第18話 想いスクランブル
そして次の日。この日も俺は早起きをして学校に行く支度を整えていた。本来誰もがまだ眠気と格闘する時間であるはずだが、俺はカフェで働き始めてからこの生活習慣が染みついていたせいで当たり前になった。それ以前に病院で規則正しい生活を送っていたことが原因かもしれないが。
どちらにしろ健康的な生活を送れているのはありがたい。俺はパンをトースターに入れて焼いている間に昨日の復習をする。そこまで進んだ内容をやってはいなかったがそれでも念のためだ。だがそれもすぐに終わってしまったので今日の分の予習にも時間を当てる。
「っと、危ない危ない」
つい教科書と睨めっこをしすぎていたせいでトーストを焦がしてしまいそうになる俺。だが間一髪のところで救出しきつね色になったパンの表面にバターを塗る。ちなみにこのバターはカフェで実際に使われている小分けのもので、文乃さんの粋な計らいで従業員は自由に私生活で使うことができるのだ。他にもコーヒーや紅茶など、自分で挽いたりして持っていくのもアリらしい。なんとも太っ腹だ。
「しかも、めちゃくちゃ美味しいんだよなぁ」
水を飲むような感覚で使っているこのバターだが、仕入れ値はそこそこするはずだ。本来こんな風に自由に使っていい代物じゃない。だから俺は食事でカフェのものを使うたびに文乃さんに感謝の念を送ることにしていた。
「えっと、今のうちにスマホで……んんっ!?」
ついでにスマホで今日の予定を確認しようとした俺だが、スマホの画面を見てフリーズし変な声を上げてしまう。なぜならそこにはおびただしい数の通知を示す表示。間違いなくクラスの人たちからの連絡だろう。その通知数、176件。中には関係なさそうなスタンプも連続で送信されているようだ。
昨日はカフェで働いてからスマホを確認するのを忘れて眠ってしまったのでどうやらこの時間までこの連絡を見逃してしまっていたようだ。常時マナーモードにしていたので全く気が付かなかった。
「みんな心配してくれてるのはありがたいけど、びっくりするなぁもう」
朝から申し訳ない気分になるとともにスマホが壊れてないか心配になる俺。とりあえず今のところは大丈夫そうなので上の方から順にチャットを返していく。まだ登校時間まで余裕があるので割と返信できそうだ。
「えっと、『昨日は心配かけてすみません。今日からまたよろしくお願いします』……っと。ちょっと固いかな?」
この文をコピーして片っ端から返信していった。示し合わされたらコピペだというのがバレてしまうが、そこはご愛嬌ということで勘弁願いたい。
「……なんだろうこれ?」
送られてきたチャットをほとんど返し終え、後一人というところで俺の指が止まる。その文面が今までとは毛色の違うものだったからだ。
『ちょっとお話がしたいから、電話しよ?』
しかも送信日時が今日の朝。ちょうど俺が起きた時間と同じくらいだ。どうやらこのメッセージの送り主も健康的な生活をしているらしい。
メッセージの送り主は……シロネコ?
こういうSNSの悪いところは、本名が分からなかったりするところなんだろうか。だが俺のアカウントが分かっている人ということは俺のクラスの人ということに違いないんだと思う。なにせそれくらいしか俺のアカウントを知っている人はいないのだから。
「電話って言われても、番号がわかんな……あ、これか」
メッセージで番号を聞き返してみようと思ってみたが、アプリの上の方に電話のようなマークがあることに気づく。どうやらこれで電話みたいに話すことができるようだ。
俺はさっそく電話をして話を聞いてみようとする。しかしその時ちょうど俺の部屋の扉がノックされた。
「舞宵、起きてるか?」
「あっ、はい、起きてます!」
「そうか。アタシ下で待ってるから、すぐに降りて来いよ」
「わかりました」
瑞希さんに声を掛けられて時計を見ると、すでにメッセージを返し始めてから一時間以上が経過していた。どうやら思ったよりすべての返信に時間がかかっていたらしい。
俺は慌てて使用した皿をシンクに入れて制服に身を通す。そのまま教科書を鞄に突っ込んで急いで一階へと降りた。
結局俺はこの日の朝、通話を返すことを忘れてしまうのだった。
瑞希さんはカウンター席のところでスマホを弄りながら俺のことを待っていてくれた。それと昨日はいてくれた文乃さんの姿が今日は見当たらない。まだ寝ているのだろうか?
「すいません、お待たせしました!」
「いや、たいして待ってねーからいいけど。てゆーか、そのすぐ謝る癖直せ」
「そ、そうですよね。ごめんな……」
「イタチごっこかよ」
そう言って漫才のようなやり取りをしてはにかむ俺たち。瑞希さんとの距離感も最初の頃に比べていい感じになってきたなとつくづく思う。願わくばこういう関係性を続けていきたい。
「そういえば、文乃さんは?」
「まだ寝てるよ。というか、あの人はもともと夜型だ。朝は期待すんなよ。それと……ほれ」
瑞希さんは俺に銀色に輝く物体を投げてくる。俺は慌ててキャッチしその物体を確認する。これは……鍵?
