第14話 教室マキアート

 覚悟を決めて扉を開いた……瞬間だった。



「きゃっ!?」


「うぉ……」



 素早い何かが目の前に飛び込んできた。俺は思わず後ろへ倒れてしまい、目の前に柔らかい何かがぐにゃりと押し付けられる。けどそれ以上に転んだ時に床へ打ち付けた腰がヒリヒリする。一か月前まで入院生活を送っていた身としてはこういう怪我は避けたいのだが、いったい何が……



「……って、うわぁ!? ご、ごめんなさ……って、七識くん!?」


「えっと……え?」



 俺の頭上には慌てふためきつつも俺の顔を見てどこか安心している女の子がいた。そして今気が付いた。俺、この女の子に胸に……しかも、めちゃくちゃ近いし!? あとデカッ!



「ご、ごめんなさい。急いで飛び出そうとしたらぶつかっちゃっ……って、後で色々言いたいことがありますから! とにかく……またあとで!」



 そう言って俺から体を離し、そのままとんでもない勢いで廊下へと走り出していく女の子。一体何だったんだ? そう思い教室の中を見ると、なぜかこちらを見てニヤニヤしている人たちが沢山いた。もちろん誰の顔にも見覚えがない。だが、コソコソと話している内容だけはわずかに聞こえて来た。



「伏見さん、一学期と何も変わってないね」


「ははっ。あと、七識の巻き込まれ体質も相変わらずか」


「この分じゃ、二学期も退屈はしなさそうだな」


「私、後で七識くんに感想でも聞いてこよっ。どんな感触だったって」


「性格わるいねぇ。ま、七ちんも二学期は静かに過ごせる……わけないか! アハハハハッ」


「笑いすぎだろ。あーあ、俺にも春がこねーかなー」



 そう言って勝手に盛り上がる俺のクラスメイト(?)たち。やっぱ覚えてないと急に不安になってしまう。一か月ずっと文乃さんや瑞希さんという慣れ親しんだ人たちと一緒の空間で過ごしたせいで、今は少し寂しさを覚えてしまっている。さすがに精神が不安定になったりすることはないが、一か月前身寄りのなかった病院生活時代を思い出す。あの時も医者や看護師に親身になってもらった。こんどお礼の手紙でも書いてみようかな。



(っと、俺も立ち止まってたら迷惑だな。早く自分の席に行かないと)



 すでに目立ってしまったがこれ以上悪目立ちしないために俺は先生に教えてもらった自分の机に向かう。確か俺の隣は伏見朱夏ふしみあやかさんっていう女子生徒で……



(そういえば、さっきの人たちの話の中に伏見って言葉が出てきてたような)



 もしかしたらあの人が隣の席の伏見さん? 断定はできないけど、可能性の一つとして考えておくことにする俺。そして俺は慣れない動作で自分の机へと腰を下ろし、鞄を机のわきに掛けた。



(うおお、これが登校。なんというか、ようやく実感できた気がする)



 入りざまに伏見さん(仮)にぶつかったのが逆に良かったのか、随分と緊張がほぐれた。あ、胸の効果じゃないんだからな? と、俺は一人で勝手に言い訳をしておくことにする。だがカフェを発った時よりも落ち着いているのは事実なので否定できないのが何とも悲しいところ。だが、ここまで来てしまえばもう怖いものなしだ。



「よぉ舞宵! 元気だったかー」



 あ、やっぱ怖いわ。一人の男子生徒が俺の元へとやってきて笑顔で挨拶してきた。恐らくこの人は俺の友達だった人なのだろう。だが申し訳ないが覚えていない。あと朝からやけにテンション高いしなんか気圧される。



(というか、なんて返せばいいの!?)



