第13話 登校


 そして2週間後。



「よいしょ……と」



 朝六時とまだ比較的静かな時間。俺は真新しい制服に身を通し、新品の教科書をリュックサックに詰め込む。つい先日このカフェで働き始めて初の給料が出たので割とカッコいいリュックサックを買うことができた。ちなみに教科書と制服は学校が気を利かせて新しいものを無償で取り寄せてくれた。



 そう、俺が出した結論。それは学校に行ってみるということだった。



 記憶がないため不安しかないのだが、当たって砕けろの精神で行ってみるしかない。瑞希さんも途中まで一緒だしほんの少し心強いのだが、それでも教室についてからは一人きりになる。果たしてどうなることやら。



「……うっ、緊張で食欲が」



 トーストを焼いて朝食にしようと思っていたのだが、なかなか齧ろうという気になれない。一緒にグラスに注いだ牛乳だってまだ一口しか口をつけていないし、心なしか体全体が震えている。



「でも、考えてみればおかしな話だよな。先月まで同じ教室で過ごしていた奴が、夏休み明けに記憶喪失になって帰ってくるって」



 少なくとも変な目で見られることは避けられないだろう。俺に友達がいたかは未だにわかっていないが、もしかしたら変な気を遣わせてしまいそうだし心苦しい。そしてなにより、一人で教室の中に入ることが心細い。



「……勉強は何とかなりそうだけど」



 配送された教科書に一通り目を通したが、なんとなく理解できる箇所が多くあった。恐らく昔勉強して覚えていたことがデジャヴとして今の俺に反映されているのだろう。そして問題を少し解いてみたが、正答率は7割といったところ。まあ平均くらいなのだろう。



「と、とにかく急いで完食しないと!」



 くよくよ迷っていてもしょうがないと俺はトーストに大きく齧りつき、そのまま牛乳で強引に流し込む。今は無理にでも食べて午前中の英気を養わなければ。そうしなければ何も始まらない。



 ——コンコン



 トーストを乗せていた皿をシンクに置いていると、玄関の扉がノックされた。俺を含めて三人が済んでいるビルだが、こんな時間に部屋を尋ねてくる人物は一人しかいない。俺はそのまま玄関を開けた。



「……もう着替えたのかよ。ま、違和感しかないな」


「え、どこか変ですか!?」


「そういう意味じゃねーよ。ただ、同じ店で働いてた奴がアタシと同じ学校の制服着てるのが変ってだけ」



 そういえば、俺も瑞希さんが学校の制服を着ているところを今初めて見た。普段は落ち着いたカフェの店員だが、今はどこにでもいる年頃の女子高生だ。持っている鞄にはサメのストラップが下げられており、髪だっていつもと若干違う。



「あんまジロジロ見んなよ」


「あ、ごめんなさい」


「ったく。で、覚悟は決まったんだよな?」


「は、はい! 今日はよろしくお願いします」


「ま、お前の教室前までだけど。とりあえず、気張れ」



 そう言って俺の部屋を後にする瑞希さん。どうやら俺が緊張していないかを確認しに来てくれたらしい。朝から相変わらずぶっきらぼうな口調だったけど、本当に優しい人だ。



「……ふふっ」



 そんな彼女の気遣いにふと笑みが零れてしまう。そして気が付けば、体の震えは止まっていた。









「ふぁっ、おはよー」



 俺が階段を降りて一階に行くと、文乃さんがカウンターの椅子に座って俺のことを出迎える。どうやら俺たちを見送るために朝から早起きしてくれたらしい。ちなみに文乃さんは夜型らしく、最近はお昼ごろにならないと起きてこない。店の営業準備は午後2時頃から始まるので、文乃さんにとっては快適な生活サイクルなんだとか。



「おはようございます、文乃さん」


「うん、制服のサイズはバッチリだね。似合っているよ」


「ありがとうございます」



 そう言って俺のことをジロジロ見つめてくる文乃さん。すると遅れて階段の奥から瑞希さんが顔を出した。それを見て文乃さんも椅子から立ち上がり、俺の前にコツコツと足音を立てながら向かってくる。



