第9話 成功と約束


「いらっしゃいませー!」



 月曜日の夕方。昨日は休日にもかかわらず客足がよくなかった。そのため平日である今日はどうなるかわからなかったのだ。もちろんみんな不安を抱えていたし俺もそうだった。もしも昨日よりお客さんが来なかったら? この店は本当に続いていくのだろうか?


 しかし結論から言おう。昨日の倍以上の客が来た。店内は昨日よりもお客さんの声に溢れ、俺たちも必死に手や足を動かして声を出し合っていた。少なくとも明日は筋肉痛が確定するくらいには働いたのだ。そんな中俺はと言うと



「ご注文を繰り返します。ナポリタン、サンドウィッチにクリームソーダ。以上でよろしいでしょうか?」



 緊張を感じる暇もないほどお客さんのオーダーを取っていた。奇跡的にオーダーミスなどはしていないものの持っていく場所を間違えかけたりといろいろミスはやらかした。それでも閉店まで何とか持ったのにはいくつかの理由がある。



「舞宵君、今日は予想以上の客足だ。私も隙を見てホールに出るよ」



 まず純粋に文乃さんが手伝ってくれたこと。彼女の予想を上回る客足だったらしく、俺と一緒にホールを回ってくれた。瑞希さんとはほとんど会話をすることがなかったが、彼女も時折厨房の隙間から俺のことを覗き見てくれていたみたいで見守られているような安心感があった。



 そしてもう一つの理由。



「ありがとう、とてもおいしかったよ」


「ここって何時からやってるの?」


「お兄さんかっこいいねー」



 もう一つの理由、それはお客さんとの会話だ。もちろん彼らは俺が記憶喪失であるなんて事情は知らないし、そもそも俺と面識自体がないだろう。だからこそ気さくに話しかけてくれて、俺もそれに丁寧に答えていった。そして何人かのお客さんに俺の事や店のことを気に入ってもらえ、また来ると言ってもらえた。


 クレームや迷惑客が来たらどうしようかとも思っていたが、そんなことなく閉店を迎えることができた。これに関しては俺たちの努力と運の良さが味方してくれたのだろう。



「舞宵、モテモテだったじゃん」



 閉店後テーブルを拭いていると厨房の掃除が終わった瑞希さんに声を掛けられた。モテモテというのは、七時頃に来たお客さんの事を言っているのだろう。



「モテモテって、さっき来た女子高生のお客さんたちですか?」


「そうそれ。名前や連絡先聞かれるとか、思いっきり逆ナンされてたじゃん」


「途中で文乃さんが助けてくれましたけどね」



 そう、七時ごろに三名ほどの女子高生が来店してきたのだ。何を思ったのか彼女たちは俺のことを見てひそひそと話しだし、何やら盛り上がっていた。そして俺がオーダーを聞きに行った際、名前や電話番号を聞いてきたのだ。



『ねぇねぇ、お兄さんお名前は?』


『え、自分ですか。七識と言います』


『へぇ、七識君って言うんだ。ねぇ、もしよかった連絡先教えてよ』


『連絡先ですか? 自分携帯とか持ってなくて』


『……え?』



 みたいなやり取りをしていたところ、文乃さんがやってきて俺と変わってくれた。その際何やら女子高生たちに話していたようだが、ちょっと怖かったので俺は何も聞いていない。ただ、携帯を持っていないと言った時の女子高生の呆けた顔と、その後にやってきた文乃さんがちょっとだけ怖い顔をしていたのが印象に残っている。



「可愛い子たちだったし、連絡先教えればよかったじゃん」


「教えようにも、自分携帯とか持ってないんで」


「ああそれなら仕方な……マジで?」


「そうですけど、それが何か?」



 瑞希さんに女子高生たちと同じことを言ったところ、瑞希さんもあの女子高生たちと同じような顔をした。スマホやパソコンなど連絡を取れるものを持っていないというのはそこまで変なことなのだろうか?



「お前、よく今まで困らなかったな」


「一応スマホは持ってるんですけど、パスワードが分からなくて」


「ああ、そういうこと。指紋認証や顔認証は?」


「試してみたんですが、たぶん設定してないです」


「何やってんだよ前の舞宵は」



 瑞希さんは俺の話を聞いてまるっきり呆れていた。話を聞くに指紋や顔認証を設定しておくのが多分普通なんだろう。ショートカットになって便利というのもあるし、よほどの事でない限りセキュリティが突破されることはないからだ。現に瑞希さんもそう設定しているらしい。



