第7話 カフェ『ファミリア』オープン!


「さあ二人とも、いよいよだ。あと三十分で開店するよ」



 先ほどまで最終の打ち合わせをしたり練習がてらまかないとしてお昼ご飯を作ったりしていた俺たちだが、とうとうこの時がやってきてしまった。文乃さんは不敵な笑みを、瑞希さんは引き締まった表情をしている。



「事前に宣伝はしていたけど、どれくらいの客足になるかは正直なところ未知数だ。店先にオープン記念に花束を飾るわけでもないし、本当にひっそりとオープンする。だから二人とも、最後まで気を抜かないように」


「はい」



 俺は文乃さんの言葉に返事を返し、横に並ぶ瑞希さんも声は出していないが目を閉じて頷いていた。この一週間で俺たちにできることはすべてやった。あとは本番でどこまでのクオリティを追求できるかにかかっている。



「最初だし失敗してもいい……と言いたいところだけど、今回に関しては少し違う。私たち三人の接客がこの店の将来性を左右するし、どのような書き込みがされるかわからない」


「ああ、インターネットってやつですか?」


「舞宵君は察しがいいね。今はネットで多くの情報が行き交うようになった。いい評判ならまだしも、悪評が一つでもあればそれが一気に広まってしまう。だから今回はスピードとかにはこだわらず、一つ一つの質を重視しよう。二人とも、何か困ったことがあったらすぐに私を呼ぶように。すぐに駆け付けるから」



 文乃さんのその一言でだいぶ緊張がほぐれたものの、やはり緊張しているという事実は変わらない。正直今の俺にインターネットとか書き込みのことはよくわからないが、それでもこの店の経営を左右するということは分かる。



(つまり、俺の失敗一つでこの店が潰れるってこともあるわけだよな?)



 オープニングスタッフとしても責任は重大だ。この店の従業員は三人と少ないので俺の働き一つで経営状態が大きく変わる。それどころか、今後入ってくるであろう後輩たち(文乃さんが随時面接中)にかかる負担も大きく変わってくる。要するに、今日はめちゃくちゃ頑張らなければいけないのだ。



「おい舞宵、お前肩の力入りすぎ。もっと力抜け」


「あ、はい、すみません」



 瑞希さんは本来扉の近くで待機しているはずなのだが、厨房とカウンターの中間地点にいる俺に声を掛けにきてくれた。もしかしたら緊張が顔に出ていたのかもしれない。すると瑞希さんは呆れながら自らの腰に手を置いた。



「ったく、入ってくる客に真っ先に声かけるのはアタシなんだぞ。それに続くお前がそんなんじゃ私が迷惑を被る。そこんとこわかってる?」


「そ、そうです、よね」


「……言われたことやってりゃ基本大丈夫だろ。責任を取るのはお前じゃなくテンチョだし、あの人は仮にこの店が潰れたとしても大したダメージを負わない。だから、気ぃ抜いてけ。どうせアタシも失敗する」



 そう言って瑞希さんは俺の背中をグーで軽くたたき扉の近くへと移動する。少し気にかかる言い方だったが、確かにこのまま緊張しっぱなしの俺では役に立たない。いい加減覚悟を決めなければ。



「さて二人とも、開店五分前だ。幸か不幸か店先に人はあまりいない。だから、落ち着いてね」



 事前に宣伝をしていたようだが、どうやら思ったほどの集客効果を発揮しなかったようだ。果たして、この状態でどれほどの忙しさになるだろうか。


 すると今度は文乃さんが俺のもとへとやってきた。その顔はいつもより真面目に違いないのだが、どこか楽しそうな笑みを浮かべているようにも見える。文乃さんはそのまま俺に声を掛けるでもなく俺の左肩に手を置いた。



「舞宵君。何度でも言うけど君は人一倍不利な状況なんだ。記憶がないっていうのがどれほどの不安を煽っているのか、私には想像もつかないからね」


「そ、それはそうですが……」


「だからこそ、どうせなら楽しむことにしなさい。私もそういう心持で挑むつもりだ。それに今回君は表に出て来るのではなくあくまで裏方。つまり、自分自身との勝負だ。ほら、自分との闘いって響き、ちょっとだけワクワクしないかい?」


「自分との、戦い……」



 確かに、俺は今回お客さんと関わる機会はほとんどないといっても過言ではないだろう。あくまで瑞希さんや文乃さんから指示されたものを裏で作るだけ。それにコーヒーなどのドリンク類はすべて文乃さんが受け持つことになっている。ようするに、俺は厨房で一人きり。



