第11話 グループチャットと新メニュー
「グループチャット、ですか?」
スマホを無事に買えた翌日。慣れ始めた店での業務を終え、俺は文乃さんが言った言葉を繰り返していた。
「ああ。今までは一つ屋根の下だったし直接口で言えばよかったから気にしてなかったけど、これからは君たちにも自由な時間が必要だ。けど、そういう時に緊急の連絡とかをしなければいけないかもしれない。例えば、店が臨時休業するとかね」
「そういう連絡手段にグループチャットを?」
「ああ。一斉に関係者に送信できるし、何より現代的だろ?」
今の俺には現代機器の善し悪しが分からないのだが、文乃さんがそう言うならそうなのだと思うことにする。考えてみれば、スマホを買ってから初期設定を終えて特に連絡先を交換していなかった。そういう意味でもいい機会だ。
「瑞希ちゃんもどうだい?」
「やるなら、いいんじゃないすか?」
「無愛想だなぁ。ま、そういうところが瑞希ちゃんの良いところでもあるんだろうけどね」
まだ実質的な営業は三日しかしていないのだが、この短期間でリピートしてくれるお客さんも存在した。主に文乃さんや瑞希さんなどの女性陣が積極的にホールに立ってお客さんとの懸け橋を繋いでくれているおかげだと思う。特に瑞希さんはお客さんと絶妙な距離感を保っていたのでかなり会話が多かった。
「そういえば瑞希ちゃん、今日お客さんと何か話していたみたいだったけど大丈夫だったかい?」
「連絡先聞かれただけ。もちろん断ったけど」
「ほう、早速モテモテだね。こちらでもできる限りフォローしておくよ」
そしてその中には早速瑞希さんのファンができ始めているようなのだ。確かに瑞希さんは荒々しい口調とは裏腹に可愛らしい見た目をしているのでそういう人がいてもおかしくはない。そしてそれは、文乃さんも同じだ。
「で、話を戻すよ。二人ともスマホは持ってる?」
「はい、ここにあります」
「……へい」
そう言ってスマホを出し合う俺たち。だが俺は俺でチャットができるアプリをインストールしていなかったので少しグダグダしてしまった。というかアプリをインストールすることそのものすらまだ千鳥足のように危うかった。
「だから、このインストールボタンをタップして……」
それでも根気よく瑞希さんが教えてくれるのでありがたい。文乃さんはそんな俺たち二人の様子を見てほっこりとしている。見世物ではないのだが……
「じゃ、改めて連絡先を交換しよう。じゃ舞宵くん、スマホをこっちに」
「あ、はい」
QRコードを画面に表示したスマホを文乃さんの方に差し出し、そのまま文乃さんのスマホで読み取ってもらう。すると俺のスマホのバイブレーションが起動し、連絡先が交換できたことを通知する。
「それじゃ、試しにメッセージを送ってみようか」
そうして文乃さんは画面を片手で操作し、何度かタップする。すると再び俺のスマホが震えた。俺が再びチャットを起動させて文乃さんとのメッセージルームを開くと、猫のスタンプが送られてきた。居眠りをしながら涎を垂らしている猫のスタンプでなんかこう……不細工だ。ちなみに彼女のアイコンも原っぱで居眠りしている猫だ。文乃さんはもしかしたら猫好きなのかもしれない。ただ、センスがちょっと……
「可愛いだろ? 私のお気に入りなんだ」
「そ、そうですね」
「おっ、わかってくれるかい? 私の友人たちには揃って不評だったから嬉しいねぇ」
まぁ……そうだろうなと心の中で呟きながら俺はスマホの画面を見つめる。連絡先を交換するなんて今どきは普通だと思うが、なぜだか俺にはその行為が無性に嬉しかった。かつての俺も誰かとメッセージを交換していたのだろうか?