「いいかい舞宵君。学校は君が思っているほど怖いところではない。まっ、気楽に行ってくればいい。それこそ遊びに行く感覚でね」


「それって学費を無駄にしてるんじゃ……」


「細かいことは気にしない。私だって高校生の時はほぼ毎日遊び惚けていたんだから」



 ちなみに給料が振り込まれるまで学費や生活費の問題があったのだが、奇跡的に俺の父親が自動車保険に加入していたらしくかなりの大金が保険金として俺の口座に入金されていた。そういうわけで実はバイトしなくても数年は働かないで生活できるくらいの状態なのである。まあ、バイトをやめて文乃さんの言う通り遊び惚けるのはさすがにしないが。



「瑞希ちゃん、学校までの道は分かるね?」


「馬鹿にしないで。さすがにわかる」


「以前とは通学路や通学時間が違うんだぞ? 本当に大丈夫かい?」


「あ、それなら俺がこの前の休日に一度学校まで歩いて実際に見てきたんで大丈夫です」


「あ、それなら大丈夫か」


「あん? アタシへの当てつけか?」



 そうして朝からギスギスする文乃さんと瑞希さん。まあ、瑞希さんは絶望的なくらい方向音痴だしな。ちなみに二人とも本気で言っているわけではなく、こういう挨拶が最近の主流になっているのだ。もちろん俺は穏便に影から見守っている。



「忘れ物はない?」


「大丈夫です」


「そうか、それなら……胸を張って行ってくるんだぞ」


「はい!」



 そうして俺は「ファミリア」を瑞希さんと一緒に後にする。そのまま左に歩いてまっすぐ進めば学校へと辿り着ける。やはりこのカフェの場所はかなりの好立地だ。



「あんま気負うなって。変な奴に思われるだろ」


「す、すみません」


「ほら、アタシたちの他にも登校してる奴らがゴミほどいるだろ。あれを真似てろ」



 確かに瑞希さんの言う通りこの時間帯は多くの高校生たちが気怠そうにそれぞれの学校へと向かっていた。気怠そうな理由は今日が夏休み明け初登校の影響だろう。とりあえず俺は瑞希さんの傍から離れないでただただ愚直に歩き続けた。


 そしてとうとう……



「ほら、お目当ての学校だ」


「……」



 十数分ほど歩き、俺は自分が以前通っていた学校に辿り着いてしまう。一応夏休み中に見に来たことはあるのだが、あの時とはどこか違った面持ちを感じる。たくさんの生徒が行き交っており、ついきょろきょろと彼らのことを見渡してしまう。



「下駄箱はこっちだ。目立つからとっとと行くぞ」


「はい」



 そうして俺たちは下駄箱で上履きを履き替える。ちなみに今日は午前中で学校が終わる。軽い始業式とオリエンテーション、そして早速授業があるらしい。だからそのまま教室に直行……ということはさすがに出来ず、一度職員室へと向かうことになっていた。そうして俺は瑞希さんと一緒に職員室へと向かう。



「ここだ。とっとと行ってこーい」



 俺は瑞希さんに背中を押されるまま職員室の扉をノックした。室内に入った俺の姿を確認した先生は、すぐに担任の先生へと取り次いでくれる。そうして奥の会議室から担任の先生がやってきてくれた。



「本当に大丈夫か?」


「頑張ります」



 そうして俺は先生と今日の流れや教室の位置や間取りを確認した後、職員室を後にして廊下で待っていてくれた瑞希さんの元へと戻る。そしてとうとう自分の教室の方へと歩き出した。



「アタシの隣のクラスか。とりあえず帰りは校門で待ち合わせな」


「はい、終わったら向かいますね」


「ああ、あんまり人に見られんな……っと、ここだよ、お前の教室」



 そうして俺は教室の前に辿り着いた。瑞希さんは「ガンバ」と言って自身の教室へと入っていった。それを見送った俺はバクバクと鳴りやまない心臓を落ち着かせ、教室の扉に手を掛ける。



(大丈夫だ。だから……勇気をもって飛び込め!)



 勇気を振り絞り俺は教室の扉を開いた。











——あとがき——

次回からは高校も舞台に。果たして舞宵の運命は?

登場人物が増える予定ですのでお楽しみに!

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