「おや、その話は本当かい?」


「あ、文乃さん」



 俺が瑞希さんにそう話していると文乃さんが会話へと加わってきた。どうやら文乃さんもカウンター掃除や使用したコーヒー豆の片付けが終わったらしい。



「それじゃあ舞宵君も何かと不便だろう。言ってくれればよかったのに」


「今のところ不便は特に感じていないですよ? ニュースとかはテレビで見れるし、連絡を取る人だって瑞希さんや文乃さんくらいしかいないですし」


「今はよくても、今後困る局面が出てくるだろう。うーん、そうだな……」



 すると文乃さんは何かを考えるように使っていたキッチンクロスをパタパタとし始める。そして文乃さんは何かを決めたように頷いて



「それじゃあ瑞希ちゃん、舞宵君がスマホを買いに行くのに付き添ってあげて。明日はお店休みだし」


「……は?」



 いきなりの文乃さんの提案に戸惑う瑞希さん。俺も文乃さんが言ったことを一瞬だけ理解できず首を傾げてしまうがすぐに「えっ!?」と声を上げる。



「なんでアタシなんすか。テンチョが行けばいいじゃん」


「私は明日用事があるからね。確か未成年でも後見人と本人の本人確認書類があれば契約できたはずだ。書類は明日の午前中には用意しておくから、その後を頼みたい」


「頼みたいって……アタシが行く意味は?」


「ほら、舞宵君ってこの辺の土地勘ないし。それに気が弱そうだから余計なオプションを吹っ掛けられるかもしれないだろ」


「つまり、背後でアタシに牽制しろと?」


「そういうこと。どうせ瑞希ちゃん、予定何もないだろ?」


「それは、そうだけど……」



 そう言って俺の意思とは関係のないところで話がどんどん進んでいく。今更断れる雰囲気でもないなこれは。そうしてしばらく瑞希さんは考え込み、大きなため息を吐く。



(あ、これはたぶん大丈夫なやつだな)



 何も知らない人が見たら一気に不機嫌になっていると勘違いしてしまう態度だが、恐らく瑞希さんは心の中で「仕方ないなぁ、行ってやるか」みたいなことを考えている。付き合いは短いが、それくらいのことが分かるくらいには瑞希さんのことがちょっと分かってきた。



「いいけど、寝坊すんなよ」


「は、はい、ありがとうございます!」


「ふん」



 そうして、明日の午後は瑞希さんとスマホを買いに出かけるという予定ができるのだった。というかスマホの種類や性能のことを俺は何も知らないので道中で瑞希さんに色々聞いた方がいいかもしれないな。



「それじゃあ瑞希ちゃん、舞宵君のことをよろしく頼むよ」


「アタシはこいつの保護者かっての」


「似たようなものだろ。そうだよね、舞宵君?」


「自分に聞くんですか!? え、えーっと……」



 俺的には瑞希さんは姉のような存在なのだが、保護者と言われるとあながち間違ってもいない気がする。だがどことなく否定したい気持ちもあるので複雑な気分だ。



「意地の悪い質問すんなよ」


「ふふっ、確かにからかいが過ぎたね。すまない忘れてくれ」



 俺が困っているのを見て瑞希さんが助け舟をよこしてくれた。まあ俺がどう答えても気まずい雰囲気にしかならなかっただろうし、お互いいいところで切り上げることができた。



「そうと決まれば早く片付けを終わらせてしまおうか。ほら二人とも、休んでないで手を動かす!」


「はい」


「はーい」



 真面目に返事をする俺とおざなりに返事を返す瑞希さん。何がともあれ明日は瑞希さんと一緒にお出かけだ。この店の外には一回も出ていないので、久しぶりに外を歩くことになる。少し怖いが、瑞希さんがいるなら大丈夫だろう。



(そういえば、瑞希さんってこの辺の人なのかな?)



 彼女は俺同様にこの一週間外に出ていない。だが文乃さんは瑞希さんがいれば大丈夫だと言っていた。それはつまり、瑞希さんがこの辺の立地に詳しいということになる。それならなぜわざわざこのカフェの上で寝泊まりしているのだろうか?



(気になるけど、俺も人のことを言えないからなぁ)



 まずは人の事情より自分の事情を知ることが重要だろう。文乃さんにそれとなく昔の俺のことを聞いてみたのだがはぐらかされてしまった。もしかしたら昔の俺を知らないという可能性もあるが、もしそうなら俺のことを知る親戚に尋ねなければいけない。だが引き取りを拒否されていた時点で雲行きが怪しそうなのも事実だ。



(となると後の手がかりは……)



 自分の事を知る手がかり。ほとんどないだろうと思っていたが一つだけ思いついた。絶対に俺のことを知っているであろう人たちがいる場所。



(高校の関係者たち)



 俺がいったいどのような交友関係を築いていたかは未知数だが、いずれ落ち着いたら尋ねてみるべきかもしれない。そこに『ナナシマヨイ』という人間を知る手掛かりが残されているかもしれないのだから。



「そのためにも、まずはスマホだな」



 高校に行くとなればさすがに使えるスマホがなければマズイだろう。そういうことでどのみちスマホなどの連絡手段は必要になるというわけだ。なら今回の提案はちょうどよかったのかもしれない。



「舞宵、明日の二時に迎えに行くから部屋にいろ」


「わかりました」



 そうして店の片付けが終わった瑞希さんは颯爽と部屋に戻っていった。そして俺もギリギリまで文乃さんのことを手伝い店を後にして階段を上る。そうして今日も一日が終わるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る