「ふふ、緊張がほぐれたね。朝のコーヒー代を返上する気概でよろしく頼むよ」


「えぇ!? あれってお金かかるんですか?」


「君の働きが不甲斐ないものだったら、一考しちゃおっかなー」



 そう言って文乃さんは「アハハ」と笑いながらカウンターを出て瑞希さんの方へと歩いて行った。どうやらフロア組として最終調整に入るらしい。それと瑞希さんのメンタルケアも含めているのだろうか。その姿は今朝見た優しそうなお姉さんではなく頼れる女上司に戻っていた。どちらの文乃さんも魅力的だが、正直俺はこっちの文乃さんの方が好きだ。



「……よし、頑張るぞ!」



 どう転んでも俺の居場所はここしかないのだ。ならば、その場所で最大の成果を残すのみ。仮に失敗したとしてもその時に考えよう。俺の手の震えがようやく収まったと同時に文乃さんが厨房にいる俺に聞こえる声で叫ぶ。



「それじゃあ看板を出してオープンの札をかけて来る!」



 そうして文乃さんは外に出て扉に掛けられている金属製の札をCLOSEからOPENに裏返し、店の中にしまっていた看板を外に出して中へと戻ってくる。とうとうカフェ『ファミリア』オープンだ。



(……いくぞ!)














 —1時間後—



「テンチョ、いったいどんな宣伝をしたらオープン日来客ゼロが達成できるん?」


「あ、あれ? おっかしいな? 駅前でチラシを配ったり、SNSでもだいぶ情報を拡散してもらってたんだけどな? ちゃんとホームページを作ってくれたデザイナーの人とも相談したし」


「騙されたんじゃない?」


「いや、彼らがきちんと仕事をしたのは間違いがない。だとすれば……単に時間帯が悪いだけか?」



 現在は日曜日の16時。よく考えてみたら、休日のこんな時間に住宅街をぶらつく人なんていないだろう。学校帰りや仕事帰りの人もいないし、そもそもこの辺は人通りが少なく閑静。これは夜まで持つのだろうか?



「なんというか拍子抜けですね」


「舞宵君のその言葉に本来なら責任者として注意しなければいけないが、実は私も内心そう思ってる。まったく、マーケティングというのは難しいな」


「マーケティングて、まだそこまで本格的な段階じゃないでしょ」


「そうでもないよ瑞希ちゃん。些細な観点から情報を見つけて、それを店の経営に反映させる。そうすることで売り上げは大きく変わる……と、高校の先生は言ってた」


「その高校の先生をここに連れてきてくださいよ。アタシがこの悲壮感溢れる店内を見せつけて胸倉をつかんでやるから」



 物騒なことを言い出す瑞希さんに文乃さんは苦笑い。確かになんというか、ここまで静かだと気合を入れていた分がっくり来てしまう。こういうのは良くないと分かっているが、やることがなさ過ぎて本当に暇なのだ。こんなんで給料をもらってもなんだか申し訳なくなってしまう。そう思い俺は厨房の掃除をするのだがすでに何度も拭き掃除を行っているため厨房はピカピカだ。



「まあ、私たちが焦っても仕方がない。とりあえずいつでもお客さんが来てもいいように準備を……」



 文乃さんが俺たちにそう指示を出したところで、店の中に風が入ってきた。


 —カランカラン—


 そして同時に、扉が開いた時になる鈴の音が店内に鳴り響いた。そこに立っていたのは二組の若い男女。年代的には、大学生くらいのカップルだろうか。硬直してしまう俺たち三人だが、お客さんだと認識した瞬間すぐに意識を切り替える。



「っ、いらっしゃいませ」



 瑞希さんはすかさずお客さんに対して挨拶をする。先ほどまでぶっきらぼうなことを言っていた瑞希さんだが、今はとても落ち着いたクールな雰囲気を纏っている。さすがの感情転換だ。いや、コントロールというべきか。



「二名様でよろしいでしょうか」


「あ、はい。たまたまふらっと寄ってみたんですけど、大丈夫でしたか?」



 ガラリとした店内を見回し不安がる男性。まあ、確かに不安になってしまうよな。だがすかさず文乃さんが瑞希さんのフォローに入る。



「今日オープンしたばかりで、お二人が初めてのお客様なんです。いらっしゃいませ、カフェ『ファミリア』へ」


「お客様、お席へご案内いたします。こちらへどうぞ」



 文乃さんが介入したため心に余裕ができたのかスムーズに席へ案内する瑞希さん。カップル二人組はそのまま促されるように席に座りメニューを眺めた。



「気まぐれで入ってみたけど、結構いい感じの店だね」


「ああ。しかも最初の客だなんて、ラッキーだな」



 そう言って会話をする二人。盗み聞きをしていても仕方がないので俺はいつ注文が来てもいいようにし、瑞希さんは二人に水を運ぶ。その間に文乃さんは窓を見て他にお客さんが来ないかなど店全体を見回していた。