「一階の鍵だ。朝アタシたちが出た後に鍵を閉めないと泥棒入り放題だろ? だからテンチョがアタシと舞宵用に作ってもらったんだとさ。朝カフェ出たらそれで鍵を閉めてけって」
「なるほど」
そう言えばそれもそうだ。俺は鍵をなくさないように財布の中へとしまう。それを見届けた瑞希さんは椅子から立ち上がり、鞄を持って扉の方へと向かう。どうやら登校時間のようだ。
「ほれ、行くぞ」
「はい」
そう言って俺たちは鍵を閉めてカフェを出た。昨日と同様に眩しい日差しが俺と瑞希さんを照らし、住宅街ということもあり登校や通勤中の人たちの声があちこちから聞こえる。二回目の登校とは言え、さすがに通学路の景色は覚えた。なんならクラスメイトの顔も覚えたので覚えている人ならすぐにわかるだろう。さすがに名前はまだ厳しいが。
「あ、言っとくけど、一緒に行くのはあくまで学校の近くまでだからな。そこからは別行動だ」
「え、なんでですか?」
「……目立つんだよ。アタシもお前も」
「?」
どこか含みのある言い方だが、瑞希さんがそう言うなら従うことにする。そうして俺たちは学校の近く、というか正門の近くまで一緒に行きそのまま距離を置いて学校の門をくぐった。帰りは連絡するから待ってろとのことらしい。
(さてと、二日目も無難に過ごすぞー!)
昨日荒療治じみたことがあったためクラスの喧騒には多少慣れた。あとは俺のメンタルがどこまで持つかだけ。俺は一歩一歩緊張しながら歩き、教室の中へと足を踏み入れる。
(……あれ、なんかすごく注目されてるような?)
昨日色々あったからか、昨日の帰り際よりも注目されている気がする。なんというか、好奇の目線が多いというか、変な感じだ。
……ってそういえば、朝にメッセージを返信したんだった。そりゃ注目もされるか。『どうして今日の朝まで返信をくれなかったんだ』とか、そういうことを言われても文句は言えない。だってスマホを確認するのを怠っていたのは俺なんだから。
「おはよう、伏見さん」
「……」
「伏見さん?」
「あっ、すいません! おはようございます七識くん」
席に着くなり隣の伏見さんに朝の挨拶をしたのだが、伏見さんは考え事でもしていたのかボーっとしていた。そういえば、昨日は勇気を出して口調を変えたのに結局元に戻ってしまっていた。どうしよう、今更戻すのも気まずいし……
「あの、七識くん?」
「はい、なんです……なんだ?」
「いや、唐突に思い出したかのように口調を変えられても……はぁ」
案の定というべきか、口調とかのことはお見通しのようだ。ちょっと恥ずかしくなったが仕方のないことでもあるので俺は頑張ってその羞恥を心に押し込む。そして再び受けの姿勢になり彼女の話に耳を傾けようとした。
「その、昨日の事なんですけど」
「うん」
「昨日、七識くんと一緒に帰って……」
「おーい、舞宵!」
傾けようとした……のだが、唐突に現れた声によって遮断される。この人は確か……遠藤くんか。
「おはよう、遠藤くん」
「おいおい今更くん付けなんて気持ちわりぃって! 呼び捨てでいいから」
「うん、遠藤」
「おお、そっちの方が舞宵っぽいぜやっぱり」
そう言って俺の肩を叩いてくる遠藤。なんかこの距離感、慣れないなー。俺的には瑞希さんくらいの距離感を築けている人が同年代では一番落ち着くのだが……まぁ、交友関係も今のところ中途半端だし何も言えないか。
「それで、何か用?」
「いや、なんとなく大丈夫かなーってよ。あと、返信遅すぎ。なんで今日の朝早くなんだよ。あの通知音が俺の目覚ましになったわ」
「えっと、ごめん」
「ったく、気をつけろよな?」
相変わらず近い距離感で色々と話しかけてくる遠藤。ああ、これが瑞希さんが以前に言っていた陽キャという奴か。本人がイケメンであることから相乗効果で色々と神々しいことになってる。俺ってこんな感じの人と仲良かったのか。いや、もしかして俺もこんな感じの性格だったのだろうか? だとしたら、似合わないだろ。
「そういえば伏見さん、昨日の事って?」
「……いえ、やっぱり何でもないです」
「そう?」
そう言って俺は伏見さんとの話を切り上げて目の前の遠藤と朝のホームルームが始まるまでの間色々なことを喋ったりする。もっとも合間合間に伏見さんが相槌を打ってきたり、俺についての嘘(遠藤の悪ふざけ)を指摘したりと、騒がしい時間を過ごすのだった。
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