「何黙り込んで画面見てんだよ。ほら、これ私のアカウントだから読み込め」
「あ、すみません今やります」
ボーっとしているところを瑞希さんにどやされて俺はスマホのアプリ内でカメラを起動する。これを使って相手のQRコードを読み込めば相手のアカウントが登録できる。そうして俺が読み込むと今度は綺麗な花のアイコンが現れた。どうやらこれが瑞希さんのアカウントらしい。
「これ、なんの花ですか?」
「スズラン。一度は聞いたことあんだろ」
「えっと、花には詳しくなくて……」
一応ある程度の常識は覚えているのだが、専門的なことは何も知らない。恐らく記憶を失う前の俺が単純に花などの知識に疎かったのだろう。さすがの俺もそればかりはどうしようもない。
「余計なこと気にしてないで、ちゃっちゃとアタシを登録しろ」
「す、すみません」
そう言われた俺はすぐさま指を動かして瑞希さんと友達登録する。そしてその後も適当にメッセージを送り合ってきちんと送受信できることを確認した。それが済んだら次は文乃さんと瑞希さんが連絡先を交換していた。二人は俺より付き合いが長いだろうし俺が来る前から一緒に過ごしていたらしいので、てっきり交換していると思っていた。
「よし、それじゃあ早速グループチャットを作るからちょっと待っててね」
そう言って文乃さんはまたもや器用に片手でスマホを弄り、様々な設定を完了させていく。そうして一分も経たないうちに俺と文乃さんとのメッセージルームにグループチャットへの招待が届いた。それをタップしてルームに参加すると、一歩遅れて瑞希さんがルームに参加してきた。
「よし、これでカフェ『ファミリア』のグループチャットの完成だ!」
そう言って文乃さんは嬉しそうにスマホの画面を眺めていた。この人もたまには年相応というか、子供らしい反応をするときがあるよな。というか今更だが、このカフェの従業員の平均年齢低くない?
「それじゃ、これから緊急の業務連絡をするときはここに書き込むから通知をオンにしておくように」
そう言ってグループチャットを作り終えた後、俺たちは店の片づけを再開する。まだ実感はできていないが、これで業務連絡などが楽になったことは事実だ。これから俺も有効活用させてもらおう。
「そうだ二人とも、ちょっと新しいメニューを追加する予定なんだ。詳細は今作ったグループチャットに送っておくから、後で見ておいてくれ」
「新メニューって、早いですね」
「早いも何も、二人のレベルを見てまだ早いと判断していたんだ。けど今の二人なら余裕をもって覚えられると思ってね」
「っていうかテンチョ、新メニューってなんすか?」
「ふふふ、紅茶だよ紅茶」
「紅茶?」
そう聞いた俺と瑞希さんは揃って首を傾げてしまう。ああ、でも普通カフェに紅茶くらいあるよな。今まではコーヒーとかで精いっぱいだったが、俺たちにも新たなドリンクを作る余裕ができてきたということか。
「アイスティーやミルクティー。その他もろもろあるが、淹れ方以外はコーヒーに近いものがある。二人とも動画を見て勉強しておいてくれ。明後日の閉店後に試作してもらう。ああ、もちろんその時間分の給料は出すから安心していいよ」
そう言ってカップを磨く文乃さん。どうやらまだまだ店を発展させていくつもりらしい。何とも頼もしい店長だ。だが、それとは別に問題がある。
「あの、新しい従業員は……」
「すまない、まだなんだ。だが今月中……せめて夏休みシーズンが終わるまでには目途をつけたいところだと考えてる」
「夏休みシーズンって、いつ終わるんですか?」
「あと2週間くらいかな。舞宵君はともかく、瑞希ちゃんは普通の女子高生だ。夕方くらいまでなら私と舞宵君の二人、というか私一人でも何とかなるけど、ずっと舞宵君に頼るわけにもいかないからね」
そう、それも考えなければいけない問題だ。俺はもともと高校生で、いつかは復学しないといけない……のかもしれない。夏休みが明けてもしばらくは休んでいいと担任を名乗る人から病室で言われたものの、さすがにずっと放置するわけにはいかない。
「舞宵君は何も心配しなくていいさ。というか、今の舞宵君にすべてを解決できる能力なんてないだろうしね」
「ううっ、それはそうですけど」
「とにかく今くらいは、日常の中に何か楽しみを見出すことだね。お店でも、スマホゲームでもいい。とにかくいろいろなことに手を出してみることだ」
そう言って文乃さんは笑いながら俺の頭を撫でる。カップを拭いているのにいいのかと思ったがどうやらすべての仕事が片付いたらしい。そうして俺は文乃さんと一緒に階段を上がる。ちなみに瑞希さんはだいぶ前に上がっていった。
「それじゃ、また明日よろしくね。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
そうしてこの日は直ぐに寝ることにした。寝るというより、自分を見つめなおすといった方がいいだろうか。俺はまだ自分のことがわからない。だからこそ、掴んだこの生活を安易に手放さないように。
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