第12話 不安と安心のブレンド

 カフェがオープンして1週間と少し。この頃になると俺はすっかり店での営業に慣れ始め、新メニューである紅茶もある程度のクオリティで淹れることができるようになっていた。


 そして世間的には八月の下旬。つまり夏休みのラストスパートと言ってもいい期間であり、高校生が思い出作りに海に行ったり、小学生が朝から遊び歩いたりと全力で楽しもうと努力する時期だ。中には宿題が終わらなくて焦っている人たちもいるだろうが、宿題がない俺にはわからない感覚だ。


 そんな学生たちを見つめていた俺に、ある日文乃さんが声を掛ける。



「ねぇ舞宵君、君は迷っているという話だったけど、学校に行ってみたいかい?」


「え……」



 まさか文乃さんにちょうど考えていたことを聞かれるとは思っておらず、俺は言葉を詰まらせてしまう。そんな俺を見た文乃さんは笑いながら息を溢す。



「舞宵君は気づいていないかもしれないけど、君は学生とかをよく目で追っているよね? もしかして、興味や憧れがあるんじゃないかなーって」


「……憧れはともかく、興味があります」



 俺はふと店の中でスプーンを磨いている瑞希さんを見る。彼女も今はカフェの従業員として精を出しているが、本来の姿は女子高生だ。店が終了し夜になると学校の宿題や勉強をしているらしいし、俺より大変な生活を送っているはずなのに全くその素振りを見せようともしない。



「瑞希ちゃんは色々と特殊だけど、舞宵君はもっと特殊だ。なんせ記憶がないんだから」


「だからこそ、行っても無駄だっていうのが分かり切ってるんですけどね」


「いや、それは早計だ」



 何も覚えていない奴が覚えてもいない場所に行っても意味がない。俺はそう結論付けていたのだが、文乃さんはそこに待ったをかけてよく考えるように言う。


「確かに今となってはそうかもしれないが、記憶がなくなる前の君は確実にその場所へ何度も足を運んでいたんだ。覚えていないかもしれないが、行ってみれば何かを思い出すきっかけになるかもしれない」


「……そうでしょうか」


「場所、人、匂い、景色。そのどれをとっても脳の記憶と大きく関係している。それに、記憶喪失のことを抜きにしても一度は学校に行ってみるべきだと私は思っているがね」


「え?」



 主張の途中で俺が行ってみるべきだと提案する文乃さん。確かに記憶喪失の解決にはつながるかもしれないが、それを抜きにしても行ってみるべきという意見がよくわからない。



「君にどれくらい友達がいたかは知らないが、学校には多くの人間が通っている。君は現状、このカフェの中でしか人間関係を構築できていないだろう? なら、それを広げるきっかけになるかもしれないと思うな」


「人間関係を広げるって、つまりどういうことです?」


「つまり、友達でも作って来なさいと言っているんだ。勉強の事とかは抜きにして、一度は多くの人がいるコミュニティに足を踏み入れて、色々な経験をしてきてほしい。その先に、何かを掴むことができるかもしれないからね」



 そう言って文乃さんは仕事へと戻っていった。彼女も従業員のことをよく見ているということだろう。次は瑞希さんのところへ行って何やら話している。彼女にも何か悩みがあるのだろうか……




 さて、話を戻すが俺は今学校に興味を持っている。この店を訪れるお客さんの四割くらいが部活帰りの高校生や大学生のカップルたちの若者で構成されている。その誰もが友達と仲良く話しながら俺たちが作ったメニューを食べている。



 すごく嬉しい光景ではあるのだが、どこか胸が空しくなってくる。俺は記憶がすっぽ抜けた頭を抱えながら、何度も妄想した。



 —もしかしたら自分も、あんな風に笑って友達と遊んでいられたのでは?