「すみませーん」



 しばらく時間が経ち、先程のカップルが瑞希さんにオーダーをお願いする。瑞希さんはこの一週間で練習していた通りに、初めてにもかかわらず落ち着いた対応を見せる。そうして瑞希さんは文乃さんのもとへとオーダーを伝える。ちなみに俺へのオーダーは文乃さんを通して行うことになっている。



「注文、アメリカンコーヒーとキャラメルマキアートのアイス。クッキー一人前とサンドウィッチ」


「了解した。瑞希ちゃんはキャラメルを、舞宵君はサンドウィッチをお願いする」


「「はい」」



 ようやく厨房が本格始動する。俺は用意されていたパンの片面をトーストし、その間にあらかじめ切って冷蔵庫に保存していた野菜などを取り出す。



(えっと、トーストの片面にソースを塗ってまずはオニオン、そしてレタス、チーズ、サラミ……)



 俺は焼いたパンをトースターから取り出し、順番に具材を乗せていく。このサンドウィッチはまかないで何度も作っており既にレシピが脳裏に焼き付いていた。おかげでスムーズに作ることができる。



(ハム、トマト、もう一枚チーズを乗せてソースを塗って……)



 そうして三分も経たずサンドウィッチが完成した。ふとホールを見てみると、すでに二人も注文されたものを完成させているようだ。俺は文乃さんがクッキーを取り出したタイミングでサンドウィッチを渡す。



「どうぞ」


「ありがと」



 文乃さんは俺が渡したサンドウィッチをトレーに乗せ、それを流れるように瑞希さんに渡す。そして受け取った瑞希さんはお客さんの方へと綺麗な姿勢で歩いてゆく。女子高生とは思えないほど洗練されたフォームだ。



「お待たせいたしました。アメリカンコーヒーのホットにキャラメルマキアートのアイス、それとクッキーにサンドウィッチです」



 瑞希さんは一つ一つ丁寧にトレーからテーブルへと置いてゆく。そしてそれらが置かれるたびにカップルたちの顔もコロコロ変わった。そうしてすべてを置き終わったとき、瑞希さんは一礼して



「それでは、ごゆっくり」



 そう言って俺たちのもとへと帰ってくる。瑞希さんは長く息を吐きだしながら文乃さんと目を合わせる。そうしてなにも言い合わないことから今のやり取りに一つも問題はなかったのだと見受けられる。まあ、俺から見てもほぼ完璧に近い接客だったとは思うが。



「ねぇ、凄い本格的だね!」


「ああ。ちょっと写真撮っちゃお」



 そういって男性はスマホを取り出し写真を取り出した。ちなみにうちの店は許可なく人を映さない限り写真撮影を許可するとメニューの上に注意書きのように書いてある。ようするに、まだ始まったばかりのこの店にとってSNSへの投稿はまだ見ぬ客への貴重な情報提供になるのだ。



(俺もスマホが使えたらな)



 俺のスマホはまだロックが解けない。やりすぎると根本から開けなくなってしまう恐れがあるので一、二度しか触ってないがそのせいでインターネットなどを活かすことができないのだ。こんど給料が出たら新しくスマホを購入することを検討してみるべきかもしれない。



(文乃さんや瑞希さんもSNSをやってるらしいし、この店の公式アカウントもあるらしいからな)



 いつか連絡先などを交換してみたい……って、同じ屋根の下で生活している以上そんなもの必要ないまであるな。瑞希さんは隣の部屋だし、文乃さんも二階の奥の部屋で寝泊まりしているらしいし。



「このコーヒーおいしいな」


「本当? こっちのクッキー、バターの香りがすごく好き!」


「サンドウィッチも、色々な具材が入ってておいしいし、軽食にちょうどいい」


「この前行った喫茶店って創業30年のところだったけど、それ超えてるんじゃない?」


「かもな。こんな店の初めての客になれてラッキーだぜ俺たち」



 この二人はどうやら色々な喫茶店へ足を運んでいるらしく、この店の質の高さに驚いているようだった。俺が作ったサンドウィッチを話題に出され少しだけドキッとしたが、褒めてもらえてすごく嬉しかった。なんというか、心がすごく温かくなった。



「よかったね、舞宵君」


「っ!? はい!」



 俺は文乃さんからそう言葉をもらい、すぐに返事を返した。失敗をしなくて本当に良かったし、少しだけ自信がついてきた。そして次の瞬間



 —カランカラン—



「っ、いらっしゃいませ!」



 また新たにお客さんが入ってきて瑞希さんが声を掛けた。次に入店してきたのは眼鏡をかけたおじいさんと杖をついたおばあさんの老夫婦だった。すぐさま瑞希さんが対応して席にご案内し、文乃さんを経由して俺に指示が飛んでくる。



「舞宵君、頑張るぞ!」


「はい、文乃さん!」



 そうして閉店までの間にあと数組のお客さんがこの店へとやってくるのだった。

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