休日なのにありがとな」
入室してきたのは学生時代の友人、
どこぞの上場企業に入社した聡明な彼は、零細企業に勤める腹巻とはまるで違う生き方をしている。というのに、こうしてたまに見舞いに来てくれる義理堅い奴だ。
美濃和が開けたドアの隙間から漂ってくる昼の香り。そうして調理補助のアルバイターが入室してきて、本日の昼食を配膳してくれた。
「――じゃ、ミヤコ。オレたちも昼食行ってくるわ」
腹巻も空腹を覚え、美濃和を連れて外出の旨を伝えた。
混み合うレストラン、その片隅。
「容体はどうです?」
「骨折はもう大丈夫。杖をついて歩けるくらいになったよ」
「歩くリハビリはなんとかなるとして、声のほうが心配ですね」
「あぁ……あのさ、今日はみのしーに観てほしいものがあるんだ」
腹巻は本日、ただランチをしたいがために美濃和を呼んだのではなかった。本懐のように端末を手に取ると、あるファイルを開いて画面を見せた。
ファイルは
美濃和は感心八割、笑い二割くらいで画面を食い入るように見つめている。一分ほどの動画が終わると、「良い出来ですね」と簡潔な一言。基本、彼は忖度ができないので、その言葉自体がストレートな感想なのだ。
「どこかに投稿を?」
「いや、大衆に観てほしいわけじゃなくて、アイツに少しでも笑ってほしくて。考えた結果、オレも声を出さずにコメディ風の動画を撮ろうと思ったんだ。もう何本か観てもらった」
「そ、そうですか。ちゃんと……想いが伝わっていれば良いんですが」
恋人はいつも口元に笑みを見せつつ、『ありがとう』を伝えてくれた。けれど、目の奥にこそ本来の表情があるような気がしていた。
「それでさ、今度はミヤコと訪れた場所や、通い慣れた風景で撮影したいんだ」
「なるほど……。まあ、そういうことならわっちも協力しましょう」
その言葉を待っていた腹巻は、美濃和に甘えていたのかもしれない。だからこそ、彼の意志に恥じぬよう真剣に臨もうと思った。
映像は、腹巻が片手サイズの小包を大事そうに持ったところから始まる。
すると謎の追っ手が現れたあと、被写体を腹巻のみにして、パルクールさながらに、あちこちを大袈裟に駆け回る。
高いところから落ちる演出をしたり、鉢合わせした野良猫に驚く演技をしたりと、中学校の通学路、高校の時に通った喫茶店、大学時代に歩いた並木道――
映像は中盤で美濃和が登場し、彼が謎の追っ手を引き離してくれたお陰で、無事に目的地の病室へ到着。そこで腹巻が、大事そうに握っていた小包を、
そんな三分にも満たない映像を何日もかけて撮影し、一本の動画にした。手前味噌ではあるが、素人にしてはまずまずといった出来である。
「わっち、わかっちゃいました。動画と同じ
「そうそう!」
「そこには大量の髪の毛が」
「そうそ――っ、ジャパニーズホラー!」
腹巻の狙いは、動画と現実を同期させ、床頭台に忍ばせた小包を開けると、木製の小粋なスクエアが姿を現すといった具合である。
「この動画、いつ観てもらうんです?」
「ミヤコ来週には退院できるから、その日に観てもらおうと思って」
退院と同時に、これからも一緒に生きてほしいという強い意志、確固たる覚悟とともに、彼女へプロポーズする作戦だ。
当然、スクエアケースの中身は婚約指輪である。
「そうですか。のちほど結果をお聞かせくださいね」
退院当日。
支度が始まる前に、腹巻は例の動画を観てもらった。すると恋人の目が床頭台の上部に向いた。杖をついて、よろよろと立ち上がり扉を開け、小包の中を確認すると、たちまち恋人は震え始めた。
その表情は笑顔ではなく、泣き顔でもなく――
「ど、どうしたミヤコ……?」
歯を食いしばり、眉間にシワを寄せ、うつむきながらわかりやすい怒りを露にする様は、まるで鬼の形相だった。
「っ、ん、あっ……う……!」
「お、声が出せそうなのか?」
様子がおかしかったが、彼女が数ヶ月ぶりの発声を試みているのだ。腹巻は興奮していた。ついに、ふたたび会話できる日が来るのだと。
「あああぁぁぁ――!」
が、放たれたのは濁音交じりの母音。それでもって、金属がこすり合わさるような人工的な
つきまとわないで
ひとりになりたい
胸の内を殴り書きしていった。
「ど、どういう……ことだよ」
素朴な疑問に対しての答えは、発声ではなく、ボールペンを荒々しく投げつけ、病室から出てゆくという乱暴な振舞いだった。残された婚約指輪、そして鳥肌と融合する余韻。
彼女を追う勇気がないまま腹巻は自宅に帰り、じっくり思い返した。
そういえば声が出なくなって以降、彼女の意見を聞いてあげようとはしなかった。筆談や手話という考えにさえ及ばず、腹巻はひとりで張りきり、支えたい欲求を押しつけ、彼女を追いつめていった。笑ってほしい――そんな自分本位な行動は、一方的な過失だったのだ。
彼女は、感情の相違は平行線を辿ると知っていて反論をしなかったのか、あるいはそれが億劫で、退院の日までじっと耐えていたのか。
どういう理由にせよ、独善に支配された腹巻は、もう恋人でもなんでもなかったのかもしれない。ただの一般人が毎日のようにやってきて、意味不明な動画を見せつけ、世話をして帰ってゆく――あちらの視点で考えると、ぞっとする。
挙句、ようやく自由になれると思った日に婚約指輪を差し出してくるのだから、もうむかっ腹が治まらなかったのだろう。
推察よりも、美濃和に聞いたほうが早そうだ。
けれど腹巻はもう声なんて出せず、ただ発言権がないのだと思い知らされた。
了
The Best Comedian 常陸乃ひかる @consan123
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