 普通の青春を送れていたのかもしれないし、学生ながら何か葛藤して過ごしていたのかもしれない。もし学校で壮絶ないじめを受けていたなら話は別だが、担任の先生からもそんな話はされなかったし、そんなものを見逃すような人でもなさそうだった。



(果たして俺はどんな高校生活を送っていたのだろうか……)



 気が付けば、以前の俺に興味がわき始めていたのだ。何のためにどんなことを学び、どんな人たちと過ごしていたのだろう? 好きな授業は? 好きな教室は? 休み時間は誰と何を?


 疑問は降っては沸き振っては沸きを繰り返し、決して消えることはない。いや、今の俺では消すことができない。そうなったら、自分で言って確かめてみるしかないのだが、さすがに俺にそんな度胸はない。記憶喪失という現状が、俺の興味を阻害してしまっている。



「せめて、一緒に行ってくれる人がいればなぁ」



 知り合いが同じ学校に通っていて、一緒に登校してくれるならどんなに心強いことか。だが俺には文乃さんや瑞希さん以外の知り合いがいないし、なんなら学校までの通学路も知らない。一応文乃さんの話ではここからそう遠くないらしいが、スマホで詳細を調べたりする勇気がなかった。


 とにかく俺が出した結論は、一人ではどうしようもなさそうなので諦めるということだった。このカフェでの生活も悪くないし、もう少しこのまま過ごして様子を見てみよう。そう思って現状維持を考えていたのだが……



「なら、瑞希ちゃんと一緒に行けばいいじゃないか」



 カウンターを拭いていると、文乃さんが俺にそう言った。自分の名前が出て来たことで瑞希さんもこちらを見て、首を傾げて不機嫌そうに文乃さんのところへとやってくる。



「テンチョ、またアタシになんかやらせようとしてんの?」



 そう言ってレジの方から瑞希さんがやってくる。ちなみに今はお客さんが2名ほどしかいないので、さほど忙しくない。まあ、だからと言って暇というわけではないのだが。



「話は盗み聞いてただろ? 舞宵君を学校まで連れて行ってほしいんだ」


「盗み聞きとか質悪いことしねーよ。てか、後半なんすか。こいつの通う学校くらい自分で調べて行けばいいのに」



「いやだって、君たち二人とも同じ学校に通ってるじゃないか」



「「……は!?」」



 俺と瑞希さんが当時に声を上げ、お互いの顔を見合わせてから同時に文乃さんの方へと詰め寄った。



「ちょ、テンチョ、それマジなの!?」


「ああ、そういえば言ってなかったね。忘れてたよ、てへぺろ☆」


「いやてへぺろって……俺と瑞希さんが同じ学校だったなんて、もっと早く言ってくださいよ!?」



 何か文乃さんって、大事なことほど後回しにしている節があるような……まあそんなことはさておき、とんでもない事実を知ってしまった俺は瑞希さんに改めて確認する。



「えっと、つまり俺たちって同級生ってことですか?」


「……らしいな」



 年齢は以前に確認して同い年ということが判明しているので恐らく同級生。瑞希さんが俺のことを知らないということは、恐らく違うクラスで過ごしていたのだろう。だが俺は高校一年生でまだ半年も学校に通っていない。もしかしたら瑞希さんが認知していないだけで同じクラスの可能性もあるってことか。



「夏休みが明けるまであと一週間ほど。どうするかは君たち二人に任せるとも。嫌なら行かなくてもいいと思うし、行きたいと思うなら……瑞希ちゃん、頼むよ」


「……はぁー」



 そう言って文乃さんは笑顔で厨房の方へと消えていった。思ったよりも好評だった紅茶のストックを取りに行ったのだろう。そうして残される俺と瑞希さん。俺が少しもじもじしていると文乃さんに肩を叩かれ、顔を覗きこまれるように尋ねられる。



「で、どーすんの」


「えっと……」


「行くの? 行かないの?」


「……」



 瑞希さんとの登校……か。教科書も制服もないし、勉強したことだって多くのことがすっぽ抜けてる。ないないづくしの絶望的な状況の中、瑞希さんが無愛想に手を差し伸べているのだ。



「……俺は」




 俺が出した結論は……

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