 接客にはすっかり慣れた俺だがこういう時の返し方はマニュアルになかったので焦る俺。いや、マニュアルとか関係ないのは分かっているが今の俺にこのテンションで話しかけられるのは辛い。



「……おっ、おはよっ」


「おお。っていうかお前、何で俺の連絡ずっと無視してたんだよ。何回も遊びに誘ったのによぉ」


「え、えっと……その」


「ちぇー、お前と一緒ならナンパ成功するかもしれねーって野望が水の泡と化したじゃねーか」


「ぁ……うん」


「ん? どうした? 何かお前変だぞ」


「……」



 さすがに親しい人物には誤魔化しきれないようだ。けれど、俺にもここからどうすればいいのかわからない。そうして言葉に詰まっていると先ほどコソコソ話をしていた人たちもこちらへと近づいてきて、俺とこの人の間に割り込んでくる。



「よぉ七識。元気だったか?」


「お前さぁ、どうして連絡返してくれなかったんだよ?」


「みんなで集まってバーベキューとかしたのにねー」


「そーそー、朱夏っちとか七ちんがいないこと根に持ってたよ」


「せっかく誘ったのにさ」


「っていうか、スマホ変えたの?」



「あ……えっと……」



 みんなから一斉に話しかけられてどう答えればいいかわからない俺。あと連絡とかバーベキューとか、俺がカフェで働いているときに行われていたと思われるやり取りのことを言われても何といえばいいのやら。


 あの死んだも同然のスマホを起動してパスワードを突破すればすべてが明らかになるのだろうが、相変わらずスマホは変わらない。そんなことを考えていると、みんなもどこか俺の言動に違和感を覚えているようだ。というかもしかして、俺って意外と交友関係が広かったのか?



 そんな時だった




「なっ、七識くんっ!!!!」



 先ほど俺とぶつかった女子生徒、伏見朱夏さん(仮)が教室を出ていった時と変わらない勢いで教室に戻ってきた。その顔はどこか焦燥に駆られているというか、凄く焦っているような表情をしている。


 そして俺にゆっくりと近づいてきて顔を覗き込んできた。どこか縋るように、あるいは信じているように。するといきなり俺の肩を掴んで



「事故で記憶喪失になったって、うっ、嘘ですよね!?」



 丁寧かつ物凄く大きな声量で、彼女は俺にそう尋ねて来た。もちろん近くにいた人たちどころかクラス中に聞こえていた。そして教室の中はシーンと静まり返る。表情が抜け落ちる者、口を閉じずに開き続ける者、そして、目を見開いてこちらを見てくる者。教室内の反応は様々だった。だが、次の瞬間




「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「えええぇぇぇぇ!?!?!?!?!?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 隣のクラスまで聞こえるであろうけたたましい声がクラス中で響きあがった。その誰もが驚いたように俺へと詰め寄ってくる。



「お、おい、どういうことだよ!?」


「ほ、本当なのかっ?」


「え、だって……え?」


「いや、七識が巻き込まれ体質だっていうのは知っているけど、いくら何でも……」


「ど、どうなんだよ!?」


「嘘、ですよね?」


「七識くん……」


「七ちん……」


「舞宵……」




「え……えっ……ぇ?」


 そう言って俺に返答を求めてくるクラスメイト達。だが何を喋っていいのかわからず俺はずっと言葉を詰まらせてしまう。だが、そこへ教室の前扉から入ってくる人がいた。そう、このクラスの担任である。



「おい伏見、お前人の話を最後まで聞かずに……って、やっぱ手遅れか」



 そう言って担任は呆れるように頭を手で押さえながら、全員に席に座るように指示する。そして教壇に手を置き放し始めた。



「もう大半の奴が知ってるだろうが、七識は記憶喪失になったそうだ。夏休み中に事故に遭って入院してたらしくてな。先生もお見舞いに行ったがその時にはすでに色々なことを忘れていたらしい。みんな戸惑ってると思うが、七識のことをサポートしてやってくれ」



 そう言って俺の状況を簡単に説明しすぐに話を変える担任。この話を長く取り扱うと俺が気をマズくすると思ってくれたのだろう。もしくはこれ以上クラスを動揺させないためか、一時間目の集会に影響を及ぼさないようにするためか。恐らくそのすべてだろうが。



「というわけでショートホームルームを始める。日直の人は号令を」


「は、はい……起立!」



 そうしてショートホームルームが始まる。だがこのショートホームルームはどこか全員の雰囲気か重くなっており、気まずい空間が創り出されてしまうのだった。

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